リリナの選択

「ここに残ることも、戦うことだと思うの」


山城大尉の死から一日が経った。 空襲は断続的に続いていたが、爆撃の密度は徐々に下がりつつあった。 島は、焼け跡と沈黙に包まれていた。


杉本は、崩れた通信塔のそばで、日誌を整理していた。 山城の最期の言葉を何度も読み返しながら、彼は自分の記録の意味を問い直していた。


そのとき、リリナが現れた。 手には、小さな包みを抱えていた。


「杉本さん……少し、話せる?」


「もちろん。どうしたんですか?」


リリナは、静かに腰を下ろした。 その表情は、どこか決意を秘めていた。


「……わたし、島を出ようと思ってたの。  兄を探して、どこか遠くへ行こうって。  でも、やっぱり……やめることにした」


杉本は、驚いたように彼女を見た。


「どうして……?  ここは、もう安全じゃない。  君が生き延びるには、島を出た方が――」


「そうかもしれない。  でも、ここには、わたしの家があった。  家族がいた。  あなたが記録してくれた、わたしの笑顔も、兄の影も、  全部、この島にある」


彼女の声は、震えていなかった。 むしろ、静かで、強かった。


「わたし、逃げたくないの。  ここに残って、ちゃんと見届けたい。  この島がどうなるのか、  わたしがどう生きていくのか」


杉本は、しばらく黙っていた。 彼女の言葉が、胸に深く刺さっていた。


(記録することと、残ること。  それは、同じ意味を持つのかもしれない)


「……わかりました。  君がそう決めたなら、僕は止めません。  でも、危なくなったら、すぐに知らせてください。  僕が、必ず守ります」


リリナは、そっと微笑んだ。


「ありがとう。  でも、わたしも、あなたを守りたい。  あなたが記録を続けられるように。  あなたが、あなたでいられるように」


その言葉に、杉本は胸が熱くなるのを感じた。


「……君は、強いですね」


「ううん。  強くなりたいだけ。  あなたみたいに」


ふたりは、しばらく黙って空を見上げた。 雲の切れ間から、わずかに光が差し込んでいた。 それは、まるで島の上にだけ降り注ぐ、静かな祈りのようだった。


「これ、持ってて」


リリナが差し出した包みには、彼女の母親が使っていたという布が入っていた。 淡い花柄の、手縫いのスカーフだった。


「これは……?」


「あなたの記録を包んでほしいの。  わたしの代わりに、あなたの手の中で生きていられるように」


杉本は、そっとそれを受け取った。


「……ありがとう。  大切にします。  君の想いも、記録の中に残します」


その夜、杉本は日誌にこう記した。


「2月20日、午後。  リリナ、島に残る決意を固める。  理由:家族の記憶、島の記憶、自身の存在を守るため。  記録者、彼女の選択に深く敬意を抱く。  記録とは、残ること。  そして、生きること」


夜風が吹き、スカーフがふわりと揺れた。 その布の香りは、どこか懐かしく、温かかった。

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