空の異変
最初に気づいたのは、耳だった。
杉本は、通信塔の無線機の前に座っていた。 いつも通りの定時通信。 だが、今日は何かが違った。
「……雑音が、強い」
耳に当てたヘッドホンの奥で、微かなノイズが混じっていた。 それは、通常の電波の揺らぎとは異なる、ざらついた音だった。 まるで、遠くで誰かが囁いているような、そんな不気味な響き。
「真空管の劣化か……?」
そう思って交換してみたが、変化はなかった。 アンテナの接触も確認した。問題はない。 それでも、雑音は消えなかった。
「……気圧も下がってるな」
気象計の針が、いつもより低い位置を指していた。 空は晴れている。 だが、風の流れが妙に重く、湿気が肌にまとわりつく。
杉本は、日誌に記録をつけた。
「午後一三時、雑音強まる。気圧低下。風向き変化。原因不明」
その文字を見つめながら、彼は胸の奥に広がるざわめきを感じていた。 何かが、近づいている。 それは、まだ形を持たない“気配”だった。
「杉本、異常か?」
背後から声がした。 山城大尉だった。
「はい。無線に雑音が混じっています。原因は不明ですが、気象の影響かと」
「報告は?」
「先ほど、定時通信で送信済みです」
山城は無言で頷き、無線機に目をやった。 その顔に、わずかな緊張が走ったのを、杉本は見逃さなかった。
「……続けろ。何か変化があれば、すぐに報告しろ」
「了解しました」
山城が去ったあと、杉本は再びヘッドホンを耳に当てた。 ノイズは、さっきよりも強くなっていた。 まるで、誰かがこちらに向かって、何かを伝えようとしているような――そんな錯覚すら覚える。
(まさか……)
彼はふと、あの写真のことを思い出した。 夜の浜辺、小舟、ふたりの影。 あれは、ただの密会だったのか。 それとも、もっと大きな“何か”の一部だったのか。
「……考えすぎだ」
自分に言い聞かせるように呟く。 だが、胸のざわめきは消えなかった。
その夜、空は曇った。 星が見えず、風が止んだ。 島全体が、息を潜めているようだった。
杉本は、浜辺に出た。 波の音すら、どこか遠く感じた。 空を見上げると、雲が低く垂れ込めていた。
「……リリナは、来てないか」
彼は、いつもの入り江を見渡した。 誰もいない。 ただ、波が静かに砂をさらっていた。
そのとき、背後から足音がした。
「杉本さん」
振り返ると、リリナが立っていた。 白いワンピースが、風に揺れていた。
「こんばんは。……今日は、来ないかと思ってた」
「空が、変だったから。……なんだか、怖くて」
彼女の声は、かすかに震えていた。
杉本は、そっと頷いた。
「……俺も、同じだよ」
ふたりは並んで、波を見つめた。 言葉はなかった。 だが、その沈黙は、どこか温かかった。
空は、ゆっくりと色を失っていく。 その下で、ふたりの影が、静かに寄り添っていた。
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