第3話:雇用契約の締結、それは本当にダンジョンなのか
深夜の執務室に、重苦しい沈黙が落ちた。
入り口に立つ、オルガと呼ばれた赤髪の女性は、狐につままれたような顔で、整然と書類が整理されたデスクと、その横に立つ俺を交互に見ている。
「……ルティア、説明してもらえるか?」
「は、はいっ、えっと、その……」
ルティアは慌てて立ち上がり、しどろもどろになりながら事の経緯を説明した。
俺が行き倒れていたこと。雨宿りさせてもらっている間に仕事を手伝ってくれたこと。そして、魔法のような手際であっという間に山を片付けてしまったこと。
オルガは腕を組んで黙って聞いていたが、やがてゆっくりと俺の方へ歩み寄ってきた。
カツカツと、ブーツの音が石床に響く。
笑顔の消えた取締役が、不祥事の起きた会議室に入ってきた時のような威圧感だ。
彼女は俺の目の前で止まると、机の上に置かれた、俺が走り書きした『要・業務フロー改善』のメモを手に取った。その目は、獲物を探す鷹のように鋭い。
「……このメモ。業務フロー改善って何だ?」
低い声で問われる。詰め寄るというよりは、単純に聞きなれない言葉に興味を持った口調だ。俺は姿勢を正し、淡々と答えた。
「はい。これは『仕事の手順の最適化』のことです。具体的には、前の事務員が『後でまとめて記入する』という怠慢を常態化させていたせいで、業務プロセスが完全に停止していました」
オルガはメモを睨みつけ、次に俺の顔をじっと見た。
俺は言葉を続ける。
「その結果、備品在庫の正確な棚卸しが長期間にわたって停止し、備品が切れても誰も気づかないという状態に陥っていました。これは、業務停止リスクに直結します。数字が合わないのは不正ではなく、単なる『チェックの放棄』です。それを改善するのが私の仕事です」
「……ほう」
オルガは俺の話を聞きながらメモを睨みつけ、ゆっくりと顔を上げた。
値踏みするような視線。俺は逃げずに見返した。やましいことは何もない。
「あんた、冒険者……じゃないな。どこの回し者だ? 王都の監査官か?」
「ただの遭難者です。理由あって行く当てがなく困っています」
「遭難?」
「はい、どうやら魔女に召喚されたようなのですが」
「魔女に召喚? ……詳しく頼む」
俺は、紫色の髪をした魔女に召喚され、置き去りにされた経緯を話した。
夢のような話だが、左手の刻印と、俺の服装が何よりの証拠だ。
「人間が召喚って聞いたことはないが……ともかくその魔女を見つけて、話を聞く必要があるな」
「探すのを手伝って頂けるんですか?」
「そうだな、捜索クエストを依頼すれば見つけてもらえるんじゃないか。魔女なんてこの国にはたくさんいるから、すぐには無理だろうけどな」
オルガは腕を組み、頷いた。
「それまであんた宿無しだろ? しばらくウチで働いてみないか?」
直球のスカウト。俺には願ってもない申し出だった。
激務は確定だろう。だが、金も身分証もない俺にとって、衣食住の保証はこの上ない救いだ。それに、ギルドにいれば情報も集まりやすい。
「ありがとうございます、お受けします」
「よし、決まりだ。オルガマリナだ。オルガでいい。よろしく頼む」
「……改めまして、カツラギです。よろしくお願いします」
彼女が差し出したゴツゴツとした手を、俺は握り返した。 分厚い手の平。現場叩き上げの人間が持つ手だ。
こうして俺の、異世界での『再就職』が決まってしまった。
---
冒険者ギルド職員として採用された俺に、福利厚生の一環として、ギルドの屋根裏部屋を提供された。
埃っぽさはご愛嬌だが、ベッドはあるし、書き物ができる程度の簡易なデスクも備え付けられている。雨風をしのげるだけで御の字だし、何より家賃がかからない。社畜にとってこれ以上の好条件はないだろう。
上着を脱いで、ベッドに寝転がっていると、コンコン、と控えめなノックの音がした。
どうぞ、と声をかけて扉を開けると、そこにはお盆を持ったルティアが立っていた。
「えっと、カツラギさん。……よかったら、どうぞ」
彼女が差し出したのは、木製の椀に入った具沢山のシチューと、黒いパンだった。
湯気が立っている。
「下の酒場の残り物を分けていただいたんです。……先ほどお仕事されていた時、あまり余裕がなさそうでしたので、お食事もまだかなと」
どうやら、一心不乱に計算していた時の俺の様子を、彼女はずっと気にかけてくれていたらしい。集中していて全く気づかなかったが、俺の腹は正直に空腹を訴えていたのかもしれない。
残り物。その響きさえ、今の俺にはどんな高級料理よりも温かく、そして魅力的に聞こえる。
「……お恥ずかしい限りです。ありがとうございます、ご馳走になります」
俺は深々と感謝を述べ、お盆を受け取るとデスクに置いて食事に向き合った。
スプーンでシチューを掬う。
中身は、カブのような根菜と、ゴロっとした肉の塊。
一口飲む。
確かに煮詰まっていて塩気が強いが、その分、野菜の甘味と肉の脂が溶け出した濃厚な味が舌に広がる。
酒のアテとして作られたものなのだろう。パンチの効いた味付けが、疲弊した体に染み渡るようだ。
「……ふぅ」
熱い液体が食道を通り、胃袋に落ちていく。
その熱が、冷え切っていた体の芯をじんわりと解凍していく。
肉。
豚肉の味がする。
整理していた書類には『豚』という名もあったし、『オーク』という名もあった。動物とモンスターが両方存在することになる。
だとすると、俺が今食べているこれは、どっちの肉なんだろうか。
「ちなみにルティアさん。このお肉、豚肉ですか?」
「えっと、はい、豚肉ですね」
普通に豚肉だった。
何にせよ、馴染みのある味で安心した。
「そういえば……街で、動物の耳が生えた人を見かけました。あれは、コスプレか何かですか?」
俺が尋ねると、ルティアは首を傾げた。
「こすぷれ……? いえ、あれは『獣人』の方々ですよ」
「……獣人?」
ということはあの耳や尻尾は本物というわけか。
「なるほど、獣人がいるんですね。……ということは、普通の犬や猫もいるんですか?」
俺は何気なく尋ねた。
獣人がいるなら、その元となった動物もいるはずだ。
「イヌ? ネコ? ……すみません、聞いたことがない名前ですね」
「……えっ」
言葉を失う。
豚はいるのに? 獣人はいるのに? 元となる犬や猫は存在しないのか?
どういう進化の過程を経ればそうなるんだ。猫のいない世界で、俺はこれから癒やしを見つけられるのだろうか。
ついでに教えてもらったが、獣人以外には、エルフとドワーフがいるそうだ。
ドワーフは見かけたが、エルフはまだだな。まあ、いずれ出会うのだろう。
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数日が経過した。
サイズが合わない制服の代わりに、スーツの上からマントを羽織るという奇妙なスタイルで業務をこなしている。
俺が事務方に入ったことでルティアの負担は激減した。
本来、このギルドには事務専門の職員がいたらしいのだが、激務に耐えかねてか逃げ出したそうだ。その穴埋めとして、受付係だったルティアがバックオフィス業務に駆り出されている。
では、誰が代わりに受付をしているのかというと、普段は資材の運搬や倉庫管理をしている男たちだ。
筋肉隆々のむさ苦しい男たちがカウンターに並ぶ光景は威圧感しかなく、顧客満足度の観点から言えば最悪だろう。
……まあ、現場の改善は追々やるとして、今は現状把握が先決だ。
手元には、過去数年分の『素材納品データ』と『クエスト発生件数』を書き写した自作のグラフがある。
「……妙だな」
グラフの線を目で追いながら、俺は独り言を呟いた
隣の席で請求書を作っていたルティアが、顔を上げる。
「どうしました? カツラギさん」
「いや……この『魔石』や『鉱石』の納品データを見ていたんですが。規則正しすぎるんです」
俺はペン先でグラフの波を示した。
「鉱山からの産出なら、もっとバラつきが出るはずだ。でも、このギルドへの納品量は、まるで何かの機械の稼働サイクルのように、一定の周期で増減を繰り返している」
自然現象にしては、あまりに人工的な波形。
まるで、正確に管理された工場の生産ラインだ。
「ルティアさん。基本的なことを聞きますが、この『ダンジョン』という場所は、どういう仕組みなんですか?」
俺の問いに、彼女は丁寧に説明してくれた。
「えっと、ダンジョンは、山や森に、自然にできるんです。中は魔物がいるんですけど、放っておくと増えていくので、冒険者が討伐して数を減らしていきます」
「増えていく?」
「はい。ダンジョンは増えすぎないよう、定期的に一番奥にいる『ダンジョンマスター』を倒して、ダンジョン自体をなくす必要があるんです」
ルティアの話をまとめると、こうだ。
まず、ダンジョンは人里離れた郊外に自然発生する。
中には魔物がいて、資源がある。
ダンジョンは増えすぎないよう、定期的に『核』となるダンジョンマスターを討伐して消滅させる必要がある。
消滅時には大量の魔力を帯びた、『価値ある魔石』が手に入り、中の冒険者は外へ強制転移される。
冒険者が消滅に巻き込まれたことはない。
この世界の住人は、それを『そういうもの』として受け入れているらしい。
だが、俺は絶句した。
勝手に増えていく? 資源がある? どんどん別の場所に発生する?
つまりそれは……『全自動生成・資源採掘プラント』ということか?
俺の脳内で、ファンタジーな用語がビジネス用語へと置換されていく。
初期投資不要。維持コストゼロ。放っておけば資材とエネルギーが湧き出し続ける永久機関。
そんなものが実在するなら、エネルギー問題なんて一発で解決だ。究極のエコシステムじゃないか。
「……どんな物理法則で動いているんだ?」
構造はどうなっている?
魔物の配置アルゴリズムは?
壁や床の強度は? 換気設備は? メンテナンスフリーなのか?
気になって仕方がなかった。
その時、執務室のドアが開き、オルガが入ってきた。
手には食べかけの堅焼きパンを持っている。行儀が悪い。
「ようカツラギ。調子はどうだ?」
「悪くありませんよ。……そうだ、オルガさん。一つ相談が」
俺は立ち上がり、切り出した。
「今の仕事に余裕ができたらで構わないんですが……一度、実地を見てみたいんです」
「実地?」
「はい。ダンジョンを……現場を見ることで、もう少し実情を知れるかもしれませんから」
嘘ではない。
事件は現場で起きている。
書類上の数字と、実際の現場の乖離を確認するのは監査の基本だ。
それに、書類整理の時に発動していた『警告色視』や『言語理解』が、ダンジョンという特殊環境下でどう作用するのかも気になっていた。
オルガはパンを齧りながら、ニヤリと笑った。
「社会見学ってやつか?」
「そうですね。ただ私は戦う能力が無いので、本当に余裕があれば、の話ですが」
「いいんじゃないか。明日はちょうど、上層エリアの定期巡回がある。ついてくるか?」
上層? と思ったが、ダンジョンは上から下へ潜っていくんだったか。
「あ、では私もご一緒させてください。護衛させていただきます」
「おっ、頼もしいね。ルティアはこう見えて元Bランクパーティの冒険者だから、安心できるよカツラギ」
「オルガさんも一緒なので大丈夫だとは思いますが……」
ルティアが謙遜すると、オルガは「んなこたぁないさ」と豪快に笑って彼女の背中をバンと叩いた。
「きゃっ」
背中を叩かれた拍子に、ルティアの豊かな胸が大きく揺れた。
俺は慌てて視線を逸らす。
……目のやり場に困る。これも労働環境における重大なリスク要因かもしれないな。セクハラ冤罪リスク的な意味で。
そのうち弾け飛ぶぞ、あの制服のボタン。
---
その夜。
俺は支給された簡易的な革の胸当てを撫でながら、屋根裏部屋のベッドに腰掛けていた。
明日は、初めてのダンジョン入りだ。
本当に仕事としての提案だったので、観光気分の視察だとは全く思っていなかった。
だが、心のどこかで『ファンタジー世界の冒険』という響きに、少し浮ついた気分になっている自分にも気づいていた。
気を引き締めなくては。
オルガやルティアという強力な護衛がいるとはいえ、何が起こるかわからないのが現場だ。
ここで死んでしまっては、元の世界に帰ることも、魔女を見つけることもできなくなる。
「……カメラがあればなぁ」
ふと思い立ってポケットを探るが、出てきたスマートフォンの画面は真っ暗だった。
電源が切れている。充電器もないこの世界では、ただの黒い板だ。
この世界では、もう二度と起動することはないだろう。
俺はスマホをサイドテーブルに置き、目を閉じた。
明日は早い。
遠足前夜の子供のような微かな高揚感と、現場入り前夜のピリついた緊張感を抱えながら、俺は眠りについた。
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