山城大尉の訓示
「軍人に必要なのは、忠誠と沈黙だ」
その朝、通信隊の全員が整列させられていた。 トラック島の空は、いつも通り青く澄み、椰子の葉が風に揺れていた。 だが、空気にはどこか張り詰めたものがあった。
山城大尉が、ゆっくりと前に出る。 背筋を伸ばし、無表情のまま、隊員たちを見渡した。
「諸君。昨日、無線の不備について報告があった。 原因は真空管の劣化。だが、それだけではない。 我々の任務は、情報を正確に、迅速に、そして確実に伝えることにある。 そのためには、私情を挟まず、命令に従うことが絶対だ」
杉本は、無意識に背筋を伸ばした。 山城の声は低く、よく通る。 だが、その言葉の一つひとつが、胸に重くのしかかる。
「この島は、前線ではない。だが、戦場だ。 敵はいつ来るかわからん。 そのとき、我々が動揺すれば、全体が崩れる。 だからこそ、軍人に必要なのは、忠誠と沈黙だ」
沈黙。 その言葉が、杉本の胸に刺さった。
(沈黙……か)
彼は、ロッカーの奥にしまった写真のことを思い出していた。 あの夜の浜辺で撮った、ふたりの影。 報告すべきか、黙っているべきか。 その問いは、まだ答えを持たないまま、彼の中で燻っていた。
「杉本」
突然、名を呼ばれた。
「はい!」
「昨日の通信記録、確認した。報告は正確だった。よくやった」
「……ありがとうございます」
山城は一瞬だけ頷き、すぐに視線を他へ移した。 それだけのやりとりだった。 だが、杉本の胸には、妙なざわめきが残った。
(俺は、正しいことをしているのか?)
訓示が終わり、隊員たちは解散となった。 杉本は通信塔へ戻る途中、田所に声をかけられた。
「お前、呼ばれてたな。褒められたか?」
「……はい。一応」
「よかったじゃねえか。山城さんに褒められるなんて、珍しいぞ」
田所は笑ったが、杉本は笑えなかった。
「田所さん、沈黙って……正しいことなんですかね」
「ん?」
「黙ってることが、忠誠なんでしょうか」
田所はしばらく黙っていた。 やがて、ぽつりと呟いた。
「難しいな。 でもな、黙ってることで守れるもんもある。 逆に、喋ったことで壊れるもんもある。 どっちが正しいかなんて、誰にもわからんよ」
杉本は、その言葉を反芻した。 沈黙は、守るための手段か。 それとも、逃げるための言い訳か。
その夜、彼は再びロッカーを開けた。 封筒の中の写真を取り出し、じっと見つめる。
波の上に浮かぶ小舟。 ふたりの影。 そして、リリナの兄かもしれない男の横顔。
(俺は、これをどうすればいい)
答えは出なかった。 ただ、胸の奥で、何かが静かに軋んでいた。
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