4 二人の初めての朝
起こしてくれても、よかったのに
【前回までのあらすじ】
私――
――――
翌朝、目を覚ますと、胸のあたりにまだやわらかな重みがあった。
視線を落とすと、七海ちゃんは変わらず、私の方を向いたまま眠っている。
呼吸は深く、規則正しく、まつ毛も微動だにしない。
(……ぐっすりね)
起こさないように、ほんの少しだけ体をずらす。
腕を引くときも、反射的に追いかけてくる様子はなく、完全に眠りの底に沈んでいるみたいだった。
私は、そっとベッドを抜け出す。
床に足をついた瞬間、フローリングのひんやりとした感触が伝わってきて、ようやく「朝だ」と実感がわいた。
リビングに戻り、カーテンを少しだけ開ける。
やわらかい朝の光が差し込んできて、昨夜とはまるで違う空気に変わる。
(……さて)
まずは炊飯器。
米を計り、軽く研いで、水を入れ、スイッチを押す。
七海ちゃんが、すぐに起きてきちゃうかもしれない。
ほんとはじっくり炊きたいけど、早炊きにする。
その間に、おみそ汁の準備。
小鍋に水を張り、火を入れると、静かなキッチンに、かすかな湯気の音が立ち上る。
だしのパックを入れて、冷蔵庫から出した豆腐を小さく切っていく。
そうしているうちに、鍋がふつふつとしてくるので、豆腐と乾燥わかめを入れる。
また冷蔵庫を開けて、卵を二つ取り出す。
ドアを閉めるとき、庫内に並んだ食材を、二人分で考えてしまうことに、ほんの一瞬だけ動きが止まった。
(……もう、そういう目で見ちゃってるのね)
そんな自分に小さく苦笑して、鍋の火を止め、脱衣所へ向かう。
昨夜、干しておいた七海ちゃんのブラウスと下着が、きちんと乾いていた。
私はそれらを一枚ずつ手に取り、さっとたたんでいく。
サイズも、質感も、私のものとは少し違う。
(……この辺りも、そのうち把握してあげないとね)
自然と、そんな考えが浮かんでしまう自分に、もう一度だけ苦笑した。
たたんだ服をきれいにそろえて置き、再びリビングへ戻る。
そのときだった。
控えめな足音がして、私の部屋のドアが、そっと開く。
「……あ」
ドアから、七海ちゃんが出てきていた。
少しだけ寝癖のついた髪、まだ半分眠ったような目。
でも、その視線はまっすぐ、キッチンの私に向けられている。
「……先輩……」
声は小さくて、少しだけ、間があった。
「……先輩がまた、何か……作ってくれてる……」
そう言って、七海ちゃんは、ぽつりと笑った。
うれしそうで、安心しきった、隠しようのない表情だった。
私は、小鍋から出しのパックを取り出したあと、七海ちゃんのほうへ向かって歩み寄る。
キッチンとリビングの境目あたりで立ち止まり、その顔をじっと見る。
「……七海ちゃん」
呼びかけると、七海ちゃんの肩が、ぴくりと揺れた。
「また、『先輩』に戻っちゃったのね?」
責めるというより、確かめるような調子で、それでもわざと、少しだけ
「……昨日の夜のこと、もう、忘れちゃった?」
「……?」
七海ちゃんは、一瞬きょとんとしてから、あわてたように首を振った。
「ご、ごめんなさい……! その、私、寝起きで……」
両手を胸の前でぎゅっとにぎりしめて、視線を落とす。
「……は、
言い直したその声は、さっきより少しだけ、やわらかい。
「はい」
私はそれに応えるように、口元をゆるめる。
「おはよう、七海ちゃん」
七海ちゃんは、少しだけ間を置いてから、こちらを見る。
「……おはようございます。遥さん」
ていねいで、でもどこか照れたような言い方。
その様子があまりにかわいらしくて、私は思わず、小さく笑ってしまった。
「ふふ……うん、それでいいわ」
七海ちゃんの肩から、緊張がすっと抜けるのが分かる。
安心したみたいに、息を一つはいた。
「……朝ごはん、もうすぐだから」
私はキッチンの方へ視線を戻しながら、続ける。
「その前に、顔、洗ってらっしゃい」
「……はい」
素直にうなずいたあと、七海ちゃんは一歩だけ近づいて、でもそこで止まる。
「……あの」
「なに?」
「……起こしてくれても、よかったのに、って……」
小さな声だった。
不満というより、少しだけ、
「起きてたら、起きてたで……あなたきっと、離れなかったでしょう?」
そう言うと、七海ちゃんは、分かりやすく目を泳がせた。
「……それは……」
「でしょ」
私は、軽く肩をすくめる。
「ちゃんと寝ててくれて、よかったわ。おかげで……ささっと準備、できたもの」
七海ちゃんは、何か言いたげに唇を動かしてから、結局、こくりとうなずいた。
「……はい」
そうして、少しだけまだ何か言いたそうに振り返りながら、洗面所のほうへ向かっていく。
その背中を見送りながら、私はキッチンに戻る。
炊飯器の残り時間を確認して、みそ汁を温め直す。
卵をどう使うか考えながら、自然と、さっきのやり取りを思い返していた。
(……ほんと、分かりやすい)
でも、その分、扱いを間違えたら、すぐに傷つきそうでもある。
水音が、洗面所のほうから聞こえてくる。
それだけで、部屋の中に「二人の朝」が、確かにできあがっている気がした。
(……ゆっくりで、いいわよね)
急ぐ必要はない。
距離も、呼び方も、生活も。
私は、みそを溶き入れながら、そんなことを考えた。
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