ウルル島

それは、静かな島だった。


2月23日、午後。 舟は、ゆっくりとウルル島の入り江に滑り込んだ。 三本の椰子の木が、風に揺れていた。 田所の写真に写っていた、あの風景が、今、目の前にあった。


「……ここだ」


杉本は、舳先から身を乗り出し、岸に視線を向けた。 小さな木造の小屋が、いくつか並んでいる。 人の気配はないが、煙の匂いがかすかに漂っていた。


「誰か、いる……?」


リリナが不安そうに呟いた。 杉本は頷き、カメラを肩にかけて舟を降りた。


「行ってみましょう。  田所さんが、ここにいるかもしれない」


ふたりは、砂浜を歩き、小屋のひとつに近づいた。 扉は半開きで、中には誰もいなかった。 だが、壁にかけられた軍用の水筒と、床に置かれた飯盒が、誰かの生活の痕跡を物語っていた。


「……ここに、いたんだ」


杉本は、そっと飯盒を手に取った。 底には、かすかに「TADOKORO」の刻印があった。


「やっぱり……!」


リリナが声を上げたそのとき、奥の棚に目をやった杉本が、何かを見つけた。


「……これは」


棚の上に置かれていたのは、見覚えのある木箱だった。 あの夜、通信塔の裏に埋めた、記録の箱。 布に包まれたまま、丁寧に置かれていた。


「田所さん……持ってきてくれたんだ」


杉本は、箱を開けた。 中には、写真、日誌、フィルム、リリナの手紙―― すべてが、無事だった。


「……ありがとう」


彼は、そっと箱に手を添えた。 そのとき、小屋の奥から、もうひとつの箱が見つかった。 それは、杉本のものとは違う、やや大きめの木箱だった。


「これ……?」


開けてみると、中には田所の手書きのノートと、数枚の写真が入っていた。 ノートの表紙には、こう書かれていた。


「記録係補佐 田所一等兵曹」


杉本は、驚きとともにページをめくった。 そこには、彼が知らなかった田所の視点から見た出来事が、丁寧に綴られていた。


「杉本は、変わった奴だ。 最初は、ただの真面目な記録バカだと思ってた。 でも、あいつは違った。 人の顔を、ちゃんと見てる。 笑ってるときも、泣いてるときも、 それを、ちゃんと残そうとしてる。 だから、俺はあいつの盾になるって決めた。 あいつの記録が、未来に届くなら、 俺の命なんて、安いもんだ」


杉本は、ノートを抱きしめた。 涙が、止まらなかった。


「……田所さん」


リリナは、そっと彼の背中に手を添えた。


「きっと、また会えるよ。  この島に、これだけのものを残してくれたんだもん。  きっと、どこかにいる」


「……はい。  でも、もし会えなくても、  この記録がある限り、彼は生きてます。  彼の目で見たものが、ここにある。  それが、記録の力です」


その日、杉本は日誌にこう記した。


「2月23日、午後。  ウルル島到着。田所一等兵曹の痕跡を確認。  記録箱、無事発見。加えて、田所による記録ノートを入手。  記録者、記録係補佐の視点に触れる。  記録は、ひとりのものではない。  記録は、つながる。  記録は、生きている」


外では、風が椰子の葉を揺らしていた。 その音は、まるで田所の笑い声のように、優しく響いていた。

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