第5話:現場巡回とリスク評価、命の値段が安すぎる(後編)
さらに奥へ進むと、前方から人の話し声が聞こえてきた。
曲がり角から現れたのは、4人組の若い男女だった。
「おっ、オルガさんだ! こんにちは!」
「今日は引率ですか? 珍しいですね」
10代後半から20代前半といったところか。
活気がある。これから一仕事してやろうという、若者特有の全能感に満ちている。
「えーっと、そうだ。『
「バッチリですよ! 今日は中層の手前まで行ってみようと思ってます」
リーダー格の剣士の青年が、白い歯を見せて笑う。
オルガと軽い挨拶を交わし、彼らは俺たちとすれ違いざまに奥へと進んでいく。
その時だった。
俺の視界に、強烈なノイズが走った。
「……っ?」
すれ違いざま、彼らの装備の一部が『赤く』発光して見えたのだ。
リーダーの青年の腰にある剣。その柄と刀身の接合部分に、血のような赤いシミがへばりついている。
前衛の重戦士の鎧も同様で、留め具の革ベルトにも赤いシミがくっきりと現れていた。
――なんだ、今のは。
俺は足を止め、振り返った。
だが、彼らはすでに角を曲がり、見えなくなっていた。
「どうかしたか、カツラギ?」
「いえ……なんでもありません」
俺は言葉を濁した。
警告するか迷った。だが、何を言う?
「君の剣、なんか赤く光って見えたから危ないよ」とでも言うのか?
ただの事務屋の俺が? 歴戦の冒険者に向かって?
目の疲れかもしれない。光の加減かもしれない。
確証のない情報で現場を混乱させるのは、ビジネスにおいては悪手だ。
「まあ、あいつらもCランクだ。無理しなきゃ大丈夫だろう」
オルガの言葉に、俺は「そうですね」と頷いた。
---
数十分後。
俺たちが折り返そうとした時、奥の通路から悲鳴が響いた。
「オルガさん!! 来てくださいッ! お願いだ!!」
血相を変えて走ってきたのは、さっきの『
俺たちは顔を見合わせ、駆けた。
現場に近づくにつれ、鉄錆のような濃密な血の匂いが、洞窟の湿った空気に混じって漂ってきた。
嫌な予感が確信に変わる。
到着したそこは、凄惨な光景だった。
数匹のオークの死体が転がる中、リーダーの青年が血の海に沈んでいた。
「
後衛の少女が泣き叫びながら杖を振るっている。
緑色の光が、青年の血に染まった腹部を包むが、その光を押し流すように、赤い血がドクドクと噴き出していた。
「剣が折れて、体勢が崩れたところを狙われて……俺も鎧も外れちまって……くそっ!」
重戦士が悔しげに拳を叩きつける。
心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走る。
俺は、こうなる可能性を『視て』いた。なのに、言わなかった。
これは事故じゃない。人災だ。
平穏な日常業務が、一瞬にして労働災害の現場へと変貌した。
「血が止まらない! なんでよ!?」
「
パニックになる彼らに、オルガが冷静に告げた。
「無駄だ。傷が深すぎて、魔法が定着する前に血で流されちまってる。穴の空いたバケツに水を注ぐようなもんだ」
オルガの言葉に、俺はハッとした。
よく見れば、少女が放つ緑色の光は、傷口に触れた端から赤い奔流に押し流され、散らばってしまっている。
なるほどな、理屈は分からないが、現象としては理解できた。
今の状況は、水圧のかかった水道管が破裂しているようなものだ。
水が激しく噴き出している箇所に、乾いていない補修材を詰めようとしても、水圧で押し流されるだけだ。
修理をするなら、まずは元栓を閉めるか、物理的に『栓』をして水漏れを止めなければならない。
「――ルティア、頼めるか?」
「はい」
ルティアが前に出る。
いつもの遠慮がちな様子は影を潜め、職人のような冷徹な瞳をしていた。
「お下がりください。そのやり方では間に合いません」
ヒーラーの少女を優しく、しかし強引に退かせると、青年の傷口に手をかざした。
彼女が唱えたのは、回復魔法ではなかった。
「……凍てつけ。ただし、命までは凍らせるな」
指先から、冷気のような青白い魔力が糸のように伸びる。
それは傷口を塞ぐのではなく、逆流するように奥へと浸透していく。
……見えないはずの血管を、探り当てているのか?
いや、ルティアには分かっているのだ。損傷箇所の正確な位置を『感知』しているのだろう。
彼女の魔力が、破れたホースの源流をピンポイントで締め上げている。
さらに、溢れる血液だけを一瞬で凍らせ、即席の『氷の栓』を作り出していた。
ルティアは、患部全体を凍らせることなく、噴き出す血液だけを凝固させているのだ。
例えるなら、稼働中の精密機械の配管を止めずに、中の液体そのものを急冷して『
少しでも手元が狂えば、配管ごと凍りついて破裂しかねない。
恐ろしいほどの制御力だ。
「止まった」
誰かが呟いた。
噴水のように溢れていた血が、ピタリと止まったのだ。
「……止血完了。凍結解除。……あとはよろしくお願いします。
ルティアの指示に、呆気にとられていた少女が慌てて杖を振るう。
今度は、光が血に流されることはなかった。傷口は見る見るうちに塞がっていく。
額の汗を拭った彼女は、ふぅ、と息を吐いて振り返った。
その神業に、パーティのメンバーは言葉を失っていた。
「……すごい」
俺の口から、素直な感嘆が漏れる。
横で見ていたオルガも、ルティアの処置に関心したように言った。
「ああ、とんでもない腕だ。致命傷のような状態から即座に復帰させるなんて、高ランクのヒーラーでも難しい。でもああやって応急処置ができれば、並の
ルティアが元Bランクパーティにいた理由が分かった。
この、戦場の生存率を劇的に引き上げる『危機管理能力』こそが、彼女の真価だったのだ。
だが、そんな彼女が事務仕事で埋もれていたなんて。
まるでスーパーコンピューターを電卓代わりに使っているようなものだ。
人材の無駄遣いにも程がある。
俺はメモ帳を取り出した。
書き込むべきは、今日の感想ではない。再発防止策だ。
「……オルガさん」
「ん? どうした?」
「戻ったら、装備品の『安全基準』を策定……いや」
俺は言葉を途中で切り、折れた剣へと視線を落とした。
理想を言えば、車検のような強制力のある点検制度を作るべきだ。
だが、今のギルドにそれを運用するリソースはないし、いきなりガチガチに縛れば冒険者は反発するだろう。
ルールは、守られなければ意味がない。
「……まずは、冒険者自身による『安全の確認』から始めたいですね」
「安全の確認?」
「ええ。彼らは自分の装備の状態を把握していなかった。だから折れたんです。『見ていれば防げた』ということを、周知させる必要があります」
ルティアがいなければ、彼は死んでいた。
『オークとの戦闘』や『ダンジョンの不意の罠』は、この世界では『不可避のリスク』だ。だが、今回の事故は違う。これは『予見できたリスク』であり、防げた事故だ。
沈黙は、肯定と同じだ。
危険を見て見ぬふりをした俺は、彼を殺しかけた共犯者だ。
「一つの油断が命取りになる……身を持って知りました」
好奇心や浮ついた冒険心は、冷たい血だまりの中に溶けて消え失せた。
代わりに腹の底に溜まったのは、鉛のように重い使命感。
今回のような事故を、未然に防ぐための仕組みを考えたい。
精神論や個人の注意力に頼るのではなく、最終的には『制度』で安全を守る。
そういった土台作りこそが、裏方である俺のやるべき仕事なのだろう。
「――ご安全に」
俺は、かつての世界で耳にタコができるほど聞いた、あの定型句を小さく呟いた。
それは、この
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