冷静になって考えたら、目の前に先輩の
「別に、謝らなくていいわ」
私は、湯の中で力を抜いたまま、続ける。
「私、ウソをつかれたくらいで、怒ったりしないわよ」
七海ちゃんは、一瞬きょとんとした顔をしてから、みるみるうちに目元を潤ませる。
「……先輩……やさしい……」
声が、今にも崩れそうだった。
「ちょっと」
私は、苦笑まじりに声をかける。
「そこでまた泣くのは、ズルいでしょ」
「……だって……」
七海ちゃんは、唇をかみしめて、必死に涙をこらえようとする。
でも、肩は小さく震えていた。
私は、ため息を一つついてから、湯の中でそっと手を伸ばす。
そうして、七海ちゃんの足首に、軽く触れる。
「ほら」
なだめるように、ゆっくりと。
「七海ちゃんは、この家にいていいのよ?」
足首から、ふくらはぎへ。
お湯が触れているのと同じくらいの、何でもない動き。
七海ちゃんは、びくっとしたあと、何も言わずにされるがままになる。
「……」
しばらく、二人とも黙ったまま。
湯の音と、呼吸だけが続く。
「……先輩」
やがて、七海ちゃんが、小さな声で呼んだ。
私は、足に添えていた手を止める。
「なに?」
七海ちゃんは、視線を落としたまま、少しだけ間を置いてから、意を決したように口を開く。
「……その……また……気持ちよく、してもらっても……いいですか……?」
一瞬、間が空いた。
私は、思わず片眉を上げる。
「あなた、この流れで、よくそんなこと、言えるわね」
七海ちゃんは、顔を真っ赤にしながらも、消え入りそうな声で続ける。
「……だって……」
ちらっと視線を上げる。
「……冷静に考えたら……今……先輩の、
「あなた、それ――」
私は、すぐに言葉を重ねる。
「全然、冷静じゃないじゃない」
「……」
七海ちゃんは、否定できずに黙り込む。
でも、そのまま引き下がる気もなさそうだった。
「お願いします……」
小さく、でもはっきりと。
私は、少しだけ考えるふりをしてから、足に触れていた手を、また動かし始める。
「ほんとに……
足首から、ひざへ。
ゆっくり、確認するみたいに。
七海ちゃんの呼吸が、少しだけ乱れる。
私は、その反応を確かめながら、もう一歩、触れている手の距離を詰める。
そうして、湯の中で、七海ちゃんのひざの間に、自分の足をそっと差し入れて、足を少しだけ開かせる。
お互いの足は、触れ合うか、触れ合わないか。
そんな、ギリギリの距離。
七海ちゃんの足の付け根あたりまで進んだ手を、少しずつ、内側へと動かす。
「……先輩……」
名前を呼ぶ七海ちゃんの声は、さっきまでよりも明らかに弱々しかった。
熱に溶けたみたいに、息が浅く、間延びしている。
「……なあに?」
私は、まだ様子を測るように、すぐには手を引かずに応じる。
すると七海ちゃんは、わずかに肩をすくめて、小さく首を振った。
「……なんか……」
言葉を探すみたいに、一度、息を吐く。
「……熱い、です……」
「……え?」
思わず聞き返すと、七海ちゃんは、困ったように眉を下げた。
「……のぼせそう、かも……」
そう言われて初めて、私は気づく。
七海ちゃんの
呼吸も、少し苦しそうだった。
「……もう」
私は、小さくため息をつきながら、すぐに七海ちゃんの足から手を離す。
「無理しすぎよ」
さっきまでの空気を、そこで切るみたいに、湯の中から出るように促す。
「ほらもう、早く出なさい?」
「……はい……」
七海ちゃんは、少し
その表情を見て、私は内心で苦笑する。
(……ほんとに、すぐに調子に乗るんだから)
でも、それ以上は口に出さなかった。
七海ちゃんは、湯船の
水音が小さく跳ねて、白い湯気がふわりと揺れる。
「……あっ」
一歩、足を踏み出したところで、わずかに身体が揺れた。
「ほら、ちょっとふらついてる」
私は、まだ湯船につかったまま、声をかける。
「気をつけなさい」
「……はい……」
そう返事をしながら、七海ちゃんは一度、深く息を整えようとした。
それから、思い出したみたいに、こちらを振り向く。
「……あの……終わりの、キス……」
そう言ったかと思うと、七海ちゃんは、そのまま私の方へ顔を寄せてきた。
――思っていたより、ずっと近い。
「え、えぇ……!」
反射的に、私は少し声を上げて、両手を伸ばす。
「危ない――」
七海ちゃんの肩を支えようとした、その瞬間。
両方の手のひらに、とてもやわらかく、はっきりとした七海ちゃんの身体の感触が伝わった。
「……っ」
一瞬、何に触れたのか理解するより早く、七海ちゃんの体重が預けられる。
そのまま、ほんの一瞬だけ――唇が、かすかに重なった。
触れたというより、確かめる程度の、短いキス。
「……!」
七海ちゃんは、すぐに身体を離し、耳まで真っ赤になってうつむいた。
「……あ、ありがとうございました……!」
そう言い残して、逃げるみたいに浴室の外へ向かっていく。
足取りは、さっきよりも慎重だった。
「ちょ、ちょっと」
私は、背中に向かって声をかける。
「……ドライヤーはリビングに置いてるから、ちゃんと髪も、乾かすのよ」
「はーい」
その返事は、少しだけ明るくて、軽かった。
脱衣所の扉が閉まる音を聞いてから、私は一人、湯船の中で息をつく。
無意識に、まだ両手に残る、さっきの感覚を思い出してしまう。
(……)
湯気の中、指先をそっとにぎりしめる。
(……やっぱり、大きいわね)
そう思ってから、私は首を振った。
「……何考えてるのよ、ほんと」
誰にともなくつぶやいて、湯の中に、もう一度ゆっくりと身を沈めた。
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