第3話

「お帰り、お姉ちゃん」


 つきが帰宅するなり、居間からゆうが現れた。

 珍しいことだ。いつもは出迎えになど来ないのに。


「……ただいま、優莉」


 そう返せば、優莉はにこりと笑う。ミディアムボブの髪がふわりと揺れ、甘い香りが漂った。

 月が靴を揃えていると、背後から声がかかった。


「ねえ、お姉ちゃん。最近、外で何してるの?」

「えっ」


 月は驚いて振り返る。優莉は長い睫毛に縁どられた目をきゅっと細めた。


「ここのところ、なかなか家に帰ってこないじゃない」

「そんなこと……」

「ごまかしてもダメ。パパとママも気づいてるよ」


 言われて月は小さく唾を呑んだ。

 今は――午後六時過ぎ。部活に入っておらず、習い事や塾にも行っていない月が帰ってくるには、確かに遅すぎる。


「ちょっと……用事があって」


 囁くように言う。優莉は首を傾げた。


「ふーん? そうなんだ?」

「そう。……じゃ、宿題があるから」


 優莉のそばをすり抜け、階段を上って部屋へ向かう。

 背中に優莉の視線がじっと刺さるのを感じた。



  ***



 翌日、学校が終わったあと、月は再び神社へ向かった。

 白い鳥居を抜け、階段を上る。今日はどんなおかしな風景が広がっているだろうと、心の片隅でわくわくしながら。


 だが階段の先、目の前にあったのは、古ぼけた神社の拝殿だった。

 ――初めてここへ来たときと全く同じ光景だ。


 慌てて拝殿に駆け寄る。人の気配はどこにもなかった。


「……黒鋼くろがね、さん?」


 まさか、消えてしまったのだろうか。

 今までのことはすべて、都合のよい夢だったのだろうか。


 まなじりに涙がにじむ。手が小さく震えだす。

 そのときだった。


「月、我が花嫁よ。どうした」


 黒い煙がぼわりと立ち、人気ひとけのなかった拝殿のえんに、黒鋼が姿を現わした。


「――黒鋼さん、よかった」


 ほっとした瞬間、熱いものが頬を伝う。

 黒鋼は月に歩み寄り、濡れた頬をそっと袖で拭いた。


「なぜ泣くのだ? 求めることを忘れたお前には、まずは質素な場所の方がよかろうと、元の建物に戻したのだが。気に入らなかったか?」

「違います……黒鋼さんがいなくなったのかと思って」

「おかしなことを言う。俺が花嫁を置いて去るなどありえぬぞ」


 言って黒鋼は月の背に腕を回す。

 そっと抱き寄せられ、月は静かに目を閉じた。


 ――そのときだった。


「お姉ちゃん、それ、誰?」


 突然の声に月は跳び上がる。振り返り、そこにある姿をみとめた瞬間、血の気が引いた。

 優莉だ。優莉がいる。

 制服姿で、腰に手を当て、華やかな顔に冷たい笑みを浮かべている。


「――なんで、ここに」

「あとをつけてみたの。最近のお姉ちゃん、どうもおかしいから」


 優莉は軽やかな足取りで距離を詰める。

 月の顔を、次いで黒鋼を、舐めるように見回した。


「ふうん、やっぱり彼氏ができたんだ。その耳としっぽ、何? 仮面までして、何かのコスプレ? お姉ちゃん、面白い人つかまえたじゃん」


 そこまで言って、優莉は目を細めた。


「でも、何気にイケメンっぽい」


 ああ――来る。

 月には次の言葉が分かる。


「ね、お姉ちゃん。その人、私にちょうだい」


 ちょうだい。その言葉を何度――何度言われてきたことだろう。

 その対象が何であろうとも――すでに持っているモノであろうとも、本当は欲しくもないものであろうとも、関係ないのだ。

 彼女は月から奪うことそのものに快感を見出している。月の持ちものを手にすることにこそ意味があるのだ。


 手にできなければ、優莉は騒ぐ。怒る。泣く。

 周囲の人々を味方につけて、月ひとりを悪者にする。


 だから、月はいつだって折れてきた。優莉の言い分に従い、頭を垂れて生きてきた。

 ――だけど。


「……イヤ」

「は?」


 蚊の鳴くような声に、優莉が片眉を上げる。月は震える声を張り上げた。


「イヤだって、言ったの」


 まったくの偶然によって出会った、人間ですらない妖狐ひと

 何も持ち得なかった自分を認め、愛してくれた存在。

 そんな彼の想いに応えるためには――今ここで、強くならなければいけない。


「優莉がいくら欲しがっても、黒鋼さんだけは絶対に――絶対に、渡さないから! 私の、大事なひとだもの!」


 ぱりん、――と、何かの割れる音がした。

 月は驚いて黒鋼を振り仰ぐ。彼の顔からはらはらと黒い欠片が落ちていく。

 澄んだ銀色の瞳がこちらを見返す。白いおもて。美しい顔。


 黒鋼のつけていた狐面が、砕けて割れたのだ。


「――感謝するぞ、俺の花嫁。お前の心からの愛をけたおかげで、俺にかけられた封印が完全に解けた」

「黒鋼さん……」


 妖狐の長い指が月の頬を撫でる。その優しい感触に、また涙がこぼれた。

 優莉がうわずった声を上げた。

 

「お姉ちゃん、自分の立場分かってる? パパとママに言ってやるから。勉強さぼって、変なのと付き合ってるって。」


 月が言い返そうとした、そのときだった。

 黒鋼が優雅に首を傾け、言い放った。


「悪いが、俺はこいつを花嫁にすると決めたのでな。お前のような意地汚い女はお呼びではないのだ」

「な、何ですってぇ!?」


 優莉の金切り声が境内に響き渡った。


「どうして? どうしてよ!? お姉ちゃんなんかより、私の方が絶対にかわいいし!」

「――ほう? 我が花嫁を侮辱するか」


 黒鋼が月を抱き寄せる。ざわ、と風が吹いた。

 月は驚いて目をしばたたく。イヤなものは何も感じない。ずっと温かな感触に包まれている。

 だが優莉は急に立ち尽くし、その場で震えだした。


ね、小娘。それ以上、愚かな口をきくようであれば、容赦はせぬぞ」


 風が止む。そのとたん、優莉がきびすを返して走り出した。

 もつれた足音が長い階段を去っていく。


 月はほっと息をついた。もう一度顔を上げ、黒鋼と見つめ合う。

 やがて二人の唇がそっと重なった。



  ***



 一カ月後。

 月は白い鳥居を抜け、長い階段を駆け上がった。階段の先には小さな和風の家。その扉が開き、愛おしいひとが顔を出した。


「無事に戻ったか。俺の花嫁」

「ただいま、黒鋼さん」


 晴れて恋仲となった妖狐の腕に月は飛び込む。優しく抱き寄せられ、口元がほころんだ。


 あれから月は家族の元に帰っていない。息苦しくてたまらなかった家を離れ、黒鋼と共に生活して、学校へ通っている。

 黒鋼は相変わらず、月に何くれとなく与えようとしてくる。まだ慣れない感覚だし、何でも与えられて当然と考えるようになってはいけないと思っている。

 それでも彼の気持ちに応えることは幸せで、どうしても贈りたいと言われたアクセサリーだけは受け取った。

 小さな石のついた指輪は、月の薬指できらきらと輝いている。


 そういえば継妹の優莉は、原因不明の発熱にうなされていて、しばらく登校できていないらしい。おかげで身の回りは至極平和だ。

 ――だが、引っかかることがないではない。


「あの、黒鋼さん」


 月が問うと、黒鋼は首を傾げた。長い黒髪がさらりと揺れる。


「どうした? 月」

「もしかして……優莉に何かしました?」


 すれば妖狐はにやりと笑んだ。


「さて、な」



〈黒き妖狐はすべてを奪われた花嫁を選ぶ 終〉

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黒き妖狐はすべてを奪われた花嫁を選ぶ 佐斗ナサト @sato_nasato

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