帰還
記録は、海を越えて戻ってきた。
2月25日、朝。 ウルル島の空は、やわらかな光に包まれていた。 杉本とリリナは、再び小舟に荷を積み込んでいた。 田所のノート、写真、手紙―― そして、杉本自身の記録。
「……全部、揃いましたね」
杉本がそう言うと、リリナは頷いた。 彼女の腕には、田所のスカーフが巻かれていた。
「うん。 田所さんの分まで、ちゃんと持って帰ろう」
舟は、ゆっくりと入り江を離れた。 風は穏やかで、帆は静かに膨らんだ。 海は、まるでふたりの帰還を祝福するように、やさしく揺れていた。
「……不思議ですね」
「何が?」
「行きと同じ海なのに、帰り道はまったく違って見える。 景色も、風の音も、全部」
「それは、きっと……」
リリナは、空を見上げながら言った。
「わたしたちの中が、変わったからだよ。 記録を受け取って、田所さんの想いを知って、 わたしたちも、少しだけ強くなったんだと思う」
杉本は、彼女の言葉に頷いた。
「……そうですね。 僕は、記録者として、ようやく“自分の言葉”で書ける気がします。 命令じゃなく、自分の意志で」
彼は、日誌を開き、ペンを走らせた。
「2月25日、午前。 ウルル島出航。記録受領完了。 同行者:リリナ。 記録者、帰還の途上にて記録の意味を再確認。 記録とは、命の証であり、想いの継承である」
「……ねえ、スギモトさん」
「はい?」
「帰ったら、どうするの?」
杉本は、少し考えてから答えた。
「まずは、記録をまとめます。 田所さんのノートと僕の記録を合わせて、ひとつの“証言”として残す。 それが終わったら……」
「終わったら?」
「……もう一度、カメラを持って、島を歩きます。 今度は、戦争じゃなくて、“生きている人たち”を撮りたい。 笑ってる顔、働いてる手、遊んでる子どもたち。 そういう記録を、残したいんです」
リリナは、そっと微笑んだ。
「それ、すごくいい。 わたしも、手伝っていい?」
「もちろん。 君は、僕のいちばんの記録ですから」
リリナは、少し照れたように笑った。
「じゃあ、わたしもあなたを撮る。 記録者の記録、ってね」
舟は、ゆっくりと進んでいた。 遠く、トラック島の影が見え始めていた。 焼け跡の残るその島も、どこか懐かしく思えた。
「……帰ってきましたね」
「うん。 でも、ここからが始まりだよね」
「ええ。 記録を届けること。 それが、僕たちの戦いの続きです」
その日、杉本は日誌にこう記した。
「2月25日、午後。 トラック島帰還。記録、無事持ち帰り。 記録者、記録の再構築と伝達を決意。 記録は、旅を終え、語られる時を待つ。 記録は、終わりではなく、始まりである」
舟が浜に着いたとき、風がふたりの髪をやさしく撫でた。 それは、まるで田所の「おかえり」のようだった。
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