第19話

第十九章 落日炎上の章 ― 大坂落城


 ――大坂城が、燃えている。


 天王寺口の戦が終わって数日のことだった。

 戦場の焦げた匂いがまだ鼻の奥に残るその早朝、私は城の外縁に立ち、

 巨大な炎の柱が天を焦がすのを呆然と見つめていた。


 黒煙は龍のようにうねり、風に煽られながら空へ昇る。

 燃え崩れる楼閣の音は、世界が壊れる音に聞こえた。


 ――これが、豊臣の終わりなのか。


 赤備えを率いた幸村はすでに討たれ、城内の士気は消え失せていた。

 兵は奔走し、婦女子が泣き叫び、僧が鐘を鳴らしながら逃げ惑う。

 すべてが混沌としていた。


 だが私は、ただ一つの使命だけを胸に残していた。


 秀頼を守る。


 これは秀吉からの命ではない。

 秀吉の死後、私が勝手に自分へ課したものだ。

 「影の刃」として生まれたからには、守るべきものがある。



■ 秀頼、最後の決断


 奥まった一室で、秀頼は静かに座していた。

 甲冑は身につけているが、その瞳は驚くほど穏やかだった。


 「……そなたが来てくれると思っておった」


 秀頼はそう言い、火に照らされた顔で微笑んだ。

 私は膝をつき、深く頭を垂れた。


 「殿……ここから離れましょう。まだ道はあります」


 「逃げても良いのか?」


 静かな声だった。

 その問いには、覚悟と迷いが同時に宿っている。


 私は答えた。


 「生きていただく。それが豊臣の未来です。

  私はその為に――刃であったことを捨てて参りました」


 秀頼は立ち上がり、私の肩に手を置いた。


 「ならば頼む。そなたと共に行こう」


 その一言は、胸の奥を熱くした。



■ 落城の地獄を抜けて


 炎の唸り声が廊下を舐め、柱が崩れ、天井が落ちた。

 私は秀頼の腕を引き、炎の迷宮を抜けるように城内を走った。


 兵が倒れ、炎に巻かれ、叫び声が飛び交う。


 通路の先で堀の方角から爆音が轟いた。


 「徳川の鉄砲隊だ! 殿、伏せて!」


 私は秀頼を庇い、壁際に身を伏せた。

 銃弾が壁に食い込んだ瞬間、土が炸裂し、熱風が顔に当たる。


 秀頼の呼吸が荒くなる。


 「私のせいで皆が死んでゆく……! 私だけが生きて良いのか……!」


 私は振り返り、強く言い切った。


 「殿が生きねば、豊臣の魂は消えます。

  秀吉様の夢は――ここで終わらせぬために」


 言葉は熱で乾き、喉が焼けるようだった。

 だがその瞬間、秀頼の顔に決意が戻る。


 「……わかった。そなたを信じる」


 私は頷き、秀頼を連れて城の裏手へ急いだ。



■ 落日の空へ


 外へ出た瞬間、まばゆい炎の赤が視界を覆った。

 大坂城は巨大な灯籠のように燃え落ち、

 空はまるで世界の終わりのような朱に染まっていた。


 私は秀頼を守り、燃え落ちる破片を避けながら堀の外へ抜けた。


 しかし、そこには――


 徳川方の兵が、既に包囲を固めていた。


 「逃すな! 秀頼だ!」


 私は刀を抜いた。

 今や人の姿をした身だが、胸の奥では刃の本能が赤く輝く。


 「殿、下がってください。

  ここから先は……私の役目です」


 秀頼が叫んだ。


 「そなたを置いて行けると思うか!」


 私は微笑んだ。


 「大丈夫です、殿。私は折れぬ刀。

  たとえ砕けようとも――豊臣を守るために作られた刃です」


 その瞬間、私は徳川の包囲へ突っ込んだ。


 炎の光を背負い、

 大坂城の落日を背にして。

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