第8話:市場調査の実施、粗悪品を掴まされる英雄なんているのか

 翌日。


 俺は朝から外出の準備を整えていた。

 目的は、王都の武器防具街での市場調査マーケティングリサーチだ。


 昨日の騒動で、俺はアレンたちの装備に『警告色』を見た。

 だが、それはあくまで俺の主観的な能力によるものだ。「俺の目には赤く見えたからダメだ」と言っても、客観的な証拠にはならない。

 承認を得るには、感覚ではなくデータが必要だ。

 彼らを黙らせるには、カタログスペックや素材の特性を把握し、論理的に『どこがどうダメなのか』を証明する必要がある。


 あるいは、俺の見間違いで、実は素晴らしい装備である可能性もゼロではない。もしそうなら、それはそれで結構なことだ。俺の目が節穴だったというだけで、誰も損はしない。

 いずれにせよ、現場を知らずして管理はできない。


「市場調査で少し出かけてきます」


 道案内として、ルティアに同行してもらうことにした。

 昨日の今日だ。外の空気を吸った方が精神衛生上良いだろう。


---


 王都の大通りは、活気に満ちていた。

 ダンジョン需要のおかげか、武具店が軒を連ね、呼び込みの声が響き渡っている。

 店先に並ぶのは、男心をくすぐるアイテムの数々だ。

 『白銀の〜』『竜鱗の〜』『魔法術式付与済み』といった、購買意欲を煽るうたい文句がおどっている。

 かつてゲーム画面越しに見ていた単語が、実体を持って目の前にある。これには、俺の中に残る少年の心がうずかずにはいられなかった。

 もっとも、今の俺が必要としているのは伝説の聖剣などではなく、現場用の安全靴とヘルメットに相当するような、実用一点張りの装備なのだが。この世界にも『品質保証印クオリティマーク』のような統一規格が存在するのだろうか。


「こちらです。王都でも最大手の『鉄の牙商会・9区支店』です」


 ルティアが案内してくれたのは、一際大きな店構えの武具店だった。

 入り口には『ゴブリンの剣、高価買取中』という看板が出ている。

 あの文面には見覚えがある。俺がこの世界に来て最初に目にした、あの看板と同じ内容だ。

 チェーン展開しているのか。


 店内に入ると、俺はすぐに目当ての物を見つけた。

 ショーケースの特等席に鎮座する、真紅のフルプレートメイル。

 昨日、アレンが着ていたのと同じモデルだ。


「いらっしゃいませ! お目が高い! それは当店自慢の、『火竜サラマンダーシリーズ』です!」


 店員が揉み手をして寄ってきた。


「火竜の素材を贅沢に使った逸品ですよ。耐熱性はSランク! 火山の火口だろうと、これさえあれば熱さを感じません!」

「……なるほど。断熱性に特化しているわけですね」


 俺は鎧の継ぎ目や裏地を、値踏みするように観察した。

 確かに、素材の断熱性は高そうだ。鱗の一枚一枚が、分厚い断熱材の役割を果たしている。

 住宅用断熱材で言えば、グラスウールどころか高性能フェノールフォームぐらいの性能がありそうだ。

 だが、俺の視点はそこではない。


「……通気口ベントがないな」


 俺は小声で呟いた。

 首元から足首まで、完全に密閉されている。

 熱を遮断するということは、逆に言えば『内側の熱も逃さない』ということだ。

 高気密高断熱住宅は素晴らしいが、それは適切な換気システムがあって初めて成立する。換気扇のない高気密住宅に人間を閉じ込めればどうなるか。

 湿気と熱気がこもり、やがて結露し、カビが生える。人間なら熱中症だ。

 ましてや、中身は激しい運動をする冒険者だ。人間を発熱体として考えた場合、この密閉空間は拷問器具に近い。


 俺は懐から、ギルドの資料室から持ち出した『赤竜フロア環境レポート』を取り出し、照らし合わせた。

 赤竜の生息域は、気温70℃を超える高熱地帯だという。

 そんな環境で、自身の体温と運動による発熱を逃がせない密閉鎧を着込めばどうなるか。


「……熱中症待ったなしだな」


 短時間の決戦なら耐えられるかもしれない。

 だが、ダンジョン探索は数時間に及ぶ長丁場だ。道中の雑魚戦もある。ボスにたどり着く前に、中の人間が茹で上がってしまう未来しか見えない。

 カタログスペック上の『耐熱性』は高いが、運用環境ユースケースを無視した設計だ。高価な割に、使用条件が厳しすぎる。


「あの、店員さん。これ、冷却機能はありますか?」

「へっ? あー、そこはほら、この『即効冷却剤』を飲んでいただくとか、魔法で冷やしていただくとか、ですね」


 店員が指し示したのは、青色の怪しげな液体の入った瓶だった。

 すぐ横の木札には、『一瞬で冷やす!』『即効性に特化した極甘フレーバー!』といった、無駄に元気なキャッチコピーが記されている。


 確かに味は大事だ。だが、極甘ということは、匂いもキツかったりするのだろうか?

 この見た目と宣伝文句からして、成分表はないが、『現代地球における規制対象成分全部盛り』のエナジードリンク以上に体に悪そうな気配がする。


 これをガブ飲みしながら戦えというのか、あるいは魔導師に冷却魔法をかけさせ続けろというのか。

 真夏に暖房全開の部屋でサーバーをフル稼働させるようなものだ。熱暴走でシステムダウンするのは時間の問題だろう。

 ドーピング前提の安全設計など、設計とは呼ばない。


「……規格がバラバラすぎる。ギルド主導で『推奨装備規格』を策定すべきかもしれないな」


 俺はメモ帳に課題を書き込んだ。

 それと、赤竜と火竜。紛らわしいネーミングもどうにかしてほしい。誤発注の元だ。


 ともあれ、収穫はあった。

 やはり、昨日の『警告色』は正しかった。あの装備は、赤竜戦において致命的な欠陥を抱えている。

 問題は、それをどうやってあの脳筋たちに理解させるかだが。

 ギルドには訓練場があり、温度などの環境調整もできると聞く。そこで実地検証テストをすれば、一発で分かるだろう。百聞は一見に如かずだ。


---


 調査を終えた帰り道。

 俺たちはもう限界だとばかりに、大通りのベンチに腰を下ろした。

 時刻はもう昼を大きく過ぎている。

 ルティアが屋台で昼食を買ってきてくれるというので、遠慮なく任せることにした。


「はい、カツラギさん。『串焼きパン』と『果実水』です」

「ありがとうございます。……なるほど、合理的だ」


 渡されたのは、鶏肉をパン生地で巻き、串に刺して焼いたものだった。

 現代で言うアメリカンドッグや、肉巻きおにぎりに近い発想だろうか。片手で食べられ、皿もいらない。忙しい冒険者や商人向けのファストフードなのだろう。


 かじり付く。

 パリッとした皮の食感と共に、肉汁が口の中に溢れ出す。ハーブの香りが強く、肉の臭みを消している。

 パン生地はモチモチしており、肉の脂を受け止めていて相性がいい。


「ん、美味い」

「ここの屋台、美味しいって評判なんですよ」

「ええ、間違いない評価です」


 俺は冷たい果実水で脂を流し込んだ。

 柑橘系のさっぱりとした酸味が、歩き疲れた体に染み渡る。

 青空の下、隣には美人の同僚。手にはB級グルメ。

 状況だけ切り取れば、休日のデートに見えなくもない。


「……昨日は、ありがとうございました」


 カップを両手で包みながら、ルティアがぽつりと呟いた。


「私なんかのために、あんなに怒ってくれて……嬉しかったです」

「怒ったわけじゃありませんよ。不合理を正しただけです」


 俺は照れ隠し半分に答えた。

 だが、ルティアは寂しげに微笑んだ。


「でも、アレンさんの言う通りなんです。私の回復魔法が頼りにならない、というのは」

「……」

「傷を治すのが遅いのは事実ですから。不安になるのも、わかります」

「だとしても、切り捨てる理由にはなりませんよ」


 俺は断言した。


「成長を待つことだってできたはずです。それに、適材適所です。メンバーを加えるにしても、あなたをパーティから外す必要はなかった。パーティなら、助け合いが大事ですよ」


 ルティアはハッとしたように顔を上げた。

 それから、少し照れくさそうに頬を緩める。


「パーティ……。えっと、私たちもパーティ、みたいなものですよね?」

「ええ。職場の同僚という名のパーティですね」

「助け合いが大事……ですから、カツラギさんもお悩みがあれば仰ってくださいね。 私も、カツラギさんのおちからになりたいです」


 彼女は真っ直ぐな瞳で俺を見た。

 聖女のような慈愛に満ちた眼差しだ。

 その純粋さに、俺のような薄汚れた大人は気圧されてしまう。


 悩み、か。

 この世界の飯は口に合うから、文句はない。

 ただ、ギルドのコーヒーを俺が淹れると、泥水みたいに不味いんだが、これは悩みと言えるか?

 トイレにウォシュレットがないのは切実な悩みだが、そんなこと、伝わるわけがない。

 そうだ、俺を召喚した張本人の魔女っ子が未だに見つからないのは、一応悩みではある。

 しかし、年下の女性に相談できるような悩みとなると……。


「……強いて言えば、肩こりが酷いくらいですかね」


 俺は気持ち悪さをごまかすように首を回した。動きは鈍く、中に砂でも詰まっているような違和感がある。顔を歪めそうになるのを、寸前で堪えた。

 毎日続くデスクワークと、慣れない異世界生活の絶え間ない緊張感のせいだ。そのせいで、俺の肩はそこらの並の冒険者が使う防具よりも硬くなっている自信がある。硬すぎて、もはや血液循環という概念を否定している気がする。


「肩こり、ですか……」


 ルティアは、我に返ったように、自分の胸元に視線を落とした。

 改めてその存在を自覚したかのように、豊かな双丘が、彼女の呼吸に合わせてゆっくりと揺れる。


「……そ、それは……難しいお悩みですね……。重いものが軽くなる魔法でもないと……」

「いや、俺の話ですよね?」


 どうやら話が噛み合っていないらしい。

 というか、彼女もその豊満な『装備』のせいで肩こりに悩んでいるのだろうか。

 俺は慌てて視線を逸らした。

 いかん。これはセクハラ案件だ。労災認定されかねない。


「あ、いえ、えっと、その、カツラギさんのお話でしたね! すみません、私ったら……」


 ルティアは顔を赤くして手を振った。その慌てぶりが可笑しくて、俺は思わず口元を緩めた。


「まあ、つまりはお互いに大変ということですね。……どうです? 重いものを軽くしてくれる魔法を使える知り合いとか、いませんか?」

「うーん……残念ながら。でも、氷魔法で冷やすことならできますよ?」

「ほう、ひんやり涼しい感じで頼めますか?」

「はいっ! いつでも仰ってください。カツラギさんの肩こり、私が凍らせてみせますっ!」

「いや、凍らせるのは勘弁してください。冷やすだけでお願いします」


 ルティアが「あはは」と笑った。

 その笑顔を見ていると、肩の荷が少しだけ軽くなった気がした。物理的な凝りは取れなくても、精神的な疲労には一番の特効薬かもしれない。


---


 夕方。

 俺たちはギルドに戻った。


「ただいま戻りました」


 俺が扉を開けた、その瞬間だった。

 ロビーの空気が、ピリリと張り詰めているのを感じた。


 受付カウンターの前には、またしても赤い集団が居座っていた。

 『銀の明星シルバースター』のアレンたちだ。

 昨日の今日だというのに、懲りない連中だ。いや、昨日よりも殺気立っている。


「遅かったな、事務員さんよ?」


 アレンが振り返り、ニヤリと笑った。

 その顔には、昨日の敗北感はない。あるのは、完璧だと思っていた契約書の抜け穴を見つけ出し、相手を論破する準備を整えた交渉人のような、底意地の悪い自信だ。


「待ってたぜ。ほらよ、これなら文句ねえだろ?」


 彼がカウンターに叩きつけたのは、書き直されたクエスト申請書だった。

 そして、その上にもう一枚を、辞表を叩きつけるかのような乱暴さで重ねた。


「しっかり書いた申請書と、装備の『証明書』だ」


 アレンは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。


 この種の無意味なパフォーマンスを、価値ある書類に使うのは止めていただきたいな。

 俺の業務を乱す、純粋なノイズでしかないのだ。

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