第二話 秋驟雨

 

 《勝也視点》




 ――ドンッ、ドドドッ、ドンッ…


 ――ピーヒョロロー、ピーヒョロロッロロロッ〜〜……



 

 腹の底まで響く太鼓の重低音と、夜空を突き抜けるような笛の音が重なり合う。

 人々の喧騒は祭囃子に溶け込み、村全体が熱を孕んで膨らんでいるようだった。東の国から伝わったというその調べは、どこか異国情緒を漂わせ、軒を連ねる縁日の灯りが視界を鮮やかに染め上げる。


 そんな中、俺は並木道の端、大きな古木に背を預けて葵を待っていた。







 ……ふと、村では見かけた事がない二人組の男女が目に止まった。祭りと聞きつけて近くの村から来たのだろう。二人で芋を分け合い、美味しそうに食べている。それはとても幸せそうで俺は鼻の下がくすぐったくなった。


 俺は彼らから目を逸らすように視線を落とし、自分の身体を見下ろす。そして、ふと、胸辺りから漂う汗の匂いが鼻についた。



 「これは、やっちまったかなぁ…」



 俺はそっと鼻をすする。汗の匂いは、もう誤魔化しようもなかった。昼から動き回ったせいか、それとも緊張のせいか。とにかく、今さらどうにもならない。


 少しでも風通しが良くなれば襟元を引っ張ったが、染みついた匂いはそう簡単に逃げてはくれなかった。むしろ、動いたことで空気が揺れ、汗の匂いがふわりと鼻先を撫でる。



 「やっぱダメか…」



 思わず苦笑いが漏れる。


 こんな状態で葵に会うのか――そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなる。けれど、引き返すわけにもいかない。今さら着替えに戻る時間もないし……。



 そう悶々としていると、太鼓の音がまた鳴り響く。

 ドンッドドドッドンッ……。

 その振動に混じって、タッタッタッ……と、心地よい足音が雑音の中から微かに聞こえてくる。そちらへ視線を向けると、葵が顔を赤らめながら小さく手を振り、小走りでこちらへと向かって来る姿が目に入る。


 あぁ来た来た。しかし、何だ?いつも通りの笑顔なんだが、何か言いたげでもある。


 やっぱり着替えた方が良かったか。でも今さらだし、原因がこれだっていう確証もない……うん。考えても埒が明かない。頭の片隅に放っておこう。


 ……もし今の俺の心が聞かれてたら、多分殴られるんだろうな。『だから勝也はバカなんだよ』って。


 ……こういう所か。いや、それより……



 「あっ、えっと……!待った〜?」



 「いや、俺もさっきまで親父たちと祭りの手伝いしてたからそんなに待ってねぇよ。……それより、それ、着てきたんだな?」



 葵が纏っていたのは、昼間に彼女が洗っていた、薄紅色の地に百合の花が描かれた着物だった。


 普段の彼女の可愛らしさが引き立つのはもちろんだが、何より驚いたのはその髪だった。いつもは後ろで一つに纏めている髪が、今日は真っ直ぐに下ろされている。

 幼馴染のあどけなさと、ハッとするような大人びた色気。その同居した姿に、俺の胸は大きく跳ねた。

 内心の動揺を悟られないよう、ぶっきらぼうに言葉を返すと、葵は照れくさそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。



 「うん!一番のお気に入りだし、やっぱり着慣れた服の方が良いと思って。とはいえお祭りなんだし、もうちょっと豪華な感じでってお母さんのを借りようかなと思ったんだけど……。まぁ、重ね着すれば良い感じに見えるでしょ、ね?」



 「おお、そうだな。でも村の祭りだし、そんなに張り切らなくてもよかったんじゃ……ああ、そういや一応村の神様祀ってるんだっけ?それなら後でお参りでもするか?」



 でも何の神様なんだろうな。山神様とか言われてるが……まぁ狩猟か豊穣とかそこら辺かな?


 そんな風に思索に耽りながら視線を前に戻すと、葵は驚いたように目をパチクリさせた。



 「何だ…知ってんの?」



 「まぁ一応な。なに?もしかして、その話で自慢してやろうとか思ってたりした?」



 図星だったらしい。葵は両手で顔を覆ったが、指の隙間から覗く頬は真っ赤に染まっている。

 ……ちょっとからかうつもりが、これだ。これじゃあ、俺の方がドキドキさせられてるみたいじゃないか。



 「だって……その、せっかく勝也のお母さんに着付けを教わったし、それを自慢したくなるくらい嬉しかったんだよ。勝也と一緒にお祭り行けるの」



 「……そ、そっか。そんなふうに思ってくれてたんだな」



 俺は、なんだか胸がいっぱいになってしまって、うまく言葉が出てこなかった。

 葵が、俺の母さんに着付けを教わってまで、俺との祭りを楽しみにしてくれてたなんて。


 そんなの、嬉しいに決まってるだろ。



 「……ありがとな、葵」



 口をついて出た声は、少し震えていたかもしれない。自分の頬がほおずきみたいに熱いのを感じながら、誤魔化すように視線を逸らした。

 葵もそれを察したのか、話題を変えるように周囲を見渡した。



 「にしても、すごい人だかりだね……」



 「あぁ、ほんとにな」



 村の中央にある広場には、村中の人たちが集まっていた。それは子供から老人まで幅広くいるためかとても賑やかだ。そんな彼らの中には見知った顔もチラホラと存在しており、みんなそれぞれが屋台で買ったものを食べたり飲んだりして楽しんでいた。


 そんな様子を見ているとふと疑問に思ったことが出てきたので葵に尋ねてみる事にした。



 「なぁ葵、今更なんだけどさ。このお祭りって山神様を祝う為にやってるよな。実際、何を司ってる神様何だろうな?」



 「え?ん〜……ごめん、実は私もよく知らないんだよね。というか、村の殆どは知らなかったりするんじゃないかな?」



 「……え?それって大丈夫なのか?お祭りって、元来神様を祀るものだろ?本末転倒じゃないか?」



 「いやまぁ……たぶん大丈夫だよ。楽しんで祀ることに意味があるんだろうし、そもそもこの村の人たちって、神様の事なんかよりこうやって集まって騒ぐことの方が大切みたいな所があるし」



 「あぁ……まぁ確かにそんな雰囲気あるよな」



 そう苦笑いする葵に釣られ、俺も苦笑いしてしまう。しかし葵はすぐに切り替えると話を続けていった。



 「ま、まぁそんな事よりさ!とりあえず屋台を回ろうよ!私行ってみたいところがあるんだ!」



 「お?マジか!よし行こう!」



 こうして俺と葵はお祭りでの食べ歩きと、時間が許す限り遊び尽くすことにしたのだった。



 …………


 ………


 ……




 どれくらいの時間が経っただろう。村中の屋台という屋台を回り腹いっぱいになった俺たちは、近くの大樹にもたれ、並ぶように腰を下ろした。



 「いや〜、食った食った」



 「あはは、そうだね~。あんなに屋台が並んでるなんて、びっくりしたよ」



 葵の顔は、満ち足りた笑顔で溢れていた。


 ……そろそろ言うべき、か。今を逃したら、きっともう言えなくなる気がする。




 「……なぁ葵」



 「ん?何?」



 俺は空を見上げながら、そっと口を開いた。すると葵も、俺につられるようにして空を仰ぐ。

 しばらくの沈黙が流れたあと、意を決したように深く息を吸い、言葉を紡ぎ始めた。



 「その、なんだ……お前に渡したいものがあるんだよ。だから、受け取ってくれねぇか?」



 「渡したいもの?」



 不思議そうに首を傾げる葵だったが、それでも快く受け取ってくれた。そして俺が差し出したそれを見た瞬間、彼女は驚いた表情を浮かべる。



 「これって……」



 「あぁ、簪だよ。祭りの屋台で売ってたやつ」



 俺が手渡したのは、赤と白の花が交互に飾られた優美な簪。さっき、葵の目を盗んで買ったものだ。彼女に似合うと思って、衝動的に手に取ってしまった。


 いざ渡してみると、思った以上に恥ずかしくて、顔が熱くなるのを感じた。そんな俺をよそに、葵は嬉しそうに笑いながら簪を受け取る。


 そして髪に挿すと、俺に向かってそっと問いかけた。



 「……似合ってる?」



 「うん、すごく可愛いと思う」



 はにかむ葵に釣られて、俺も自然と笑みをこぼす。



 「ありがとう、勝也。……嬉しいよ、私」



 心の底から喜んでくれていることはその笑顔を見ただけで分かる。それだけでもこの簪を買った甲斐があったなと感じた。


 ……やっぱり俺は、お前のその笑顔が一番好きだ。



 「葵」



 「ん?どうしたの?」



 きょとんと小首をかしげる葵。先ほどとは違い、今度は彼女の瞳をまっすぐに見つめた。深い夜の色を湛えたその瞳は、俺の姿だけを映していた。


 風が少しだけ吹いて、簪の花が揺れた。


 俺は喉につかえた言葉を、ゆっくりとほどくようにして口にする。



 「……俺、お前のことが……」



 言葉が喉につかえて、思わず息を飲む。


 そして、もう一度だけ深く息を吸って、絞り出すように言った。




 




 「……好きだ」



 その言葉に、葵は目を見開いて固まった。

 やがて、頬がじわりと赤く染まり、視線をそらすようにそっと俯いた。



 「……。」



 「……あ、葵?」



 沈黙に耐えかねて声をかけると、彼女はハッとしたように顔を上げ、慌てて言葉を紡ぎ始めた。



 「えっと……あの……」



 言いづらそうにしながらも、懸命に言葉を探している。その様子を見て、俺は黙って待つことにした。


 やがて覚悟を決めたのか、葵は顔を上げて真っ直ぐに俺を見つめる。その真剣な眼差しに、思わず息を呑んだ。



 「私も……勝也の事が……好き」



 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥から安堵が広がった。良かった……同じ気持ちでいてくれたんだ。


 すると葵は、そっと俺に近づき、肩にもたれかかってきた。



 「!?」



 突然の行動に驚きながらも、平静を装って彼女の体を抱き寄せる。

 葵もそれに応えるように、背中に腕を回してきた。


 彼女のぬくもりが、じんわりと胸に染み込んでくるようだった。

 互いの体温を感じながら、しばらくの間、俺たちは静かに抱き合っていた。


 やがて、自然と体を離すと、視線が重なり合う。

 次の瞬間、唇がそっと触れ合った。


 それは、ほんの一瞬、触れるだけの軽い口づけだった。

 けれど、その一瞬が、胸の奥を満たすには十分すぎるほどだった。



 しばらく無言で見つめ合っていたが、やがて葵が口を開いた。



 「まっ、私達って親公認の許婚いいなづけだし、今さらって感じもするけどね」



 そう言って苦笑する葵につられて、俺も思わず笑みを浮かべる。



 「確かにそうだな。でも……だからこそ改めて伝えたいんだ」



 俺はそう言って彼女の肩に手を置き、しっかりと目を合わせる。

 真剣な表情で、心からの想いを告げた。



 「これからも、ずっと一緒にいて欲しい。そして、いつか必ず本当の意味での契りを交わそう」



 その言葉に、葵は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに満面の笑みに変わり、大きく頷いてくれた。

 その笑顔を見た瞬間、俺の胸にまた熱い想いが込み上げてきて、思わずもう一度彼女を抱きしめた。

 葵もまた、優しく背中に手を回してくれる。

 しばらくの間、そのままの姿勢で寄り添っていたが、やがてどちらからともなく体を離すと、自然と目が合い、二人して笑い合った。








 「それにしても、まさか勝也の方から告白してくるとは思わなかったなぁ」



 そう言って、葵はいたずらっぽく笑う。

 その笑顔に照れくさくなって、俺は思わず顔を背けた。

 だが、そんなことでごまかされるような相手じゃない。

 すぐに葵が身を乗り出して、俺の顔を覗き込んでくる。



 「そうだなぁ〜。さっきの告白ってさ、誰から教えてもらったの?」



 「……俺が自分で考えた、って選択肢はないんだな」



 「フフッ、自分の胸に手を当てて考えてみてよ。だいぶ“らしくない”感じだったよ」



 「そんなにか。」



 俺は苦笑しながら、頭をかいた。



 「……まあ、ちょっとだけ、参考にはしたかもな」



 「やっぱり〜。誰?同年代なんて私くらいでしょ?河合姉さんは…そんな話する度胸、勝也にあると思えないし。え、まさか、"あのおじいちゃん"!?」



 「"あのおじいちゃん"って、どのだよ!…って言いたいが、それで通じちまうのが悲しいなぁ。ジジイの人徳の低さ故か?」


 

 あの爺ちゃん、物知りだし困った時には相談に乗ってくれるけど、たまに距離感のおかしい冗談を飛ばしてくるんだよな。

 ……正直、あの人だけはちょっと苦手だ。



 「確かに昔はモテてたらしいが、相談したのはあの人じゃねぇよ。村長の息子だ。ほら、いつも集会所の隅で座ってる痩男」



 「あぁ、あの人ね。何度か話したことある。でも、勝也とそんな接点無かったと思うけど、いつ仲良くなったの?結構年上じゃない?」



 「いや、ただ告白の内容に困ってたら、偶然近くにいたから相談したってだけ。村長の息子なんだし、浮いた話の一つでもあるかと思って。」



 「……言いたいことはわかるけど、当てが外れたわね。確かに見合い話はいくつも来てるらしいけど殆ど断ってるって話よ。彼女の噂も聞かないし、厳格な方なんじゃない?」



 「そうなのか?ちょっと意外だな。雰囲気は厳しそうだけど、結構お茶目だったぞ。恋愛ごとだって言っても真摯に接してくれたし」



 俺は、あのときのことを思い返す。








 たしか、俺は村外れの川で釣りをしていたんだっけな。



 「珍しいね、君がこんなとこにいるなんて」



 「んぁ?あ〜あんたは村長ところの…堅太郎さん、でしたっけ。」


 

 堅太郎さんは、俺の返事に軽く頷くと、川の流れを眺めながら腰を下ろした。

 その仕草が妙に自然で、まるで昔からそこにいたような雰囲気だった。



 「釣れてるかい?」



 「いや、さっぱり。餌の付け方が悪いのか、魚が俺を嫌ってるのか……」



 「魚は正直だよ。焦ってる人間には近づかない。恋も似たようなもんだ」



 …んん?

 俺は思わず竿を止めて、堅太郎さんの横顔を見た。

 その目は笑っていたけど、どこか遠くを見ているようでもあった。



 「…え〜と、なぜそんなことを?」



 「誤魔化さなくたって、君が恋煩いしてるのは見ればわかるさ。村の奥様方はその話で持ちきりだよ?」



 えぇ…



 「……マジかよ。そんなに広まってんのか、俺の話」



 思わず顔をしかめると、堅太郎さんはくすりと笑った。



 「悪い意味じゃないさ。むしろ、みんな応援してる」



 「え、なんで?」



 「そりゃ、君のような若いのが恋一つに悩んでる、なんて……微笑ましいじゃないか。まぁ、人によっては嫉妬に狂うやつもいるだろうけど、"人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んじまえ"って言うしね。表立って事を起こす奴はいないさ」



 「…そういうもんか」



 とりあえず納得し、竿を置いた。


 

 「…その様子は何か相談ごとがあるんだろう?どーんと胸を貸すから、何でも話してくれたまえ」


 

 堅太郎さんはそう言って、胸をドンと叩く。



 「……じゃあ、お言葉に甘えて」



 俺は堅太郎さんの真剣な表情でうなずくのを横目に、頭の中で言葉を組み立てる。



「……一週間後、村でお祭りがあるだろ。それを一緒に回る約束をしてて、そこでまぁ……俺の気持ちを伝えようとおもってんだ」



 言葉が尻すぼみになっていく。

 顔が熱を帯び、少し視界が歪んだ。



 「なるほど。告白か」



 堅太郎さんは頷きながら、川の流れを見つめたまま言った。



 「祭りの夜は、空気が特別だからね。提灯の灯り、太鼓の音、浴衣の香り……普段は言えないことも、あの雰囲気に背中を押される。いい選択だと思うよ」



 「だよな……でも」



 俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて…



 「どうすれば俺の気持ちを伝えることができるんだろう」



 俺は言葉を絞り出すように呟いた。堅太郎さんは、少しだけ顔をこちらに向けて、目を細めた。



 「ふむ……」



 堅太郎さんは、しばらく黙ったまま川の流れを見つめていた。風が水面を撫で、さざ波が光を揺らす。



 「気持ちを伝えるってのはな、言葉だけじゃないんだよ」



 「……どういうことですか?」



 「君がその子と過ごした時間、交わした視線、ふとした仕草……全部が、もうすでに君の気持ちを語ってる。告白ってのは、その集大成だ。だから、無理に飾る必要はない。君らしい言葉で、君らしいタイミングで、素直に伝えればいい」



 俺は黙って頷いた。堅太郎さんの言葉は、まるで川のせせらぎに溶け込むように、静かに胸に染みていった。



 「……君らしい言葉、か」

 


 ぽつりと呟いた俺に、堅太郎さんはふっと笑みを浮かべた。



 「そうさ。たとえば、君がその子と一緒に笑った瞬間を思い出してみな。どんな言葉が浮かぶ?」



 俺は少し考えてから、ぽつりと答えた。

 


 「……なんか、あったかいって思った。胸の奥が、じんわりする感じ」



 堅太郎さんは満足げに頷いた。


 

 「それだよ。その感覚を、言葉にすればいい。上手く言おうとしなくていい。君が感じたままを、君の声で伝えれば、きっと届く」

 


 俺は竿を握り直し、空を見上げた。


 夕暮れが近づいていて、雲の隙間から差す光が川面を金色に染めていた。



 「……ありがとう、堅太郎さん」

 


 「礼なんていらないよ。若い者の恋を応援するのが、年長者の役目ってもんさ」



 そう言って立ち上がった堅太郎さんの背中は、どこか頼もしく見えた。



 「じゃあ、祭りの日は、しっかり決めてきな。村中が君の味方だ」



 「……うん。頑張ってみる」

 


 堅太郎さんは軽く手を振って、川沿いの道をゆっくりと歩いていった。


 その背中が見えなくなるまで、俺はずっと見送っていた。


 そして、ふと竿先に目をやると、水面が揺れ、浮きが沈んだ。



 「……お、来たか」



 俺は竿を引き上げながら、心の中でそっと呟いた。



 ――祭りの日、ちゃんと伝えよう。



 その決意は、川の流れのように静かで、でも確かに、俺の中を満たしていた。






 …


 ……


 …………





 ……ありがとうございます。おかげで、俺らしい告白が出来ました。



 「どうしたの?そんなに頬をゆるませて」



 葵が不思議そうに首を傾げて言う。



 「いや、何でもねぇよ。ただの思い出し笑いだ」



 「ふ〜ん?」



 葵は納得していない様子だったが、やがて小さく笑った。



 「……ま、いっか。それより、祭りもそろそろお開きの時間だね」



 「ああ、もうそんな時間か。……家まで送ってくよ」



 「うん、今日はとっても楽しくて幸せな一日だった。また来年も一緒に来ようね」



 「そうだな、約束だ。絶対にまた来よう」



 俺と葵はそっと微笑み合い、指を絡ませる。そして、静かに唇を重ねた。夜風がふたりの間を優しく通り抜けていく。



 「…じゃあ帰るか」



 「うん」



 差し出した手を葵が握り返す。

 俺たちは手をつないだまま、並んで家路へと歩き出した――。





















 ――ズゥ゙ン……!!






 突如として、得体のしれない重圧が俺たちの全身を覆った。

 空気が急激に淀み、呼吸がままならなくなる。



 「っ……!? なんだ、これ……!」



 思わず声を漏らす。隣を見ると、葵も苦しげに肩で息をしていた。

 何が起きたのか分からず、ただ混乱するばかり。そんな中、俺たちの頭の奥に、直接響くような声が轟いた。



 ――コノ村ノ民ヨ……。我ガ復活ノ為ニ役立テ……



 その声が聞こえた瞬間、村全体がざわめき始めた。さっきまでの祭りの喧騒とはまるで違う、不穏で異様なざわめきだ。



 「何……今の声……?」



 葵が不安げに辺りを見回す。どうやら彼女にも届いていたようだ。


 そして、再び声が響く。



 ――私ハ東ノ山ノ神。―ダ、幼イ者……赤――贄ヲ持ッテ来イ。時ハ明――亥ノ刻マデ。東ノ――――――ル祠、ソコニ私ハ居ル。



 ところどころがノイズにかき消され、はっきりとは聞き取れない。それでも、断片的に伝わる言葉の意味は、あまりにも禍々しい。

 

 そして俺の中で一つの疑問が湧いた。



 「この声の主は神様なのか?」

 


 もし本当に神だとすれば、この圧し潰されそうな力にも納得がいく。だが、それにしてはあまりにも不穏で、神聖さとは程遠い気配だった。



 「分からないけど……でも、何か変だよ。この声……」


 

 葵も違和感を覚えているようだった。眉をひそめ、周囲を警戒するように見回している。


 そんな中、三度目の声が頭の奥に響いた。



 ――モシ時間マデニ持ッテ来ナケレバ……コノ村ヲ滅ボシテヤロウ。



 その言葉を最後に、声はぱたりと途絶えた。


 直後、村人たちが一斉に動き出す。まるで何かに突き動かされるように。


 逃げ惑う者、地に膝をついて呆然とする者、泣き叫ぶ者――村は瞬く間に混乱の渦に飲み込まれていった。


 その光景は、まさに地獄絵図だった。


 俺はただ立ち尽くし、目の前の惨状を眺めることしかできなかった。


 そのとき、ふと袖が引かれる感触があった。


 視線を落とすと、葵が俺の袖をぎゅっと握っていた。瞳には不安の色が滲んでいる。



 「勝也……大丈夫?」



 その声に、俺はできるだけ穏やかな笑みを返す。震えそうになる唇を押さえながら。


 すると、葵も小さく微笑んだ。


 その微笑みに、ほんの少しだけ、心がほどけた気がした。



 「あぁ、俺は大丈夫だよ。それよりもこの騒ぎをどうにかしたいんだけど……」



 「まだ子供の私達が何とか出来るわけないでしょ?……それより今は家に帰ろう。で、お母さんに相談するの。…きっと何とかなるよ!」



 「……そうだな」



 確かに、葵の言う通りだ。今は俺たち二人しかいない。下手に動くより、大人に助けを求めた方が確実だろう。


 ……それでも、胸の奥底にジクジクとした焦燥感が燻っていた。


 この感覚はなんだ? 何か……とても嫌な予感がする。


 俺は一度、頭を大きく振って気持ちを切り替えると、葵と並んで家へ向かって歩き始めた。











 「葵!勝也君!よかった、無事だったのね!!」



 家に着くなり、扉が勢いよく開いた。中から飛び出してきたのは、葵の母・美香さんだった。

 

 その顔は青ざめ、額には冷や汗が滲んでいる。その様子から、彼女がどれほど動揺しているかがひしひしと伝わってきた。


 俺と葵も、不安げな表情を浮かべる。すると、それに気づいた美香さんは、安心させるように微笑みながら、穏やかな声で語りかけてきた。


 

 「さっきの声……あなたたちにも聞こえていたのよね? だったら分かると思うけど、村は今、大変なことになっているらしいわ。私はこれから中央の役場に行って、詳しい話を聞いてくるから、あなたたちは二人でおとなしく留守番していてちょうだい。」



 その言葉に、先ほど目にした村の異様な光景が脳裏に蘇る。



 「勝也くんのご両親には、出かけるついでに伝えておくわ。あ、日和の寝かしつけもお願いね」



 そう言うと、美香さんは俺の耳元に顔を寄せ、小さく囁いた。



 「……葵のこと、お願いするわね?」



 「……!?」



 思わず視線を向けた葵の顔は、不安に揺れる瞳で俺を見つめ、服の裾をぎゅっと握りしめていた。



 「……それじゃ、行ってくるわ」



 そう言って、美香さんは俺たちに軽く手を振ると、足早に家を後にした。


 

 「……何が起きようとしてるの……?」



 葵の呟きに、俺は何も答えられなかった。ただ、胸騒ぎだけが、じわじわと大きくなっていく。


 それはきっと、俺だけじゃない。葵もまた、不安そうな表情を浮かべていたから――


 


 


 


 母に言いつけられた通り、戸締まりを厳重にして、日和を真ん中にして俺たちは身を寄せ合った。


 眠れずにいた俺は、隣で寝息を立てる葵の顔をそっと眺めていた。静かに手を伸ばし、彼女の髪を優しく撫でる。

 すると、くすぐったそうに眉を動かしながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべているように見えた。


 

 「大丈夫だ……俺が絶対に護ってやるからな」


 

 そう呟き、 不安を押し殺すように、 そっと唇を重ねた。

 お互いの体温を感じながら瞼を閉じると、意識はゆっくりと遠ざかっていった。

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