山岡大尉の最後
「記録を、続けろ。命が尽きるまで」
翌朝、空は鈍い灰色に覆われていた。 夜の静けさは嘘のように消え、再び遠くで爆音が響き始めていた。 だが、島の中心部では、別の緊張が走っていた。
「山城大尉が……見つかったって」
その報せは、避難所にいた杉本のもとへ届いた。 彼はすぐに立ち上がり、リリナに「すぐ戻る」とだけ告げて走り出した。
山城がいたのは、かつての司令壕の裏手。 爆撃で崩れた土砂の下から、兵士たちが彼を掘り出したという。
杉本が駆けつけたとき、山城は担架の上に横たわっていた。 制服は破れ、胸元には血が滲んでいた。 だが、その目はまだ開いていた。
「杉本……来たか」
「大尉……!」
杉本は、思わず膝をついた。 山城の顔は蒼白で、呼吸は浅かった。 だが、その声には、まだ軍人としての威厳が残っていた。
「記録は……どうなった」
「……一部は焼けました。 でも、残しました。 田所一等兵曹が、箱を持って島を離れました」
山城は、かすかに目を細めた。
「そうか……あいつが……」
しばらく沈黙があった。 杉本は、山城の手をそっと握った。 その手は冷たく、骨ばっていた。
「大尉、今はもう……記録を焼く必要はありません。 この島で何が起きたか、僕が残します。 命を懸けてでも」
山城は、かすかに笑った。 それは、これまで杉本が見たことのない、穏やかな笑みだった。
「……お前は、変わってる。 だが、そういう奴が……必要なんだ。 俺たちが……何をして、何を守ろうとしたか…… それを、誰かが……見ていなければ……」
言葉が途切れ、山城の目が閉じかけた。 杉本は、必死に呼びかけた。
「大尉! まだ話してください! 僕は、聞きます。記録します。 あなたの言葉を、最後まで!」
山城は、ゆっくりと目を開けた。 その瞳は、どこか遠くを見ていた。
「……俺は、軍人だった。 命令に従い、部下を導き…… だが……それだけじゃ、足りなかった。 人の顔を……名前を…… もっと、見ておくべきだった……」
杉本は、涙をこらえながら、日誌を開いた。 震える手で、山城の言葉を記していく。
「……杉本。 記録を、続けろ。 命が尽きるまで…… それが……お前の……戦いだ」
その言葉を最後に、山城の目が閉じた。 呼吸が止まり、手から力が抜けていく。
「……大尉……」
杉本は、しばらくその場を動けなかった。 風が吹き、担架の上の軍帽が静かに地面に落ちた。
彼は帽子を拾い、そっと山城の胸に置いた。 そして、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました。 あなたの言葉、必ず残します。 命が尽きる、その日まで」
その日、杉本は日誌にこう記した。
「2月19日、午前。 山城大尉、司令壕裏手にて発見。 重傷のため、搬送後に死亡。 最期の言葉:『記録を、続けろ。命が尽きるまで』 軍人としての誇りと、ひとりの人間としての悔い。 その両方を、記録する」
その夜、杉本はひとり、塔跡に立った。 空は再び曇り、星は見えなかった。 だが、彼の胸の中には、山城の声が、確かに残っていた。
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