第10話

第十章 「光の章 ― 天下の行方」


 秀吉公の天下は、光に満ちていった。

 聚楽第の完成とともに、都はかつてない賑わいを見せた。

 俺が影として動き回っていた頃、秀吉公はその裏で着実に光を積み上げていたのだ。


 だが、光が強くなればなるほど、影は濃くなる。

 その影の形が、やがて俺をも呑み込むのではないか――

 そんな不安が、胸の奥で静かに膨らみ続けていた。


 ある朝、秀吉公に呼び出された。

 大広間ではなく、珍しく庭先だった。


 「お前、ここ座れ」


 指されたのは、春の草が柔らかく揺れる縁側。

 秀吉公は酒も持たず、扇子ひとつだけを膝に置いていた。


 「殿、今日は随分と静かな場所を選ばれましたな」


 そう言うと、秀吉公はうっすら笑った。


 「たまにはのう。光の下で話したろと思うたんじゃ」


 光――その言葉に、俺は胸の奥がむず痒くなるような感覚を覚えた。

 秀吉公と俺が並んで座り、風を受けることなど、ほとんどなかったからだ。


 「なぁ、お前。天下って……なんやろな」


 秀吉公がぽつりと言った。


 俺は答えに迷った。

 武力で広げるものか、人の心を束ねるものか、あるいは名だけが先行する虚のようなものか。

 どれも違う気がした。


 「殿が感じるままが答えでは?」


 そう言うと、秀吉公は苦笑した。


 「それが分からんから困っとるんや。

 光だけでは、人の心はついてこおへん。

 かといって影ばかり増やせば、天下は腐る。

 ――わしには、どっちも必要やったんやな」


 その「どっちも」という言葉に、俺の名は入っていない。

 しかし、俺の役割がそこに含まれていることは分かっていた。


 しばらく沈黙が落ちた。

 庭の桜が、まだ早い季節の風に揺れている。


 「お前」


 秀吉公が急に立ち上がり、こちらを振り返った。


 「わしがここまで来れたんは……お前がおったからや」


 その言葉は、天下人の口から出たものとは思えないほど素直だった。


 俺は思わず息を呑んだ。

 秀吉公が俺に感謝を述べることは滅多にない。

 ましてや、こんな光の下で、真っ直ぐな言葉を投げるなど。


 「殿、それは――」


 「言うとく。今しか言えんからの」


 秀吉公は、まるで疲れた少年のように笑った。


 「光はのう……孤独や。

 明るいほど、周りの影がよう見える。

 わしを守る影の深さも、よう分かってしまう。

 ……そやからこそ光を強うせな、お前まで沈んでしまう気がしてな」


 胸の奥が熱くなる。

 影を歩いてきた俺に、こんな言葉をかける人間がいるとは思わなかった。


 「殿。俺は沈みはしません。

 殿が歩く限り、俺はその後ろに影を敷くだけです」


 そう言った瞬間、秀吉公は珍しく真顔になった。


 「違う。

 お前は影のまま終わる器やない。

 ――いつか光に立て」


 その言葉は、俺の胸に重く刺さった。

 光に立つなど、俺にとっては恐ろしいことだった。

 もし本能が暴れれば、俺自身が光を壊してしまう。

 それを知っているから、影を選んでいた。


 「殿……俺は刀です。光を受ける場所ではなく、光を守るための刃にございます」


 秀吉公は首を振った。


 「違う。

 お前は刃であって、人間でもある。

 わしは、お前に人として生きてほしいんじゃ」


 その瞬間、俺は初めて気づいた。

 秀吉公は、俺を武器として扱ってきたわけではなかった。

 光のために使う道具としてではなく――

 “光に触れるべき、人として”見ていたのだ。


 その事実が、胸にとてつもなく重かった。


 「殿……」


 言葉が続かなかった。

 刀としての俺が、人としての俺に揺さぶられていた。


 秀吉公は扇子を閉じ、肩を軽く叩いた。


 「行くで、お前。

 天下の行方は、これからが本番や」


 光の中を歩いていく秀吉公。

 その後ろ姿を追いながら、俺は思った。


 ――殿が光なら、俺は影。

 だがその光を照らすために、影は存在している。


 殿の天下の行方。

 そして俺の行方。


 どちらもまだ、誰にも分からない。


 だが確かに言えるのは――

 この光の章は、終わりではなく始まりなのだ。

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