リリナとの出会い

その少女は、波打ち際に立っていた。


夕暮れの浜辺。 空は茜に染まり、海は鏡のように静かだった。 杉本は、カメラを手に、通信塔の裏手にある小さな入り江を歩いていた。 この時間帯の光が好きだった。 柔らかく、どこか哀しげで、島の輪郭を優しく包んでくれる。


シャッターを切ろうとしたとき、視界の端に人影が見えた。 少女だった。 年の頃は十五、六。 白いワンピースの裾が風に揺れ、長い黒髪が背中に流れていた。


彼女は、海を見つめていた。 まるで、何かを待っているかのように。


杉本は、声をかけるべきか迷った。 だが、彼女がふとこちらを振り向いたとき、自然と口が開いた。


「……こんにちは」


少女は、少し驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく頷いた。


「こんにちは」


日本語だった。 発音はたどたどしいが、意味は通じる。


「君は、この島の人?」


「うん。リリナ、っていうの」


「リリナ……いい名前だね。俺は杉本。通信隊で働いてる」


彼女はまた、こくんと頷いた。 それ以上、言葉は続かなかった。 だが、沈黙は不思議と気まずくなかった。


波の音だけが、ふたりの間を満たしていた。


「……写真、撮ってもいい?」


杉本がそう尋ねると、リリナは少しだけ首をかしげた。 だが、やがて小さく笑って、頷いた。


杉本は、カメラを構えた。 ファインダー越しに見るリリナは、どこか儚げで、けれど強い光を宿していた。


シャッターを切る。 その音に、リリナは少しだけ肩をすくめた。


「ありがとう。……誰かに、見せたいの?」


「うん。兄に」


「お兄さん、いるんだ」


「でも、いまは……いないの。どこかに行ったまま、帰ってこない」


リリナの声は、波に溶けるように小さかった。 杉本は、何も言えなかった。 彼女の目に浮かぶ影が、あまりにも深くて、言葉が見つからなかった。


「……また、ここに来てもいい?」


「うん。わたし、よくここにいるから」


それだけ言って、リリナは砂浜を歩き出した。 その背中を、杉本はしばらく見送っていた。


日が沈み、空が群青に染まっていく。 彼はカメラを胸に抱き、深く息をついた。


(あの子の目……何かを知っている)


そう思った。 戦争のことか。 それとも、もっと別の、言葉にならない何かか。


杉本は、もう一度シャッターを切った。 誰もいない浜辺。 波の跡だけが、砂に残っていた。

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