3 七海の相談ごと

相談したいこと

【前回までのあらすじ】

 私――桐島きりしま はるかは、職場の後輩の女子・一ノ瀬いちのせ 七海ななみから誘われ、一夜を共にする。その翌日、七海ちゃんを自宅へ誘うと、相談ごとがあると言われて――


――――


 誠には、ガスコンロがある部屋がいいっていう理由なんて、ちゃんと説明もしなかったけれど。


 ただ、火を目で見て、音を聞いて、誰かのために、料理をしたかった。

 それだけだった。


「……先輩?」

 七海ちゃんの声で、意識が今に戻る。

「どうかしました?」


「ううん、なんでもない」

 私は、首を振って、もう一口食べる。

「ガスが使えるとね、料理する気になるのよ、私は。不思議と」


「……そう、なんですね」

 七海ちゃんは、少し考えてから、また笑った。

「先輩の家……ちゃんと、人が暮らしてる感じがします」


「どういう意味?」


「……あったかい、っていうか……」

 言葉を探すみたいに、七海ちゃんは、少し間を置く。

「ちゃんと、生活してる感じがする、っていうか……」


 その表現が、意外で。

 私は、ほんの一瞬だけ、息を詰めてから、ふっと笑った。


「それ、ほめてる?」

「はい。すごく」


 七海ちゃんは、即答だった。


 洗濯機の音は、相変わらず一定で。

 チャーハンの湯気は、もう少しで落ち着きそう。


 誰かと一緒に、同じテーブルで、同じ時間を食べている。

 それだけのことなのに。

 胸の奥に、静かに、確かな重みが残っていく。


 私は、何も言わずに、もう一口、スプーンを口に運んだ。

 七海ちゃんは、私より少し早く食べ終わっていた。

 スプーンを皿の端にそっと置いてから、ちょっと背筋せすじを正す。


「あの……」

 声のトーンが、さっきまでとは少し違う。

 私はまだ半分ほど残っているチャーハンを口に運びながら、視線だけを向ける。

「今朝、少しだけお話しした……相談したいこと、なんですけど……」


「うん」

 軽くうなずく。

「食べながらでいいなら、聞くわよ」


「……はい」

 一瞬、ためらうように唇を結んでから、七海ちゃんは言った。

「……今、住んでるシェアハウス……追い出されそうで……」


 私は、スプーンを口から離す。

「追い出される?」


「はい……」

 視線を落としたまま、続ける。

「大家さんが……急に、建物を閉めるって言い出して……」


「……ひどい理由ね」

 そのあまりにひどい理由に、少しの違和感を感じながらも、私は話を合わせていく。


「猶予も、あんまりなくて……」

 七海ちゃんは、小さく息を吸う。

「それで……引っ越し先を、探してたんですけど……」


 私は、続きを待つ。


「同じくらいのお家賃だと……入れるところ、全然、なくて……」

「……そうなのね」

 七海ちゃんは、ぎゅっと指を組みしめてから、意を決したみたいに顔を上げた。


「……それで……先輩のところに……」

 のどが鳴る。

「……一緒に、住まわせてもらえないかな、って……」


 その言葉は、思ったより、まっすぐだった。

 私は、すぐには答えず、残りのチャーハンを一口食べる。

 味はさっきと変わらないのに、少しだけ重く感じる。


「部屋は……空いてるけど」

 ゆっくり、言葉を選ぶ。

「タダ、っていうわけにはいかないわよ?」


「……はい……」

 七海ちゃんは、すぐにうなずいた。

「でも、今のシェアハウスで払ってるくらいしか……出せなくて……」


「……ちなみに」

 私は、スプーンを置いたまま、七海ちゃんを見る。

「今のお家賃は、いくら?」


 一瞬だけ、七海ちゃんの肩が強張こわばった。

 それから、指を膝の上で組み直して、控えめな声で、金額を答える。


 ――その金額を、私は自然に、比べてしまう。

 そう、誠が負担してくれていた額より、少しだけ、低い。


「……そう、そのくらいなら……」

 思わず、短く息を吐いた。

「現実的ね。この部屋の家賃の半分……には、少し足らないけど」


「……っ」

 七海ちゃんの目が、わずかに見開かれる。


 私は、すぐに続けた。

「家事も、ちゃんと負担してもらうわよ?」


「あ、あの……」

「うん?」


 七海ちゃんは、とても言いにくそうに、告げてくる。

「……私、お料理は……本当に、全然できなくて……」


 その言い方が、妙に正直で。

 私は、思わず小さく笑ってしまう。


「それは……まあ、想像は、ついてるけど」

「で、でも! 掃除とか、洗濯とか……できることは、ちゃんとします!」


 そして――ほんの一瞬、ためらいを見せてから。

 視線を上げて、まっすぐに、こちらを見る。


「……大好きな先輩に……毎晩、抱いてもらえるように……がんばります……」


 七海ちゃんの言葉が、テーブルの上に、静かに落ちる。


 一瞬、空気が止まったみたいになる。

 私は、すぐには返事をせず、七海ちゃんを見つめた。

 その視線に、七海ちゃんは少しだけ肩をすくめる。


「……なにそれ?」 

 あえて、おだやかに聞く。

「あなたが家事をがんばるのって……私に、抱かれるためなの?」


 七海ちゃんは、逃げなかった。

 一拍だけ置いてから、小さく、でもはっきりとうなずく。

「……そうです……」


 その答えに、思わず息がもれる。


「正直ね」

 私は、苦笑まじりに言う。

「でも……毎晩は、ちょっとね」


 そう言った瞬間。

 七海ちゃんの表情が、ほんのわずか、くもった。

 あからさまじゃない。

 でも、期待していた分だけ、残念そうなのが、はっきりわかる。


「……はい……」

 声が、少しだけ小さくなる。


 私は、その様子を見て、少しだけ意地悪く、でも冗談めかして続けた。

「じゃあ……お家賃の足りない分は、あなたの身体で払う、ってこと?」


 七海ちゃんの肩が、びくっと跳ねる。

「……っ」


 一瞬、驚いたように目を見開いて、それでも、視線をそらさずに、答える。



「……先輩が……それで、いいなら……」

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