第20話

第二十章 余燼の章 ― 忠輝逐電


 ――生き延びた。


 大坂落城の火災から数刻後、私は秀頼を連れ、城下の外へと抜け出していた。

 傷だらけだったが、まだ動けた。

 秀頼も血塗れのまま、私の肩を借りて歩き続けていた。


 大坂の街は燃え、煙が雲のように地を覆っていた。

 その中を、私たちは生き残るためだけに進んだ。



■ 別れの刻


 夜が深くなった頃、秀頼は足を止めた。


 「……これ以上は、お主だけが危険だ」


 私もわかっていた。

 秀頼は公家の装束を脱ぎ、粗末な着物に着替えている。

 これならば追手の目をごまかせるだろう。


 「私は、まだ生きて良いのだろうか」

 秀頼は呟いた。


 私は迷わず答えた。


 「生きてください。

  殿が生きたという事実だけが、豊臣の灯火となる」


 炎に照らされた秀頼の瞳が震えた。


 「そなたは……私の最後の家臣だ」


 私は深く頭を垂れた。


 「光栄にございます」


 秀頼は背を向け、小さな声で言った。


 「達者でな……影の男よ」


 その姿が闇に溶けていくのを、私は見送った。

 もう二度と会えぬのかもしれない。



■ 逐電 ― 追われる影


 秀頼と別れた後、私は徳川の追手から逃げる身となった。

 私は豊臣の“影”だ。

 生かしておけば利用され、殺せば見せしめになる。


 徳川にとって、私は邪魔な存在だった。


 逃げる途中、私はふとある人物の名を思い出した。


 松平忠輝。


 かつて敵として戦い、互いに刃を交えた男。

 だが忠輝だけは、徳川の中で異質だった。

 誇りと情を持ち、豊臣を侮らず、幸村を敬った男。


 もしかすると、あの男ならば――

 秀頼を追おうとする徳川の流れを少しでも乱せるのではないか。


 そう思った時、私は自然と東へ向かっていた。



■ 忠輝の決断


 信濃の山里にたどり着いた頃、私は限界に近かった。

 傷の痛み、疲労、飢え――人の身は脆い。

 刀であった頃のようにはいかない。


 そんな私を、忠輝は静かに迎えた。


 「来ると思っていた」


 その声音には、戦で流した血の影はなかった。


 私は倒れ込むように膝をつき、言った。


 「秀頼様は……生きておられます。

  どうか追手を誤魔化していただきたい。

豊臣の火を……消さないでいただきたい」


 忠輝はしばらく黙っていた。

 そして、ゆっくりと刀を抜き、私の前に置いた。


 「そなたの覚悟に、武士として応える。

  秀頼殿の行方は……わしが風に流しておこう」


 私はその優しさに胸が熱くなった。


 忠輝は続けた。


 「だが、お前はここまでだ。

  追われる身として、もう逃げ切れまい」


 私は微笑んだ。


 「……ええ、それで良いのです。

  私は、刃の役目をすべて果たしましたから」


 忠輝は、深く頷いた。


 「誇れ。そなたは武士であった」



■ 余燼の火の中で


 その夜、私は山中の小屋で横になり、遠くの空を見ていた。

 大坂城の炎の残り火は、まだ胸の中で燻っている。


 秀吉。

 秀頼。

 幸村。

 藤吉郎の笑顔。

 戦場の熱。

 刀だった頃の、ひややかな誇り。


 すべてが、煙となって空へ昇っていく気がした。


 そして私は、静かに呟いた。


 「これで……良い」


 その瞬間、胸の痛みがすっと消えた。

 まるで、刃としての魂が天へ戻っていくように。


 こうして――

 私は“影”としての役目を終えた。


 豊臣の火が完全に消えることのないよう願いながら。

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