第11話:損害賠償請求、分割払いは認めません
救助隊の仕事は、迅速だった。
オルガ率いる精鋭部隊は、赤竜の猛攻を正面から凌ぎ切り、もはや自力での歩行すらままならない『
担架に乗せられた彼らは、糸が切れた人形のようにぐったりと
外傷は驚くほど少ない。一見すれば無傷に近い。
だがその代償として、彼らの内臓機能とメンタルは、監査直前のブラック企業の労務管理のように、完全に破綻していた。
回復魔法は、裂けた皮膚や折れた骨こそ癒せても、削れた体力や、心に刻まれた痛みまでは救ってはくれないのだ。
「一旦、医務室に放り込め!」
戻ってきたオルガの指示が飛ぶ。
俺は搬送の列に続きながら、極めて事務的に、そして感情を排した声で職員たちへ指示を飛ばした。
「装備を全て剥がしてください。ベッドで寝転がれるようにしてあげましょう」
職員たちが、アレンたちの身体に張り付いた鎧を剥ぎ取っていく。
かつて彼らが絶対の信頼を置き、誇っていた『最強の鎧』。それは今や、持ち主を蒸し焼きにするための圧力鍋であり、これからの借金返済に充てられる重たい担保でしかない。
安静にさせるために装備を剥がす。そして同時に差し押え品を確保する。実に合理的なワークフローだ。
医務室のベッドに横たわった彼らは、まだ体内に熱や薬剤の副作用が残っているのか、
「ルティアさん、処置をお願いします」
「はいっ!」
ルティアが両手を広げ、祈るように詠唱を始める。
「……芽吹け……そして、潤いを賜れ」
その手際は鮮やかだった。
彼女の魔法によって部屋の空気が微調整され、最適な湿度へと加湿されていく。
ただ水を撒くのではない。
空気の調整に加え、彼らの体内に蓄積した熱エネルギーを中和するであろう、繊細な魔力が送り込まれているのが、俺には見えた。
アレンたちの苦悶の表情が徐々に和らぎ、安らかな寝息へと変わっていく。
それはまさに、命を管理するプロフェッショナルの仕事だった。
---
1時間後。
アレンたちが目を覚ましたという報告を受け、俺たちは再び医務室を訪れていた。
だいぶ楽になったのか、彼らは上体を起こし、
搬送時は
俺とルティアは、ベッドの脇に立った。
それは見舞い客の立ち位置ではなく、処刑台の前に立つ執行人のそれだった。
「……俺たちは、負けたんだな」
アレンの声は
その敗北の認識が、赤竜という圧倒的な暴力に対してなのか、それとも俺という事務屋の冷徹な予言に対してなのか。それは、彼の疲れ切った顔を見れば明白だった。
「ええ、完敗ですね。こちらの予想通りに事が進みすぎたことに、逆に恐怖を覚えるくらいでしたよ」
俺は淡々と事実を告げる。
感情を排したその口調こそが、今の彼にとって最大の薬になることを知っているからだ。
アレンは乾いた唇を震わせ、絞り出すような声で問いかけてきた。
「何故だ……なんで冷却剤が効かなくなった……なんで魔物がいつもより多かったんだ……」
「簡単な理屈ですよ」
俺は指を折って数え上げる。
「第一に、短期間で同じ薬剤を過剰摂取したことで身体に耐性ができ、効果が落ちた。そればかりか、身体が処理しきれなくなった薬物は、ただの『毒』になって体内を荒らしたんですよ。そして第二に、あの即効性冷却剤は極めて甘い香りがします。あれは魔物を引き寄せる誘引フェロモンのようなものだと、事前に指摘したと思いますが、心当たりはありませんか?」
アレンは言葉を詰まらせ、視線を落とした。
心当たりしかないだろう。自分の愚かさを直視するのは、どんな拷問よりも辛いものだ。
俺は、一枚の羊皮紙をサイドテーブルに置いた。
パサリ、という乾いた音が、静まり返った室内に響く。
「救助費用、治療費、および懲罰規定に基づく割増料金の請求書です」
金額を見たアレンが、目を剥いて叫んだ。
「なっ……!? なんだこの額は! 払えるわけねぇよ!」
「高いですか? ですが、これはあなたたちが『不要だ』と切り捨てた『安全管理コスト』のツケですよ」
俺は冷徹に告げる。
同情の余地はない。これはビジネスであり、教育だ。
「あなたたちに赤竜を倒せる実力があったのかはわかりませんが、少なくともルティアさんがいれば、この費用は発生しなかった。あなたたちは目先のカタログスペックに目を奪われ、運用コストの計算を怠ったんです」
「……くっ」
「現金がないなら、契約通り、装備現物で支払ってもらいますよ」
俺は同意書の条項を指差した。
「待て! それは俺たちの全財産だ! それを取られたら……」
「身の丈に合わない装備は、身を滅ぼすだけです。……いや、既に滅ぼしましたね。またイチからやり直して、返済費用を貯めてきてください」
俺は容赦しなかった。
ここで情けをかけることは、彼らのためにならない。
全てを失ったアレンは、しばらく魂が抜けたように唖然としていた。
やがて、その視線がゆっくりと移動し、俺の隣に立つ女性へと向けられる。
「ルティア……俺が、間違っていたのか……?」
彼女は何も言わず、ただ静かに彼を見つめ返した。
その瞳は、
「……Eランクの時にお前を誘って……順調だったな……」
アレンは独り言のように呟いた。
元々はこんな粗暴な人間ではなかったのかもしれない。優秀なルティアを仲間にしたこともあり、順調にランクが上がっていき、自分たちの実力を過信してしまった。
よくある話だ。成功体験という甘い蜜が、人の判断力を狂わせ、破滅へと導く。
「俺たち、やり直せるか……?」
その場の空気は、見ていられないほど痛々しいものになった。
終わった関係に泥臭くしがみつく男の姿は、いつだって滑稽で、哀れだ。
ルティアは祈るように一度だけ長い睫毛を伏せ、過去を断ち切るように、ゆっくりと目を開いた。
「いいえ。さようなら、アレンさん」
きっぱりとした拒絶。
そこには未練も、怒りもなかった。
あるのは、壊れてしまった関係はもう元には戻らないと知っている、大人の諦めと静かな決別だけだ。
まるで電源プラグを引っこ抜かれたように、アレンの瞳から生気が消え失せた。
彼は、魂を抜き取られた抜け殻のように、ゆらりと立ち上がる。
仲間たちに支えられ、彼らは医務室を出て行った。
その背中は小さく、哀れだった。
俺はその背中に深く一礼する。
あくまで事務的に。用が済んだお客様のお帰りを促すように。
---
その日の夜。
残業を片付けた俺は、屋根裏の自室で机に向かっていた。
窓の外には、三つの月が輝いている。
異世界の夜空だけは、いつ見ても非現実的で、俺が遠い場所に来てしまったことを突きつけてくる。
現代ではしがない総務課長代理だった俺が、異世界で冒険者ギルドの改革を任されている。
人生というのは、どこでどうバグるか分からないものだ。
俺は机に置いた紙に、今後の課題を書き出した。
ペン先が走る音が、静寂に心地よく響く。
1、現場の安全基準の策定。
かなりの手間ではあるが、いずれ装備チェックの義務化はしたい。今回のような事故は二度と御免だ。死なれたら目覚めが悪いし、事後処理も楽ではない。
王都全体を救うことはできなくても、少なくとも俺の目が届く範囲では、自殺志願者を減らしたい。
2、人材の育成と採用。
これが最重要課題だ。俺が補助しているとはいえ、ルティアだけでは、いずれ事務がパンクする。あの脳筋たちを教育して、使い物になるように改造するのは茨の道だ。
オルガが言うには、そろそろ出張から帰ってくる職員がいるらしい。
「少し癖はあるが、腕に問題はない」とか言っていたが……事務員不足が解消されるなら、多少の変人でも歓迎だ。実際の能力や適性は、会ってから判断すればいい。
もちろん、日々の業務を回すための『量』の確保は急務だ。だが、それだけでは足りない。
俺が構想している『装備の厳格な検査』を実現するには、ただの事務屋ではない、武具に対する深い造詣と専門知識という『質』を持った人材が不可欠だからだ。
……まあ、今考えても仕方ないか。来るものは拒まず、去るものは追わず。使えるリソースは使い倒すのみだ。
やることは山積みだ。
だが、不思議と嫌ではなかった。
自分の知識と経験が、ここでは確かに役に立っている。その確かな手応えが、俺の背中を押していた。
「……さて、明日も忙しくなりそうだ」
俺はペンを置き、月を見上げた。
理不尽で、非効率で、穴だらけの欠陥組織のような世界。
だが、そんな手のかかる世界に、妙な愛着が湧いてきたのも事実だ。
毒を食らわば皿まで、か。
もう少し、この
どうやら染み付いた『事務屋』としての性分は、異世界に来たくらいでは捨てきれないらしい。
だが、悪くはない。
この混沌とした世界を、少しでもまともな『組織』に変えていく。
地味で、果てしない業務だが……『職場環境の最適化』こそが、俺の腕の見せ所だからな。
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