隠された箱
記録は、燃やさなかった。だが、隠した。
深夜の通信塔。 爆撃の合間を縫って、杉本は静かに動いていた。 ロッカーの奥から、木箱をひとつ取り出す。 もともとは予備の真空管を保管していた箱だ。 中身を空にし、代わりに写真と日誌、リリナの手紙、そして未現像のフィルムを詰めていく。
(全部は無理だ。だが、これだけは)
彼は、箱の蓋を閉じ、布で丁寧に包んだ。 そして、塔の裏手――かつて田所と夜食を食べたあの場所へ向かう。
そこには、古い通信ケーブルの埋設跡があった。 地面は柔らかく、掘り返すのに時間はかからなかった。
「……ごめんなさい。命令には、従います。 でも、これだけは――」
彼は、箱をそっと土の中に埋めた。 その上に、何気ない石と枯葉を置き、足跡を消すように土をならす。
風が吹いた。 焦げた空気の中に、かすかに潮の香りが混じっていた。
(誰かが、いつか見つけてくれるだろうか)
彼は、日誌の最後のページを破り、そこに簡単な地図を描いた。 塔の裏手、椰子の木の影、三歩分の距離。 その紙を、軍用のマニュアルの裏表紙に挟み込む。
「……これでいい」
そのとき、背後から声がした。
「杉本」
振り返ると、田所が立っていた。 手には、缶詰とスプーン。
「夜食、持ってきたぞ。 ……って、お前、何してた?」
「……ちょっと、片付けを」
田所は、じっと杉本を見つめた。 そして、ふっと笑った。
「そうか。 なら、何も聞かねえよ。 でも、腹は減ってるだろ。ほら、みかんだ」
杉本は、缶詰を受け取り、スプーンですくった。 甘さが、胸にしみた。
「田所さん。 もし、俺がいなくなったら――」
「おいおい、縁起でもねえ」
「……もしもの話です。 そのときは、俺のロッカーを開けてください。 中に、地図があります」
田所は、しばらく黙っていた。 やがて、真顔で頷いた。
「わかった。 でもな、そんな地図、使わなくて済むようにしろよ。 お前が生きてりゃ、それでいいんだからな」
杉本は、静かに笑った。
「……はい。生きて、伝えます」
その夜、彼は新しい日誌を開き、こう記した。
「記録の一部を退避。 場所:通信塔裏手、旧ケーブル埋設跡。 目的:未来への証言。 命令と信念の狭間で、選んだのは“託す”という行為。 記録は、燃やさない。 記録は、生き延びる」
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