第4話:現場巡回とリスク評価、命の値段が安すぎる(前編)
翌日の昼。
俺たちは王都の石畳を抜け、土埃の舞う郊外の山道を歩いていた。
「そういえばカツラギ。あんた、書類の日付を全部書き換えたらしいな」
不意に、オルガが速度を緩めて俺に並び、声をかけてきた。
「はい。業務改善で、対応しました」
「全部数字にしたそうだな。『941-10-15』だったか?」
「ええ。年はそのままでいいんです。『聖光暦』は通し番号になっていますから、データ管理に支障はありません」
俺は歩きながら説明した。
そういえば、と思い出して問いかける。
「ちなみに、その『聖光暦』というのは、どういう由来なんです? 何か宗教的な?」
「ああ、941年前に勇者が魔王を倒して、世界に聖なる光を取り戻した年を元年としてるんだ。子供でも知ってる御伽噺だな」
勇者が魔王を倒して、光を取り戻す。
あまりにコテコテな設定に、俺は心の中で苦笑した。まるで往年のRPGだ。やはりここは、そういう世界なんだなと再認識させられる。
「……問題は『月』です」
「月?」
「はい。『雪の月』とか『氷の月』とか、情緒があって素敵ですが、事務処理には不向きすぎます。いちいち『どっちが先だ?』と考える時間が無駄ですから」
俺は懐から、羊皮紙を綴じた手製のメモ帳を取り出して見せた
情緒あふれる漢字一文字の月名を廃止し、1から12の数字に置き換える。
そうすれば、誰でも一瞬で『どちらが先か』『期間はどれくらいか』を計算できる。
この世界の暦は幸いにも合理的だった。月の数は12で、日数は月に関係なく30日、360日で1年周期。そして何より幸運だったのは、時間の流れも地球と寸分違わなかったことだ。
「なるほどな。確かに『雪』と『氷』はどっちが寒いんだって、子供によく聞かれるよ」
オルガは感心したように喉を鳴らして笑った。
「数字なら間違えようがない。無粋だが、間違いなく分かりやすい。あんたらしい合理的なやり方だ」
「恐縮です」
「……私も、最初は『味気ない』って思ってしまったんですけど」
前を歩くルティアが、恥ずかしそうに口を挟んだ。
今日はいつもの事務服ではない。丈夫な生地のパンツルックに、底の厚いブーツを合わせている。
「実際にその書き方で整理してみたら、すごく楽だったんです。古い書類を探す時も、数字を追うだけで見つかるので……」
彼女はランタンの光に照らされた横顔を、少しだけ赤らめていた。
どうやら、俺の強引な改革も、現場の役には立ったらしい。
「それは良かった。効率化は、働く人のストレスを減らすためにやるものですから」
俺が答えると、ルティアは嬉しそうに微笑み、再び前を向いた。
これぐらいの改革でこの笑顔が見られるのなら、やりがいというものがある。
自分の仕事が正当に評価されるというのは、どこの世界でも心地よいものだ。
---
そんな雑談をしているうちに、目的地が見えてきた。
険しい山道を登りきった先。崖の中腹に、それは唐突に口を開けていた。
巨大な石造りの構造物。
自然の洞窟ではない。誰かが――あるいは何かが、意図を持って岩盤をくり抜いたような、人工的な入り口だ。
そこから、生温かい風が吹き出している。
「ここからは『魔力圏』だ。気を引き締めな」
オルガの声色が、仕事モードに切り替わる。
俺たちも頷き、闇へと続く石段を降り始めた。
一段、また一段と降りるたびに、肌にまとわりつく空気が変わっていく。
十段ほど降りた時だった。
――グンッ。
全身を、見えない膜で撫でられたような奇妙な感覚が走った。
気圧の変化による耳鳴りとも違う。もっと根本的な、世界そのものが『切り替わった』ような違和感。
「……今のは?」
「『境界』を越えました」
俺が眉をひそめると、ルティアがランタンを灯しながら教えてくれた。
「賢者様によると、ダンジョンは地下に埋まっているわけじゃなくて、魔力で構成された『異界』なんだそうです。ここから先は、外の世界とは違う法則で動いている場所になる、そうです」
「……違う法則、ですか」
彼女の説明は曖昧だったが、なんとなく理解はできた。
魔力によって定義された、閉鎖空間。
自然発生して、中身がリポップする永久機関というデタラメな挙動も、ここが『物理的な地下洞窟』ではなく『システムによって管理された異界』だと思えば合点がいく。
違和感を飲み込みながらさらに石段を降りきると、視界が一気に開けた。
そこは広大なドーム状の空間――『エントランス・ホール』になっていた。
ルティアによると、どこのダンジョンであっても、『境界』を越えてすぐの地下一階には、必ずこうしたホールが広がっているらしい。
まるで、ここから先が『非日常』であると定義するための、共通規格のロビーのようだ。
天井は高く、壁面には淡く発光する苔が自生しており、松明なしでも薄明るい。
そして、ホールの床中央には、直径5メートルほどの巨大な幾何学模様が鎮座している。
「……床にある、あの巨大な模様は?」
俺は思わず足を止め、その威容を見上げた。
床に刻まれた魔法陣は、微かに脈動するような光を放っている。ただの装飾ではない。明らかに、魔術的な機能を持った設備だ。
「えっと、あれは『
ルティアがランタンを掲げながら教えてくれた。
なるほど、いわゆるワープ装置か。徒歩なら数日かかる深層へも、ここからならワープできるというわけだ。
彼女の説明を要約すると、こういうことらしい。
あの魔法陣自体はただの『扉』に過ぎない。
重要なのは、行き先が記録された『鍵』である魔石の方だ。
第5階層用の石を使えば第5階層へ。第100階層ならそこへ。
使用する石によって接続先が書き換わる、1対多数のシステムになっているようだ。
普段は沈黙しているが、ギルドが貸し出すその『鍵』を使えば、ここから一瞬で過酷な深層へと飛ぶことができる。
「ここのは今日は予約なしさ。平和なもんだ」
行き先は一つずつしかないため、複数のパーティが同時に使うことはできない。だからこそ、ギルドによる厳密なスケジュール管理が必要になるわけだ。
今日の俺たちの任務は、このホールの点検と、それに続く上層エリアの定期巡回だ。
「よし、行こうか」
俺たちは静まり返ったポータルを背に、ダンジョンの奥へと続く通路へ足を踏み入れた。
整備されたホールを抜けた途端、俺は顔をしかめる。
「……臭うな」
鉄錆のような血の臭いと、カビ臭さ。そして獣の体臭が混じり合った、独特の異臭。
感想を一言で言うなら、『最悪の職場環境』だ。
湿度は不快指数を振り切るほど高く、空気は澱んでいる。足元はぬかるんだ土とゴツゴツした岩場。照明設備はゼロ。
ここがもし弊社の管理物件だったら、俺は即座に施設管理課の担当者を呼び出し、安全靴で尻を蹴り上げていただろう。
「足元、気をつけてくださいね」
先導するルティアが、ランタンを掲げながら振り返る。
彼女は慣れた足取りで岩場を進んでいく。普段の事務員モードとは違い、その背中は頼もしい。
元Bランクパーティにいた彼女にとっては、このダンジョンの上層程度は散歩にもならないようだが、全身から緊張感を漂わせている。
最後尾には、巨大な戦斧を軽々と担いだオルガが、鋭い視線を周囲に走らせながら歩いている。
その佇まいは、そこにいるだけで労働災害を未然に防ぐ『熟練の現場監督』そのものだ。万が一トラブルが起きても、彼女がすべてねじ伏せてくれるという、絶対的な安心感がそこにあった。
「しかし、ひどいな……」
俺はメモ帳を取り出し、ペンを走らせた。
壁面の崩落リスク。床面の転倒リスク。換気不全によるガス中毒リスク。
職業病というのは因果なもので、俺の目は冒険のワクワク感よりも、施設の不備ばかりを拾ってしまう。
ここを『職場』とする冒険者たちは、労働安全衛生法の保護対象外らしい。ブラック企業も裸足で逃げ出す無法地帯だ。
「ギャギャッ!」
思考を遮るように、岩陰から奇声が上がった。
緑色の小鬼――ゴブリンか?
錆びた短剣を振り回し、こちらに飛びかかってくる。
俺が身構えるより速く、風切り音が鼓膜を打った。
「はいよ」
ドスッ、という鈍い音。
オルガが手首を返しただけの動作で放った投げナイフが、ゴブリンの眉間に深々と突き刺さっていた。
断末魔を上げる暇もなく絶命し、泥人形のように崩れ落ちる。
「上層でも、魔物は出るからな。一般人には危険なんだ」
オルガは散歩のついでに空き缶を蹴飛ばすような気軽さで言い、ナイフを回収した。
俺は生唾を飲み込みながら、ゴブリンの死体へと近づいた。
地面には、親指ぐらいの大きさをした、濁った緑色の結晶が転がっている。
「……魔石か」
俺はそれを拾い上げた。ほんのりと温かい。
魔物が死ぬと、その魔力が凝縮して『石』になる。
まるで、エネルギー保存の法則が可視化されたような現象だ。
この世界における魔石は、魔力が詰まった燃料のようなものだ。
それが、モンスターを倒すだけでポロリと産出される。
ダンジョンで湧いて出るモンスターを倒すだけで、原価ゼロのエネルギーと資源が手に入る。
それを回収し、精錬して再利用するサイクルが出来上がっているとしたら……。
「……なるほど。やっぱりここは『資源プラント』か」
エネルギー源である『魔石』。
解体すれば素材になる『死体』。
そして、転がっている錆びた武器も『鉄資源』だ。
これら全てが、この世界では貴重な資源であり、
そう考えると、この薄暗い洞窟が、急に宝の山に見えてくるから現金なものだ。
俺は気を引き締め直し、『上層エリア・エンカウント記録』と、備考欄に『ドロップ品:魔石および鉄資源の回収効率について』とメモ帳に書き込んだ。
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