炎の海

海が、燃えていた。


防空壕の外に出た杉本は、言葉を失った。 港が、赤く染まっていた。 格納庫は崩れ、燃料庫が爆発し、艦船が次々に黒煙を上げて沈んでいく。 空には、まだ米軍機が旋回していた。


「……これが、戦争か」


杉本は、震える手でカメラを構えた。 ファインダー越しに見えるのは、炎に包まれた駆逐艦、甲板を走る兵士、そして―― 爆風に吹き飛ばされる人影。


「杉本、下がれ!」


田所が叫んだ。 だが、杉本は動かなかった。 シャッターを切る。 もう一枚。 そして、もう一枚。


(これを、残さなければ)


彼の中で、何かが切り替わっていた。 恐怖も、混乱も、すべてを押し込めて、ただ“記録者”としての本能だけが動いていた。


「くそっ、あいつ……!」


田所が駆け寄り、杉本の腕を引いた。 その瞬間、すぐ近くの地面が爆発した。 土煙と熱風が吹き上がり、ふたりは地面に叩きつけられた。


「……っ!」


耳鳴り。 視界が揺れる。 だが、杉本はカメラを手放していなかった。


「無事か!?」


田所の声が、遠くから聞こえる。 杉本は、ゆっくりと頷いた。


「……大丈夫です。カメラも、無事です」


「カメラの心配かよ……お前ってやつは……!」


田所は、呆れたように笑った。 だが、その目は真剣だった。


「いいか、杉本。  お前がそれを撮るってんなら、俺はお前を守る。  だから、死ぬなよ。  記録者が死んだら、全部が無駄になる」


杉本は、田所の言葉に深く頷いた。


「……はい。絶対に、生きて残します」


ふたりは、再び立ち上がった。 港の方から、弾薬庫の爆発音が響いた。 火柱が上がり、空が赤く染まる。


その光の中で、杉本は再びシャッターを切った。 燃える艦船。 崩れる桟橋。 逃げる兵士。 そして、立ち尽くす現地の少年。


(これは、地獄だ)


だが、彼は目を逸らさなかった。 この瞬間を、誰かが見ていたという証を残すために。


その夜、杉本は日誌にこう記した。


「2月17日、午前。  港、壊滅。艦船多数沈没。  爆撃は断続的に継続。  記録者として、現場を確認。  炎の中に、人の姿があった。  それを、俺は見た。  そして、記録した」

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