第12話:小休止、淹れたてのコーヒーはいかがですか?
久々に晴れ渡った空は、高く、どこまでも澄み渡っていました。
雨上がりの陽光が、濡れた石畳を宝石のようにキラキラと輝かせています。
ギルドの裏手には、新しくカフェテラスができました。
以前は資材を置く場所だったのですが、カツラギさんのご指示で『職員の福利厚生のための休憩スペース』というものに生まれ変わったのです。
風通しが良くて、静かにお昼を過ごせますので、すぐにお気に入りの場所になりました。
私はトレイに二人分のコーヒーを乗せ、テラス席へと足を運んでいます。
今日はお休みのはずなのに、そこには見慣れた背中が見えました。
……やっぱり、いらっしゃいましたね。
私は少し立ち止まり、その背中を見つめながら、これまでの道のりを思い返していました。
修道院で『聖女』ともてはやされていた頃の、世間知らずだった私。
アレンさんたちと出会い、冒険者としての日々に胸を躍らせていた私。
そして、パーティを外されて、自分の価値を見失って、書類の山に埋もれていた私。
あの夜。
雨の降る路地裏でカツラギさんと出会うまで、私の世界は、インクと羊皮紙の臭いでいっぱいの、色のない閉ざされた部屋だけでした。
自分には価値がない、誰のお役にも立てない。
そう思い込んで、心を磨り減らしていた毎日でした。
それが今、こうして青空を見上げることができています。
美味しい空気を吸って、自分の意志で地面を踏みしめること。
それがどれほど幸福なことか、私は初めて知った気がします。
視線の先で、カツラギさんが、難しい顔で羊皮紙を睨まれているのが見えました。
お休みの日だというのに、またお仕事をされています。
カツラギさんは、剣も振れないし、魔法も使えません。
冒険者のみなさんのような、分かりやすい『強さ』とは無縁の方です。
でも。
アレンさんたちから、言葉だけで私を守ってくださったあの背中は、どんな高ランクの冒険者の方よりも大きく、頼もしく見えました。
「……お疲れ様です、カツラギさん」
声をかけ、テーブルにコーヒーを置きました。
カツラギさんの肩が小さく揺れ、私を見上げます。また難しい考え事をされていたようですね。
「ああ、こんにちはルティアさん。……ありがたい、ちょうど煮詰まっていたところです」
カツラギさんは、少し気まずそうでした。
私たちのお仕事のために、悩まれているのでしょう。
「今日はいい天気ですね」
「ええ。湿気が仕事を放棄していますね」
カツラギさんらしいお返事に、思わず笑ってしまいました。
「えっと、アレンさんたちのこと、お聞きしましたか?」
私が尋ねると、カツラギさんは少し遠くを見つめます。
「はい。Dランクの採取依頼を受けているそうですね。革鎧を着て」
「……大丈夫でしょうか」
「大丈夫でしょう。彼らは一度死にかけ、自分の弱さを知った。それは何よりの武器になります。それに……」
カツラギさんは、カップの縁を指でなぞりながら言いました。
「間違った彼らも、生きていれば更生できます。救助搬送という保険があってよかった。……よくできたシステムですね」
その言葉に、私は胸が熱くなりました。
カツラギさんは心ないことを言われ続けても、やり直しの機会を与えられたのです。
冷たく見えても、この方は誰よりも『人が死なないこと』にこだわっていらっしゃいます。
私は、思い切って言いました。
「えっと、カツラギさん。……私を、認めてくれてありがとうございました」
カツラギさんの手がピタリと止まります。私は続けました。
「私、自分の魔法が地味で、役に立たないものだと思っていました。でも、あなたが優秀だって言ってくれたから……やっと、自分の魔法が好きになれそうです」
カツラギさんは突然の感謝にびっくりされたのか、恥ずかしそうに目を逸らしました。
「……俺こそ。君がいなきゃ、過労死してた、してましたよ」
言い直された丁寧語が、なんだかおかしくて、私は吹き出してしまいました。
「ふふっ、無理しないでください」
「……面目ない」
「そういえばカツラギさんって、おいくつなんですか? 私とそんなに年は変わらないですよね。……あ、えっと、私は22歳です」
カツラギさんは少し考え込んで、しかめた顔でお答えしてくれました。
「私は……29歳になりますね。30の大台も目前に迫ってきました」
「えっ!?」
驚きました。
落ち着かれていますが、もう少し近いお年だと思っていたのです。
「あ、それでしたらその、丁寧語は結構ですよ。私のことは部下だと思って、気軽に話してください」
「いや、しかし職場では……」
「アレンさんを追い返した時のような、あの感じでいいです。あれが普段のカツラギさんなんですよね?」
私が諦めずにいると、カツラギさんは大きく息を吐きました。
「そ、そうですか……いや、そうだな。ルティア」
「はい。その方が嬉しいです」
「……わかった。ルティア、今後もよろしく頼む」
カツラギさんは少し恥ずかしそうに、手を差し出してくれました。
大きくて、温かい、働き者の手。
私は、両手でそっと包み込みました。
「はいっ! よろしくお願いします、カツラギさん!」
その手の温かさが、私の中に残っていた最後の氷を溶かしていくようでした。
不器用で、誰よりも優しい人。
風が吹き抜け、私の髪を揺らします。
心地よい風。
私は心の中で誓いました。
ギルドで無理をしすぎないように。私が一番近くで、カツラギさんの
空はどこまでも青く、私たちの新しい日常を祝福してくれているようでした。
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第一章 安全管理編 完
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