第1話 試験勉強、始めました
ハンター専門学校の卒業試験まで、あと二十九日。
静かな部屋の中で、わたしは分厚い本とにらめっこしていた。
机の上には百科事典みたいなハードカバーが三冊も積まれていて、どれもこれも“座学補強教材”なんて立派な名前がついている。
「……“ダンジョン構造史年表・上巻”……」
タイトルを読み上げた瞬間、自分でも思う。
――これ、本当に必要?
ページをめくると、延々と並ぶダンジョン発生年表。
初期魔石の流通事情、海外との魔石貿易摩擦、「第七回国際魔石会議――議長国は」なんて文字まで出てくる。
「いや……絶対いらないよね……?」
けど、わたしは読んでしまう。
“知らないまま試験を迎える”ことが怖いのだ。
昔からそうだ。
陰キャゆえに慎重すぎるほど慎重で、必要以上の準備をしないと落ち着かない。
むしろ準備すればするほど不安が増えて、また資料を買ってしまう。
……悪循環である。
「“魔石流通の自由化に伴う関税制度の変遷”……いや、これ本当に座学に出る……?」
疑問の声が自然に漏れる。
でも、試験とは“何が出るか分からないから試験なのだ”という謎理論で、今のところ自分を納得させている。
そのとき。
ノックもなく、部屋のドアががちゃりと開いた。
「お姉ちゃーん! お昼できたよー。……って、え、なにその山?」
梨花が信じられないものを見る目で本の山に近づいてくる。
小柄な体を揺らしながら、わたしの机の上を覗きこむ。
「……お姉ちゃん、受験生だったっけ?」
「違うけど……卒業試験のために……必要かなって……」
「いや必要ないよね!? 絶対そこじゃないよね!?」
梨花は一冊を手に取り、さらっとページをめくる。
「ハンターって、こう……もっと体力とか、危険回避とか、そういうのじゃないの?」
「……基礎を押さえたい、というか、不安で……」
「あー、出た。“全部覚えないと落ち着かない病”」
「ち、違うし……ちょっとだけだし……」
「極厚三冊で“ちょっと”はないでしょ!」
梨花は呆れたように笑ったが、すぐ柔らかい表情になる。
「でも……お姉ちゃん、真面目にがんばってるんだね」
「っ……」
不意打ちのような言葉に胸が温かくなり、少し痛くなる。
梨花に褒められるのは、どうしてこうも心に響くのだろう。
「がんばってる姿、すごいと思うよ。さすがお姉ちゃん!」
「や、やめて……泣いちゃう……」
「泣くほど!? ……あはは。でも、ほんと偉いよ」
梨花は軽く笑いながら、わたしの肩をぽん、と叩く。
「でもまずはご飯ね。お腹空いて倒れたら意味ないよー」
「……うん」
立ち上がりながら、机の上の本に視線を落とす。
やるべき努力の方向がズレている気がする。
むしろ、ズレている自覚はある。
でも、何をしたらいいのか分からないのだ。
人から見れば無駄かもしれないけれど、“何もしないまま試験に挑む”のはもっと怖い。
「……何かしてないと落ち着かないんだもん」
ぽつりと漏れた言葉は、弱々しいけれど、本音だった。
梨花のために目指したこの道。
ハンターになるのは怖いし、向いている自信もない。
でも、わたしは二年間、必死にやってきた。
逃げたくない。
せめて、自分だけは自分を裏切りたくない。
「ほらお姉ちゃん、ご飯ご飯! オムライスだよー!」
「……うん、行く」
梨花に手を引かれながら部屋を出る。階段を降りる途中の小窓から、外を走る車が見えた。
あれが走れるのは今日も命を賭けてダンジョンに潜っているハンター達のおかげだ。
わたしもその一員に……
正直、怖い。
でも、立ち止まっている暇なんてない。
「……明日は実技の復習しなきゃ……」
そうつぶやくと、梨花が後ろから振り返った。
「お姉ちゃん。大丈夫、大丈夫! お姉ちゃんはできるよ」
根拠はないのだろうけど、その言葉が力になる。
卒業試験まで、あと二十九日。
―― 一歩ずつでいい。わたしは前に進むしかない。
でも、梨花には言えなかった。「卒業試験は筆記ではなく実技だけ」だなんて。
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