第22話
エピローグ 静寂の章 ― 影は風に還る
大坂の空を焦がした炎が鎮まり、城も人も、憎しみさえも燃え尽きたころ、私はひっそりと城を抜け出した。
影として生き、影として終わる。私にふさわしい終幕だ。
背に負った深手は、もはや血を流すことすらやめていた。冷えていく身体の奥で、ぽつり、ぽつりと意識がほどけていくのを感じていた。
城の石垣を離れ、草の匂いの濃い河原へ出る。
夜風は涼しく、どこか懐かしい。
「……秀吉様」
思わずその名が唇に落ちる。
お前、と呼ばれた日々。
叱られ、笑われ、殴られ、労われ、振り回され……それでも、ただ、嬉しかった。
天下人となったあの人の背を、私はずっと追いかけていた。
だが、気づけばあの背は雲を貫き、私は地を這う影のままだった。
それでも良かった。
影である私を必要としたのは、あの人だけだったから。
ゆっくりと地に座り込む。
草の葉が微かに揺れ、虫の声がどこか遠くで鳴いている。
「……忠輝様は、逃げ果せただろうか」
まるで息子のように思っていた。
あの若君だけは、どうか生き抜いてほしい。
影が身代わりとなり、罪も憎しみも、すべて押しつぶしてやればよい。
私は剣を横に置き、夜空を仰いだ。
雲の切れ間から覗いた月が、なぜかやけに優しい。
――もう戦わずにすむ。
その事実に、胸の奥がふっと軽くなった。
「秀吉様……私は……」
言葉を紡ごうとした瞬間、まぶたが静かに落ちる。
遠く、耳の底で、あの快活な声が呼んだ気がした。
――お前。
私は微笑んだ。
喜ばれるような生き方ではなかったが、それでも、あの人のために命を燃やせたのなら、それで十分だ。
影は風に溶けていく。
夜の闇に、私の気配は音もなく散り、ただ一陣の風だけが草原を渡った。
――影として生まれ、影として死ぬ。
それが、私に与えられた唯一の道であり、誇りであった。
最後に聞こえたのは、秀吉様の笑い声。それとも、風の音だったか。
私は静かに、風へと還った。
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