記録の声
声は、小さく始まり、やがて島を包んだ。
2月26日、朝。 杉本は、崩れた通信塔の跡地に立っていた。 手には、まとめあげた記録の綴り。 田所のノート、自身の日誌、写真、手紙―― すべてを一冊に編み直した“記録”だった。
「……ここから、始めよう」
彼は、島の人々を集めた。 避難所の広場に、兵士、民間人、子どもたちが静かに座っていた。 リリナも、最前列で彼を見つめていた。
杉本は、深く息を吸い、語り始めた。
「この記録は、戦争の記録ではありません。 ここに生きた人々の記録です。 笑った人、泣いた人、怒った人、祈った人。 そのすべてを、僕は見て、記録しました」
彼は、写真を掲げた。 田所が笑っている写真。 リリナが浜辺で手紙を渡す瞬間。 燃える港、崩れた塔、そして―― 誰かの手を握る、誰かの手。
「これは、田所一等兵曹の記録です。 彼は、僕の記録を守るために命を懸けました。 そして、自分の視点からも、記録を残してくれました」
杉本は、田所のノートを開いた。 その一節を、声に出して読んだ。
「記録は、誰かが見てくれると信じて残すもんだ。 それが、たとえ何十年後でも、誰かの心に届けば、 俺たちは、ここにいたってことになる」
沈黙が広がった。 誰もが、写真と言葉に見入っていた。
「僕は、記録者です。 でも、記録は僕ひとりのものではありません。 ここにいる皆さんがいて、初めて意味を持つ。 だから、これからは―― 皆さん自身が、記録者になってください。 語ってください。 この島で何があったのか。 誰が、どんなふうに生きたのか。 それを、次の世代に伝えてください」
リリナが、そっと立ち上がった。
「わたしも、語ります。 兄のこと、家族のこと、田所さんのこと。 そして、杉本さんのことも。 わたしが見たこと、感じたこと、全部」
拍手はなかった。 だが、誰もが深く頷いていた。 その静けさは、確かな“受け止め”だった。
その夜、杉本は最後の一行を日誌に記した。
「2月26日、夜。 記録、語られる。 記録者、役目を終える。 記録は、声となり、人から人へと渡る。 記録は、生き続ける。 そして、記録者は、次の記録者へとバトンを渡す」
彼は、日誌を閉じた。 その表紙には、ひとつの言葉が刻まれていた。
「ここに、いた」
リリナが、そっと彼の隣に座った。
「……終わったね」
「はい。 でも、きっとこれが始まりです。 記録が語られたときから、本当の物語が始まるんです」
ふたりは、星空を見上げた。 風が吹き、塔跡の草を揺らした。 その音は、まるで田所の笑い声のように、やさしく響いていた。
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