現代で生き抜くとは?

時の流れはその時々によって違った様相を見せる。

ある時には人を豊かにし、ある時には人に試練を与える。

あらゆる時代を人々は生き抜いてきたのだ。


現代は、あらゆるものが溢れ、あらゆる考えが溢れ、まさに便利の過保護というような状況である。それでも、人々はそれに満足することなく日々進化をし続け、もう何も恐れることはないほど便利になったと確信していた。だが、蓋を開けてみれば、自然災害が当たり前のように起き、さらには疫病で今まであった価値観をひっくり返された。


ただでさえ、人々の心のつながりというのは希薄なっていたところに、物理的な距離を取るように強制されるようになった。人々の温かみというのは失われ、無機質のような冷たさだけが残りつつある。


昔はと語るのは簡単だ。

そのような思い出話を膨らませたところで以前あった情緒豊かな自然が戻ってくることはない。


我々は過去にも未来にも生きていない。現代に生きているのだ。


現代に生きるものとして、この不安定な状況の中で何を心の拠り所にして生きていけばいいのだろうか。


今の価値観は善悪という二択で決まっているように感じる。


表現者は自分の意見ではなく、誰かの望む意見を書くようになり、その行為が正しいものになりつつある。世の中はどんどん豊かに、そして便利になっていく一方で、人々の心は徐々に退化しているように感じる。


人々は無意識的に心を揺さぶられることを嫌い、どこか平穏を求め続けている。


だから、個性を出さずに社会が求める正しい色に染まろうとしてしまう。


その身動きのとれなさが窮屈さにつながり、もっというのであれば生きづらさになる。


ネットでのつながりの中で無意識的に集団の価値観を取り込み、ルールという枠組みが人々の行動を制限する。そのような雁字搦めの状態になれば、人は考えなくなる。


その時代の流れというものに抗おうとしなくなる。


コロナでいうのであれば、なぜマスクをするのか考えなくなり、なぜソーシャルディスタンスが大事なのか考えなくなる。


なぜ考えなくなるのかといえば、それがルールになるからだ。

そうすることが当たり前で、しないなんてありえないとなってしまうところにある。


これは学校の校則でも同じことが言える。

なぜ髪を染めてはいけないのか。

なぜスマホが禁止なのか。

なぜマスクは白じゃないといけないのか。


これらすべてはルールだから守られていることだが、そのルールの理由を問いただせば必要ではないものも多くある。そこに気づけなければ、ただただ集団における価値観だけが肥大化していき、それが個人の中でも大事なことになってしまう危険がある。


現在はルールだから守らなければならないというある種反射のような状態になっているが、これは本当に正しいのだろうかと疑問を持ち、それを壊していくということも時には必要なのだ。そうしなけば、窮屈さがより強くなってしまう。


無意識的に共有された集団での価値観というまやかしから解き放たれることが、現代を生きる上で大切なことなのかもしれない。そう考えると、協調性を重んじた時代は過ぎ、現代は個という独自性を尊重していくことが必要なのかもしれない。


誰かの何かではなく、自分のこれを差し出せることが窮屈さを壊す突破口になり、退化していく心をまた豊かな方向へと変えていくのかもしれない。


現代を生き抜く。

それをもう一度それぞれが問いただし、常識とされてきた価値観について疑問を持ち続けることがこの時代を生き抜くために必要なのだ。


現代はそれほどアンバランスな状況にある。だからこそ、個の新たな想像力と創造力が重要になる。


誰かの想いではなく、自分の意思で生きていきたいものだ。

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