第2章 組織再建編

第13話:年忘れの宴、帰ってきたのはお局様

 1年を締めくくる日。


 この世界では年末が12月30日なので、俺の感覚とは少しズレがあるのだが、組織としての区切りをつける行事は存在する。

 『納会』だ。


 ギルド併設の酒場は、いつになく熱気に包まれていた。

 長机には大皿料理が並び、樽から直接注がれるエールが飛ぶように消費されていく。

 無礼講。それは、上司が部下の機嫌を取り、部下が上司の失態を笑って許すフリをする、日本社会が生み出した悪しき、いや、伝統的な儀式だ。どうやら異世界でも、アルコールを潤滑油じゅんかつゆにする文化は変わらないらしい。


 俺はその喧騒から逃れ、裏手のカフェテラスに出ていた。

 夜風が火照った頬を撫でる。

 ここは俺が指示して作らせた場所だが、こういう時に避難所として使えるのは計算外のメリットだったな。


「カツラギ君、飲み足りているかな?」


 不意に、風で木の葉が触れ合うような、しかしどこか含みのある声がかけられた。

 振り返ると、月明かりの下、一人の少女が立っていた。


 透き通るような白い肌と、華奢な体躯。そして、人間よりも長く尖った耳。

 エルフだ。


 プラチナブロンドの内巻きボブ。鼻先にかかる前髪の束の隙間から、まるで桜の花びらのように淡いピンク色のインナーカラーが覗いている。その意外な遊び心が、作り物めいた美貌に生気を与え、小顔をさらに強調させていた。

 整い過ぎた見た目のベースは可憐な少女そのものだが、その瞳には、数百年の時を経た古木のような、けだるげな光が宿っている。


「……ああ、レナンセムか」


 俺は座ったまま、片手を上げて応えた。

 彼女――レナンセムは、俺の隣の椅子に優雅に腰掛けると、酒場の喧騒の方を振り返って肩をすくめた。


「オルガマリナが、豪快に酒樽を空けていたよ。彼女の体内には、血液の代わりにワインが流れているのかもしれないね」

「違いないな。経費で落ちないことだけを祈るよ」


 俺が軽口を返すと、彼女はくすくすと笑った。

 そして、手にしたグラスを月にかざしながら、満足げに目を細める。


「それにしても。このカフェテラスという存在は、非常に有意義な空間だね。業務の合間に、こうして思考を整理するための『余白スペース』を設けることは、知的生産性を維持する上で不可欠な要素だと私は思うんだ。単なる休息の場ではなく、創造性を育む場として設計されている……君の慧眼けいがんには恐れ入るよ」


 ……出たな。この特有の回りくどい言い回し。

 以前、ルティアに「エルフというのは皆、こんな話し方をするのか?」と尋ねてみたところ、どうやらレナンセムだけの個性とのことだった。


 結局、彼女は何を言いたいのか。

 要するに、『ここ、サボるのに最高だね。作ってくれてありがとう』ということだろう。

 俺の長年の社会人経験が、彼女の言葉をそう解読デコードしていた。


 数日前の出来事を思い出す。

 このギルドの古株職員が、長期出張から帰還した日のことを。


---


 その日のギルドのロビーには、長期出張に出ていた面々が帰還していた。


 出張とは何なのか。

 王都から数日離れたような遠隔地にも、ダンジョンは発生する。

 それらを管理するため、ギルドは各地に『拠点』を設置しているらしい。

 職員や業務委託を受けた冒険者がそこに滞在し、調査や救助を行う。要するに、地方支店への短期赴任だ。

 普通の冒険者も、その拠点を利用した遠征ができるようになっており、時間はかかる分、割の良いクエストが多いという話だ。


 その出張部隊の中に、彼女はいた。

 人間とは骨格レベルで異なる、鋭利で長い耳。

 そして、病的なまでに透き通る白磁の肌。

 俺がこの世界で初めて目にする、生きたエルフだ。


 一般的に、ドワーフは鍛冶という『製造業』を通じて、顧客である冒険者と密接なサプライチェーンを築いているため、人里での遭遇率は高い。

 対してエルフは、閉鎖的な森林環境を好む『引きこもり気質』……もとい、自然との調和を重んじる種族だ。都市部で見かけるのは稀なレアキャラと言える。


「よう、レナン! 帰ったのか!」


 オルガが豪快に手を振る。

 レナンと呼ばれた彼女は、オルガに向かって軽く頭を下げた。

 事前に聞いた話によると、彼女はギルドきっての古株であり、優秀な上級魔導師であるとのことだった。


「ああ、久しぶりだね、オルガマリナ。相変わらず、ここだけ時間が止まったかのような喧騒だ。変わらない日常の風景を確認できて、精神の安寧が得られたよ」


 ……独特の言い回しだが、久々の古巣を懐かしんでいるのだろう。


「レナンセム、只今帰還した。半年間の出張、大変有意義だったよ」


 彼女は、無駄に単語が難解で、一文が長かった。


「ご苦労だったな、報告は来年で構わない」

「それはありがたい。長距離移動による肉体的疲労で、思考プロセスに若干の遅延をもたらしている感覚がするんだ。休息による恒常性の維持ホメオスタシスを優先させてもらうよ」


 つまるところ、『疲れたから休む』ということだ。


「それでは失礼するよ」


 彼女は来てすぐ帰ろうとして、俺の存在に気づいた。

 その視線が、俺を上から下までさっとスキャンする。


「……おや。見慣れない顔だ」

「初めまして、カツラギです」


 俺は会釈をした。

 この世界のエルフは人間の3倍ぐらい生きるらしい。

 資料によれば、このお局は52歳。だが、見た目は10代の少女そのものだ。

 美魔女というレベルではない。種族差という理不尽な壁を感じる。


「私はレナンセム。よろしく頼むよ、カツラギ君。……ああ、そうだ」


 彼女は鼻にかかった前髪の束を指で転がしながら、講釈するように言った。


「形式的な儀礼は、意思疎通における情報伝達効率を阻害する雑音ノイズでしかないと思わないかな? そう、円滑な意思疎通のためにも、フラットな関係性を構築することを私は提案したい」


 タメ口呼び捨てでいいよと、それで済むことなのだが。


「……わかった。よろしく頼む、レナンセム」

「話が早くて助かるよ」


 彼女は満足げに頷くと、優雅な足取りで去っていった。


「……カツラギさん、すごいですね」


 様子を見ていたらしいルティアが、感心したように声をかけてくる。


「うん?」

「レナンさんの言ってること、私、最初は全然わからなかったです……」


 聞けば、ルティアがこのギルドに来て、半月ほどでレナンセムは長期出張に行ったらしい。

 その時は中級魔導師だったが、出張の参加条件が『リターンゲートを使える上級魔導師』だったため、彼女はすぐに昇級試験を受け、一発で合格したのだとか。


「相当な実力者みたいだな。頭は良さそうだし、これなら仕事はやりやすくなるんじゃないか」


 俺は期待を込めて言った。

 話が回りくどい以外、能力は高い。そこに関しては即戦力どころかエース級だろう。

 だが、ルティアはなぜか口ごもった。


「あ、えっと……カツラギさん。レナンさんは、その……あの……」


 言いにくそうにしている横から、低い声が割り込んでくる。


「カツラギ」


 オルガだ。

 彼女は苦い顔で、去っていったエルフの背中を見ていた。


「いいかい、あんたが『改革』のプロだとしたら、レナンは……『怠け』のプロだよ」


 ――は?


 詳しく聞けば、レナンセムは難しいことを言っては相手を煙に巻き、仕事をサボりまくっていたらしい。

 そしてついには、日々の業務が面倒になったという理由だけで、上級職の資格を取り、半年間の長期出張へと逃亡。

 出張先ではリターンゲートを展開する以外はほぼ何もせず、経費で買い込んだ本を読みふけり、山中に沸く温泉を堪能していたそうだ。


 ……前言撤回。

 とんでもない不良債権が帰ってきやがったというわけだ。


---


「……カツラギ君、聞いているかな?」


 レナンセムが顔を覗き込んでいた。

 グラスの中で揺れる液体越しに見えるその瞳は、悪戯っ子のように輝いている。


「悪い、少し考え事をしていた」

「君の労働強度は、生物学的な許容限界に対して過剰負荷の領域にあるね。せっかくの納会だ、交感神経の興奮を鎮静化させてはどうだい? 組織の恒久的な維持のためには、構成員の精神的均衡メンタルバランスの保全も重要だよ」

「ああ、そうだな。肝に銘じておくよ」


 俺は苦笑し、グラスを掲げた。

 彼女は満足げに頷き、自分のグラスをカチンと合わせる。


「ところで、レナンセム。出張の報告書はもう書けているのか?」

「……おや。せっかくの休息の時間に、無粋な話題を提供するんだね」


 レナンセムは鼻先にかかった前髪の束を指先で摘まみ、くるくるともてあそび始めた。


「情報の集約と共有は、組織運営の根幹と言えるだろう。だけどね、私の報告書は膨大な情報量を含んでいる。これを現行の形式に落とし込むには、情報の統合と精査という内省的なプロセスが必要なんだ。拙速なアウトプットは情報の断片化を招く恐れがあるからね」


 全く手を付けていないということだった。

 半年分の報告書をどうするつもりなんだ。

 実際に接してみて確信が持てたが、こいつは、ルティアのような『献身的な働き者』ではない。『頭を使ってサボろうとする、小賢しい確信犯』なのだ。


「そういえば、君はギルドの生産性を向上させるべく、奔走しているそうだね。『業務革新イノベーション』を画策しているのかな?」


 報告書の追及をかわすための、露骨な話題転換。

 だが、その逃げ道は、俺にとっても好都合なルートだ。

 こういう手合いは嫌いじゃない。利害さえ一致すれば、強力な駒になるからな。

 俺は営業スマイルを深め、彼女の望む餌をぶら下げた。


「そうだな。俺の革新は、あんたの『省エネ志向』……いや、効率的なリソース管理の哲学と、相性が良いかもしれないぞ」


 彼女の長い耳が、ピクリと動いた。


「これまでの事務作業は、非効率の塊だった。だが、俺が今後構築する新システムなら、あんたの優秀な頭脳を、単純作業で摩耗させることはないかもしれない」

「……具体的には?」

「書類仕事の時間が減るということだ。空いた時間で、あんたはより創造的で、生産性の高い……そう、例えば『読書』のような活動に、時間を割くことも可能になるかもな」


 レナンセムの瞳が動いた。

 もしかしてチョロいのか?


 彼女は、邪魔そうに揺れる前髪を、指にくるりと巻き付けた。


「ふむ。……仕事と生活の調和ワークライフバランスの適正化は、現代社会における重要課題だね。君の提案には、傾聴けいちょうに値する合理性があると思うよ」


 巻き付けた髪を離し、彼女はその人差し指を立てた。


「ただし、条件があるんだ」

「条件?」

「特定の業務に縛られることは、私の多様なスキルセットを活かす上で障壁になると思い始めていてね。単一業務の反復は、思考の硬直化を招くリスクがある。多重演算マルチオペレーションによる脳の活性化こそが、業務効率を最大化させるのだよ」


 彼女はそこで言葉を切り、意味ありげに俺を見た。


「ゆえに、業務領域を固定しない方式の導入などが、極めて合理的かつ有効なアプローチではないかな。まずは、顧客との接点である『受付窓口』にて、初期対応の質を向上させてみたいと考えているよ」


 ずっと計算ばっかりしてても飽きるから、受付もやらせろ、という要求だった。

 だが、願ってもない話だ。


「……ああ、業務のローテーション化か」


 俺は顎に手を当てた。

 考えていたことではある。

 事務を俺とルティア、受付を脳筋たちが担当していた場合、事務の二人がいなくなれば機能不全になる。

 彼女の言う通り、全員が複数の業務をこなせるようになれば――『業務の属人化』を防ぎ、組織としての柔軟性が高まるわけだ。


「いいだろう。その提案、採用する」

「話が早くて助かるよ、カツラギ君」


 レナンセムは満足げに笑った。

 こうして、俺の職場に、とんでもなく高性能だが、とんでもなく燃費の悪い、エルフのお局様が導入されることになったのだ。

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2025年12月17日 19:00
2025年12月18日 19:00

異世界ギルドの総務課長 ~戦闘力ゼロの俺が、社畜スキルで業務改革したら、いつの間にか救世主になっていた~ 雨崎ツバリ @amesaki

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