第7話:業務執行の妨害、フリーズするなら強制終了すればいい

 カウンターに置かれた一枚の紙切れ。

 それが、俺の平穏な一日を終了させるゴングとなった。


「Aランク昇格試験、『赤竜レッドドラゴン討伐』の申請だ。よろしく頼むぜ」


 そう言って羊皮紙を滑らせてきたのは、『銀の明星シルバースター』のリーダー、アレンだ。

 全身を真紅のフルプレートメイルで固めた金髪の剣士。その背後には、同じような派手な装備に身を包んだ4人の仲間が控えている。


 彼らの装備は、実用性よりも装飾性を重視しているように見えた。関節部分の可動域よりも、彫金の美しさを優先したような、いわゆる『成金趣味』だ。

 磨き上げられた鎧は赤く輝き、周囲の冒険者たちの羨望と嫉妬の視線を集めている。だが俺の目には、それがただの『無駄なコストの塊』にしか映らない。


 視界に赤いノイズが走った。

 『警告色視』だ。


 赤い鎧に赤い警告色という最悪のカラーリングだが、俺の眼には別レイヤーとしてはっきりと映っていた。

 アレンの鎧の関節部分、そして剣の装飾の継ぎ目に、毒々しい赤い光がまとわりついているのが見える。過剰な装飾が稼働を妨げている証拠だろう。

 見た目は立派だが、中身は欠陥住宅のようなものなのかもしれない。そんなものを着て戦場に出るなど、自殺志願者としか思えない。


 俺は、アレンから受け取った『クエスト申請書』に目を通した。

 申請書には、『参加メンバー』『目的』『携行品リスト』などを記入する欄がある。

 これは俺が来る前からあった形式だが、これまでは完全に形骸化していた。

 理由は単純だ。『どうせ受付が清書してくれる』という甘えが、冒険者側に蔓延しているからだ。

 特に、この第9支部は荒くれ者が多い。文字を書くのを嫌がる連中が、ミミズがのたうったような字で適当に埋め、それを受付が解読、修正するのが『暗黙の了解』となっていた。


 だが、彼ら――『銀の明星』の記述は、その悪習の中でも輪をかけて酷い。


 『目的:赤竜討伐』 『携行品:最強の装備』以上だ。舐めているのか。


「携行品の記載が不明瞭です。ポーションの等級と種類、個数。予備武器の有無。これらが記載されていません」

「あぁ? いちいち細かいな」


 アレンは露骨に不快そうな顔をした。眉をひそめ、まるで汚いものでも見るような目を向けてくる。


「そんなもん、今まで書いたことねえよ。適当に埋めときゃ通るのが普通だろ? 俺たちはBランク上位だぞ。装備なんて完璧に決まってんだろ」

「以前の運用は存じませんが、高難度クエストであれば尚更、安全管理の観点から詳細な計画書の提出が必須となります」


 俺は突き返した。

 赤竜討伐だ? 死にに行くつもりか。

 この赤竜はダンジョンマスターであり、強力なドラゴンだ。そのブレスは鉄さえ溶かし、鱗は鋼鉄並みの硬度を誇る、と資料に書いてある。

 こんな杜撰な計画で承認印を押せば、それは俺が彼らの自殺を幇助したことになる。やすやすと認めるわけにはいかない。


「……おい、てめえ。調子に乗るなよ」


 アレンがカウンターをバンと叩く。

 周囲の冒険者たちが何事かとざわめき始めた。

 好奇の視線が集まる中、場の空気は急速に悪化していく。

 アレンの視線が、俺の背後のルティアに向いた。 謝罪に来た担当者の弱みを見つけ、そこを徹底的に攻め立てようとするクレーマーのような、卑しい目つきだ。


「おいルティア。お前からも言ってやれよ。この世間知らずの事務屋に、『現場の常識』ってやつをよ」


 ルティアがビクリと肩を反応させ、うつむいた。

 彼女は何も言えない。かつて自分を追放した相手に対する恐怖が、言葉を封じているのだ。

 アレンは鼻で笑い、自分の胸当てを誇示するように叩いた。カン、と金属音が鳴る。


「見ろよ、この装備。赤竜のブレスにも耐える特注の耐火甲冑だ。俺たちは今回の討伐に向けて、金をかけて装備を新しくしたんだよ」


 彼はルティアを見下ろし、勝ち誇ったように続ける。


「『低スペックな旧式』を切り捨てて、ハイスペックな装備に金を回したんだ。合理的だろ? ルティア、お前なら解るよな?」


 それは、明確な悪意だった。

 『低スペックな旧式』が誰を指しているのか、その場にいる全員が理解しただろう。

 ルティアはただ、床を見つめて耐えている。


「新しいヒーラーも頼りになるぜ。性能の悪い地味なヒールより、ガツンと回復してくれる即効性のあるヒール。やっぱり間違ってなかったよ、お前をクビにした後は、順調にA級昇格目前さ」


 アレンは饒舌じょうぜつだった。申請を拒否された鬱憤を、かつての仲間を言葉で追い詰めることで晴らそうとしているらしい。

 後ろに控える取り巻きたちも、止める気はないようだ。


「修道院じゃ聖女とか言われてたから仲間にしてみたものの……とんだ役立たずだったな」


 ルティアの手は小刻みに震えている。だが、彼女はそれをもう片方の手で強く抑えつけ、うつむきながらも決して屈しようとはしなかった。

 ただ静かに、理不尽な暴力に耐えている。

 その姿は、俺の目に、気高く映った。


 ――俺の中で、何かが切れる音がした。

 それは堪忍袋の緒かもしれないし、安全装置かもしれない。

 あるいは、ただの人間としての理性か。


 ……旧式? 合理的?


 笑わせるな。

 こいつらは何も分かっていない。

 パーティを入れ替えた影響がまだ出ていないのをいいことに、自分たちの判断が正しかったと錯覚しているだけだ。

 ルティアという『リスク管理装置』を排除したことの意味を、こいつらは理解していない。


 それは『合理化』ではない。ただの『安全マージンの切り捨て』だ。

 『自動車保険』を解約した金で、高級スポーツカーを買うようなものだ。『高い車なのだから、事故防止機能も完璧についているはず』という妄想に取り憑かれ、事故を起こせば一発で人生が詰むという事実に気づいていない。

 いつか必ず来る破綻の時まで、こいつらは気づかないだろう。自分たちの命綱を、自ら断ち切っていたことを。


 何より、俺が認めた優秀な人材を、「役立たず」と侮辱したこと。

 それが、俺の仕事に対する誇りを決定的に逆撫でした。


「……発言を訂正し、謝罪しろ」


 俺の声は、自分でも驚くほど低く、冷えていた。

 アレンが眉を跳ね上げる。


「あ? なんだお前? 部外者が口を挟むなよ」

「彼女は当ギルドの職員だ。部外者はお前の方だろ」

「……ッ、ナメやがって!」


 アレンの全身から、殺気が吹き荒れた。

 剣の柄に手をかけると同時に、尋常ではない威圧感が放たれる。


 その瞬間。

 左手の甲にある刻印が、チクリと鋭く脈打った。


 異質な熱。

 それは、未だかつて味わったことのない、奇妙な感覚だった。


 まるで、眼球に新たな『レンズ』が上書きされたかのように、世界の見え方が変質する。

 俺の視界に、いつもの赤いシミとは別の『何か』が映り始めた。


 ――これは、なんだ?


 アレンの体の周囲を巡る、光の奔流。

 幾何きかがく学模様のようでもあり、複雑な設計図のようでもある。

 いや、これは――電子回路の『配線図』だ。

 何故こんなことができるのかは解らないが、今の俺には、こいつの魔力循環システムそのものが認識できている。


 おそらく魔力で身体能力を強化しているのだろう。

 あの重そうなフルプレートメイルを軽々と動かせるのは、筋力だけではなく、魔力によるアシストのおかげなのだろう。

 心臓部から供給される魔力が、四肢へと送られ、身体機能を底上げしているわけか。

 なるほど、よくできたシステムだ。だが、構造が見えてしまえば、弱点も明白だ。


 左手の刻印が、鋭い脈動を始めた。

 俺は反射的に右手を重ね、その熱とうずきを抑え込む。

 熱が、俺に告げている。

 『行使可能である』ことを。


 ならば、話は早い。


「……剣に手をかけたな」


 俺は、そのまま冷徹に告げた。


「業務執行妨害だ。強制終了シャットダウン


 俺は意識の中で、目の前に浮かぶ配線図の、最も太いケーブルが接続されている――『メイン電源』をイメージし、仮想のスイッチを無造作に切った。


 直後。


 バチッと、空気が弾けるような、乾いた音が響いた。

 見えない火花が散り、アレンの配線図が、フッと消失する。


「――ごぉぅっ!?」


 アレンの膝が、唐突にガクンと折れた。

 まるで巨大な重りに押し潰されたかのように、床に叩きつけられる。

 ガシャンッ! と派手な金属音がギルドに木霊した。


「な、なんだ!?  身体が……重い……!?」


 アレンは脂汗を流し、床に這いつくばりながら必死に起き上がろうとする。だが、ピクリとも動けない。

 当然だ。

 魔力強化という補助動力を強制的にカットされたのだ。鍛えていようと、生身の人間が、いきなり何十キロもある鉄の塊を背負って、まともに動けるはずがない。


 俺の能力は『エラーの検知』だけではなく、『システムへの干渉』も可能だったのだ。

 議論で負かしてやろうと思っていたが、思わぬ実力行使になってしまった。まあ、結果オーライだ。


 しん、と静まり返ったギルドの中で、俺は這いつくばるアレンを見下ろした。

 剣も魔法も使っていない。ただ立っているだけの事務員。

 得体の知れない恐怖こそが、最も効果的な抑止力になる。


「当ギルドは、安全基準を満たさない出撃を認可しない」


 俺は事務的に、しかし絶対的な拒絶を込めて告げた。


「出直してこい」


 アレンの顔が、真っ赤に染まる。

 彼は震える手で仲間たちに合図を送った。

 取り巻きたちが慌てて駆け寄り、動けないリーダーを抱え上げる。魔力が消えた恐怖なのか、彼らの顔も引きつっていた。


「く、くそっ……! 今日は引いてやる!」


 アレンは仲間に支えられながら、捨て台詞を吐いた。


「だが、申請は絶対に通してもらうからな!  俺たちの装備が完璧だって証明してやる! 覚えてろよ!」


 負け犬の遠吠えを残し、彼らは逃げるようにギルドから去っていった。

 嵐が過ぎ去った後のような静寂が残る。


「……ふぅ」


 小さく息を吐き、乱れたネクタイを直した。

 大人気ない真似だった。

 だが、間違ってはいない、と自分に言い聞かせた。

 後悔はしていない。


「……また書類仕事が増えたな」


 俺は肩をすくめ、衝撃で散らばった書類を拾い集める。

 その背中に、熱っぽい視線が注がれていることには、気づかないふりをした。

 今はただ、目の前の業務に戻るだけだ。

 それが、大人の仕事の流儀というものだろう。

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