ついでに、ちょっとでいいですから

「ついでにって、あなた……」

 私は一瞬、言葉を止めてから、ため息まじりに笑った。

「さっき、ちゃんと気持ちよくしてあげたでしょ」


「でも……」

 七海ちゃんは、負けずに言う。

「抱くのとは違う、って言ったの、はるかさんじゃないですか」


「ほんと……そういうことだけは、よく覚えてるのね」

 私は、ひたいに手を当てる。


「……ちょっとでいいですから」

 小さな声で、七海ちゃんは付け足してくる。


「ついでにとか、ちょっとでいいとか」

 私は、わざとゆっくり言葉を選ぶ。

「簡単に言いすぎよ」


 七海ちゃんは、言い返せずに、視線を落とす。

 でも、その口元は、ほんの少しだけ、期待を隠しきれていなかった。


 私はその様子を見て、くすっと小さく笑う。


「……じゃあ先に、じゃあ、持ってきた荷物、服だけでも出しちゃいなさい」

 やさしく言って、うながす。

「入れっぱなしだと、しわになっちゃうし。その間に、ベッドの準備、しちゃうから」


「はい! すぐに出しちゃいます!」

 七海ちゃんは、キャリーケースが置いてある玄関へ、駆け出していく。


「キャリーケース、運ぶの、手伝うわよ」

 玄関の方へ向かおうとする七海ちゃんに、声をかける。


「だいじょうぶです」

 七海ちゃんは、少し気合を入れるみたいに言ってから、取っ手をにぎった。

「そんなに重くないので、部屋までなら、持ち上げられます」


 そう言って、よいしょ、と小さく声を出しながら、なんとか持ち上げる。

 持ち上げた瞬間、少しだけよろけたけれど、すぐに体勢を立て直した。


「ほら、見てください」

 振り返って、少しほこらしげに言う。

「ちゃんと、持てました」


「……ほんと、無理はしないでね」

 私は一歩下がりつつ、念のため後ろから様子を見る。


 キャスターを浮かせたまま運ぶ姿を見て、ふと思いつく。


「そうだ」

「はい?」


「キャスターにかぶせるカバー、買った方がいいわね」

「え、そんなの、あるんですか?」


「あるのよ」

 私はうなずく。

「床も汚れにくくなるし、音も静かになるし」


「へえ……」

 感心したように言いながら、七海ちゃんはリビングを抜けていく。


 私は先に歩いて、廊下の奥の扉を開けた。


「ここ」

 七海ちゃん用になる部屋を示す。

「どうぞ」


「……ありがとうございます」

 七海ちゃんは、少しだけ緊張した様子で、でもうれしそうに部屋の中へ入った。


「自由に使っていいからね」

 私は、壁際に立ったまま言う。

「必要なものがあったら、少しずつ買っていきましょう」


「はい」

 部屋を見回してから、七海ちゃんは笑顔になる。

「こんなステキなお部屋……追い出されないように、がんばります!」


 冗談めかしたその言葉と同時に、キャリーケースを開けて、さっそく服を取り出し始める。

 その様子を少し見届けてから、私は洗面所へ向かった。


(……シーツ、そろそろ乾いたかな)


 洗濯機の扉を開けて、指で触れて確かめる。

 湿り気はなく、ちゃんと乾いている。


「よし」

 シーツを抱えて自分の部屋へ戻り、ベッドに広げる。

 シワを伸ばしながら、ふと、さっきの言葉が頭をよぎった。


(……ついでに、ちょっと抱く、って)


 具体的に、どこまでを指すのか、考え始めると、少し笑ってしまう。


(どうせ……中途半端にしたら、あとで、うるさいんでしょうけど)


 そんなことを思いながら、最後に枕を整えたところで、背後から声がした。


「服の整理、終わりました!」

 振り返ると、七海ちゃんが、少しだけ胸を張って立っている。


「じゃあ」

 私はベッドのはしを示す。

「ほら、さっさと横になって」


 その言い方が、思ったよりもそっけなく聞こえたのか、七海ちゃんは、ぴたりと動きを止めた。


「……」

 少しだけ唇をかみしめてから、ぽつりと言う。

「ほんとに……そんなふうに、軽く扱われちゃうの、イヤです」


 その表情が、あまりにも真剣で、私は一瞬、言葉に詰まってから、すぐに首を振った。


「……冗談よ」

 声をやわらげて、続ける。

「ほら、おいで?」


 そう言って、両手を軽く広げる。

 七海ちゃんは、ためらいもせずに、さっと腕の中へ入ってきた。

 私は、そのままやさしく迎え入れて、額に触れる距離で、軽くキスをする。


 それだけで、七海ちゃんの表情が、ふっとゆるんだ。


「……ありがとう、ございます」

 小さな声。


「どういたしまして」

 私は、短く答えて、ニヤリと笑う。

「じゃあ、ささっと横になってもらえる?」


「……もう! だからそういう言い方は!」

「ふふ、ほんとはしっかりしてほしい、なんでしょ?」


「当たり前です!」

 少しだけむくれたように、でも真っ直ぐに言い切る七海ちゃんの声。

 その反応が、いかにも七海ちゃんらしくて、私は思わず小さく息をついた。


「……ほんと、分かりやすいわね」

 そう言いながら、私は七海ちゃんの肩に手を添える。

 力を込めることはせず、あくまでうながすだけ。

 七海ちゃんはされるがまま、ベッドにあおむけになる。


「……遥さん」

 名前を呼ぶ声は、さっきよりも少しだけ、落ち着いていた。

 私はベッドのふちにひざをついて、七海ちゃんを見下ろす。

 視線が合った瞬間、七海ちゃんが、ほんの少しだけ息を止めたのが分かった。


「さっきよりは……ちゃんとするわよ?」

 そう言ってから、顔を近づける。

 今度はさっきよりも少し長く、それでも確かめるみたいにゆっくりと、やさしくキスをする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る