第4話

次の日、リオルとサキハルは潜水服を身にまとい、くじらのいる海岸地区の土台を見に海へ潜った。

埋め立てられた土砂から生える排水トンネルを見つけ近づく。

排水トンネルに刺さったバルブを回せば、恐らく再びこのトンネルは意味を持つのだろう。

サキハルの合図で2人は島から少し距離を取り振り返る。

土砂に埋まっており、空洞が生まれているかはわからないが、確かに島の形は歪んでいた。

しばらく経つと2人は浮上し、海岸で待っていたミオの元へ戻ってきた。

「お疲れ。どうだった?」

ミオは2人にタオルを差し出す。

「予想通り、かなり歪みが酷かった。」

リオルはウェットスーツの頭部分を脱ぐと豪快にタオルで拭いた。

「排水トンネルに一気に水を流し込めば、いくらかは沈みそうだ。」

メガネをしていないサキハルは少し若く見える。

2人はそのまま、ミオと共に研究室へ向かう。

2人がウェットスーツを着替えている間にミオは温かいお茶を注ぎ、机に置く。

「おっ、やったー!ありがとう」

「ありがとう」

戻ってきた2人はそう呟くと椅子に座り、サキハルは島の構造図を広げる。

「ここのマンホールから土嚢を降ろして、ここから先、居住区域になるべく海水が入らないようにする。」

サキハルの指はマンホールの位置から、先ほど2人が確認しにいった排水トンネルへ移動する。

「大潮の日、干潮時にここのバルブを開ける。すると満潮時にはトンネル内は水で満たされる。」

「それでちゃんと沈むのか?」

「恐らくとしか言いようがないね」

開き直るサキハルを心配そうにリオルとミオが見つめる。

「でも、あの歪み方を見る感じ、かなりダメージは受けてる。沈下してあのくじらが半分ぐらい水に浸かれば、あとはみんなで押せばなんとかなる!」

無言で見つめるリオルとミオの視線に耐えきれず、

「...はずだ」

サキハルは付け足す。

「まあ、やってみる価値はあるよね」

ミオの言葉にリオルは頷く。

「ああ。あのまま野放しにするリスクを考えれば、絶対にやるべきだ。」

「よし。決まりだね。明日の昼にでもみんなに話そう。」

「そうだな。実行はいつになる?」

「そうだねぇ...」

サキハルはパソコンの前へ移動すると、ファイルから大潮カレンダーを表示させた。

「丁度3日後だ。」

3人は意思を固めるように見つめ合い頷いた。  

サキハルはミオの淹れたお茶を啜る。

「うげっ、渋っ!」

「えっ、嘘!」

ミオは慌てて自分の分を飲むが首を傾げる。

リオルも試しに飲んでみる。

「.....美味い」

「だよね?よかった」

「君たち....はぁ」

サキハルは呆れたようにため息を吐いた。


真夜中。ミオはくじらに水をやりに砂浜に居た。

砂浜といっても、くじらの座礁で今はほとんど海になっている。

ポンプのスイッチを押すと、海岸の静かな冷たい空気はバッテリーの稼働音と水を汲み上げる音に染まる。

ホースを上に向け、くじらに海水をかける。

「こんばんは、クジラさん」

くじらは目を開け、嬉しそうに歌を歌う。

ミオは優しく笑うと、一緒に歌を歌った。

「ミオ」

ミオを探して砂浜に来ていたリオルの声に、ミオは気づいていない。

リオルは夢中になってくじらと歌を歌うミオを立ち止まって微笑ましく見つめる。

また歩き出すと、ようやくミオがリオルに気付いた。

「リオル。どうしたの?」

「...眠れなくて」

「あははっ、子供みたい」

くじらは歌うのをやめ、2人を見つめる。

ミオは空いている右手でくじらの治りかけの傷の側をやさしく撫でる。

「なんの歌なんだ?」

「え?」

「今くじらに歌ってただろ?」

ミオはポンプを止め、ホースを持っていた手を降ろす。ホース内に残っていた水がもうほとんど残っていない砂浜に垂れる。

「あー...なんだったっけ」

ミオは空を見上げながらうーんと悩む。

「...小さい頃、誰かに教わった気がする」

バッテリーを持ち上げようとするミオの前にリオルが持ち上げる。

「ありがとう」

くじらにおやすみを告げると、リオルとミオはバッテリーを充電器の元へ運んだ。

「俺は知らないから、俺の叔父じゃないよな。」

「うーん。そしたら、拾ってくれた教会の人かな?」

「もっと前は?覚えてないんだっけ?」

「うん」

ミオが神父に拾われたのは大体8歳の頃。

砂浜に打ち上げられていたのを奇跡的に救われた。

それから2年後、10歳になった頃に神父は亡くなり、唯一の教会が廃屋になった。

その後は郵便局長のエルゴの元で働きながら1人で暮らしてきた。

すでに両親を亡くしていたリオルとリシアとは、この頃からほとんどずっと一緒にいた。

「あの状態で生きてるなんて奇跡の子だって、島中大騒ぎだったんだからな」

バッテリーを充電器に挿すと、2人は寝床であるサキハルの研究所へ向かう。

「大袈裟だよ」

「長い間海水に晒されていた可能性があるって医者が言ってた。でも息を吹き返して、脳も軽い記憶障害しか残らなかったなんて奇跡だろ。まあ、神父さんの力だって言う人もいたがな。その神父さんは病気で亡くなっちまうし、真実はわからねえけどな。」

そこまで話すとリオルは小さく「あっ」と溢すとミオを見る。

「悪い。記憶無いのだって辛いよな。」

思ってもみなかった謝罪にミオは笑う。

「全然。私にはリオルとリシアがいるし。今はもう楽しい記憶しか思い出せないよ。」

「...そうか。ならよかった。」

ミオの笑顔に、リオルは目をくらませた。

暗い夜道と2人を照らすランタン。

オレンジ色の小さな炎が、ミオの笑顔をさらに眩しくさせた。


3日後。

干潮前、目標のマンホールから土嚢を下ろし蓋をする。

「よし、僕たちもいこう。」

「ああ」

サキハルとリオルは砂浜に向かい、潜水服に着替える。

「2人とも気をつけてね。」

ミオはリオルにシュノーケリングセットを手渡す。

「終わったら、また熱くてしっぶいお茶淹れてね」

ミオはウインクをかますサキハルに無言でシュノーケリングセットを投げつけた。

「あいたっ」

「おいおい。フラグ立てんなよ。」

「あははっ、ごめんごめん」

船で沖に出る2人を見つめて見送る。

「もう少しで帰れるね」

ミオはくじらを見つめ、撫でながら話しかける。

「...もう来ちゃだめだよ?」

寂しそうなミオの声色とは反対に、くじらは嬉しそうにホイッスル音を奏でる。

「えっ」

ミオの顔がみるみる曇る。

「.....そんな」

ミオは沖に目をやる。地平線を歪ますいくつもの"何か"を、ミオはただただ見つめていた。


サキハルとリオルはバルブへ辿り着くと、2人で息を合わせて回す。

金属の擦れる感覚、排水トンネルの蓋が開き、数十年間眠っていた空気が泡となって地表へ流れていく。

2人は目を合わせて頷くとサキハルの親指を立てるサインでゆっくり浮上していく。

船で浜に戻ると暗い顔で2人を待っていたミオがいた。

「どうした?」

その表情にいち早く気付いたリオルが尋ねる。

ミオは何も言わず、ゆっくりと2人の背中側を指差す。

サキハルとリオルはゆっくり振り返ると絶句した。

「何だ...あれ」

リオルは外したシュノーケルマスクを力無く落とした。

「あははっ、あはははははっ!すごい!圧巻だ!!」

サキハルは両手を広げ、海に向かって駆け寄る。

「巨大くじらの群れだ!!!!」

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