幸せとは?

幸せに始まり、幸せに終わる。

この世に生まれ落ちた瞬間から幸せに満ち溢れている。

誰もがそんな当たり前の中にいるわけではない。


幸せは人それぞれで、あの人の想う幸せは誰かの幸せになるとは限らないのだ。そんな曖昧さをもつ幸せはみなに求められている。


大人は幸せになれと、子どもに伝える。

人は自分だけではなく、誰かの幸せも願う。

もっというのであれば、大切な誰かの幸せをみることが幸せだという。


幸せというものは自分一人だけでは感じられないことなのかもしれない。

誰かがいることで自己を認識するように、誰かがいることで自分の客観的な幸せを実感できるのかもしれない。いや、もちろん一人で感じられないわけでもないのだが。


それはどこか物寂しいもので、一時的な至福というのか。

爆発的な威力を発揮して幸福を実感できるが、長続きせずにすぐさま下降していき、短い時間で終わってしまう。そして、その後に襲ってくるのは虚無感という空っぽさだ。


もちろん、これも一つの幸せの在りようである。


幸せとはその時々によって形状を変え、その時代に合った、またその瞬間にあった姿をみせる。そんな多様性がある一方で、根底に求める幸せはそれぞれの体に流れていて、無意識の中で共有されている。


その共通性というのは、おそらく自分の死の姿なのではなかろうか。

死ぬ間際にあるその終焉の景色が自分のある種の幸せとしてあって、そこには人生を巡ってきたあらゆる幸せが集結する。


大切な人は涙を流し、次を繋ぐものが意志を引き継ぎ、希望と絶望が交わるその空間の中に、確かなる幸せを繋いでいくバトンは存在しているのである。


だから、「ああ、こんな人生でよかった」と思って向こうの世界に逝けることが人生最大の幸福でもあり、幸せの本質でもあるのだ。


死という存在は何も悲しみだけを運ばない。

新たな道へと背中を押してくれる原動力にもなり、その人自身の幸せの在りようを気づかせてくれるものなのだ。


人生を歩むこと自体が幸せにつながっていて、その中に転がる不幸と幸福が起伏を作り上げ、我々によりその幸福の味を教えてくれる。不幸がない人生というのは、おそらく幸せのない人生なのだろう。波があるからこそ、幸せを噛みしめることができ、幸福に触れられる。


そんな幸せを現代人は忘れかけている。

時代はどんどんと進化し、あらゆる豊かさをそれぞれの人にもたらしているのに、どこか満たされない不完全燃焼感が漂っている。


幸せと感じる閾値は急激に上昇し、満たされることが幸せで、満たされていないことが不幸になっている。全ては与えられるもので、自分から掴み取りに行くものではなくなり、空から幸せが降ってくることを待ち続けているところがある。


まだ足りない、まだ少ない。

稜線に沈んでいく夕日という風景に心を動かされることがなくなり、承認欲求で満たされる心や人よりも優れていると感じる自己有用感というものが幸せにつながっている。


感情や情緒という段階を飛び越えて、自分の理想を叶えるという自己実現が幸せの形に成しつつある。現代は自分の周りにこぼれている小さな幸せには目もくれず、自分の夢や理想にむかって走り続けている。


もっと幸せは簡単で良い。

ご飯が食べられていること、大切な人と会えること、そして毎日生きていること。


現代における幸せは、生きていることだけでは足りず、何かを成し遂げることがどうしても付随してくる。さらに、ネットによって幸せが目に見えるような形になり、それらが我々目の前に飛び込んでくるものだから、より幸せは複雑化してしまう。


今は絡み合った幸せをゆっくりと解いていき、誰かの幸せではなく、自分の幸せのカタチを探していくことが大事である。あの人よりも幸せに、誰よりも幸せに、そんな見えない理想を掲げて奮闘するよりも、散歩しながら四季折々の風情を堪能する方がよっぽど持続する幸福につながるのだ。


幸せは人それぞれだ。

だから、ゆっくりと人生という道を歩みながら探していけばいい。


自分の幸せを。

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