第一章 夢拍症候群

(1)本気しかねえよ

 アラームを止めようとスマホを鷲掴みにした時、画面がスクリーンショットされる音が鳴った。


「……ちっ」


 自分の操作ミスのせいとはいえ気が滅入る。凪はダンゴムシのように手足をもぞもぞ動かして布団を押しのけると、あくびを噛み殺しながらスマホのロック解除を試みて――失敗した。

 また舌打ちをして、枕元にスマホをぶん投げる。スクショ画像の容量はそこそこデカいというのを聞いたことはあるが、どうせたかだか数メガバイト。放置しても問題ないだろう。


 凪はカーテンの隙間から差し込む光から顔を背けるゾンビのような体勢でPCの前へと向かい、タブレットの上にペンを走らせた。

 PCのスリープモードが解除されるのと同時に、自分の頭の中もまた覚醒していく。朝の日差しはこんなにも鬱陶しいのに、ディスプレイからの光はどこか安心できた。二つ並べているから倍お得。不健康な電子の波に包まれているようだ。


 デスクトップの壁紙は、ネットで拾ってきたお気に入りの夜景。星のひとつもない、このまま明日が来ないのではないかと錯覚するような深淵が町を飲み込もうとしている。

 夕焼けはとうに過ぎ去り、しかして朝焼けが訪れることもない、明けない夜の闇だ。

 ショートカットからメールを開くと、新規の通知が一件あった。クリエイターの個人出品サービスを通じて注文を受けた、SNSのアイコン画像の依頼主からだった。


『確認しました! Nagiナギさんのイラスト、今回も本当に素敵ですね!』


 ふふんそうだろうとスカしてみたくもなったが、結局耐えきれなくなって、ふひ、と変な笑いが出てしまう。


「いつもありがとうございます、MUIKAムイカさん」


 凪はモニターの前で深々とお辞儀をしてから、今回の依頼に使ったクリップファイルを『完了』フォルダに移した。


 朝の憂鬱から打って変わって上機嫌になった足取りで階段を下りる。嬉しさで胸がいっぱいでも、腹は空くものだ。

 キッチンまで直行する道すがら、リビングのテレビを横目で眺める。


『人気Vtuber「カリュード」さんが、自身が夢拍ゆめはく症候群と診断されたことを発表しました』


 ニュースは男性Vtuberの配信を一部切り取ったものをバックにテロップが表示されている。

 FPSのゲームに疎い自分でも聞いたことがある名前だった。最近デビューした新進気鋭のゲーマーで、ファンへの人当たりもいいと評判だったはずだ。


『夢拍症候群は近年発見された病で、主に十代の若者に発症し、発症者の追う夢を妨げるような症状が出る特徴があります。カリュードさんの場合は――』


 リビングのテーブルで新聞片手に朝食を食べていた父が、これ見よがしに溜息を吐く。


「遊んでばかりいる奴が夢拍症候群だと? バカにしているな。これまでに夢半ばで潰えてしまったスポーツ選手たちに申し訳ないと思わないのか」


 凪は茶碗にご飯をよそいかけた手を止めて、しゃもじの柄を握りしめた。


「けれど最近では、こういうゲームも『eスポーツ』なんて言われてたりするそうよ?」


 母のそれとないフォローにも、自分が正しいと疑わない古い人間は鼻を鳴らしている。


「そもそも何だ、ぶいちゅーばー? それがまず気に食わん。顔を出して活動する覚悟もない連中の、どこに本気があるっていうんだ」


 父は苛立たしげに音を立てて新聞を畳むと、テーブルの端に叩きつけるように置いた。頼んでもないのに勝手に難癖を付けて、勝手に怒りを覚えて、勝手に暴れる。素敵なアンガーマネジメントである。

 このままだと二言目には「俺たちの若い頃は」が始まるのが目に見えているから、凪はさっさとご飯を盛り、棚から塩こんぶの袋を取ってひとつかみ乗せ、逃げるようにキッチンを出た。


 階段を足早に駆け上がり、自室の扉をしっかりと閉める。適当にYoutubeのおすすめから動画を選んでヘッドホンのボリュームを上げた。

 塩こんぶご飯の旨味が、寝起きの乾いた舌にじんわりと沁みる。


――どこに本気があるっていうんだ。


 それが、夢拍症候群が他の難病と異なり、ひっそりと世界の隅に追いやられない理由のひとつだ。


 人が一生のうちに打ち鳴らす心拍数は決まっているという。そしてどうやら夢を追うということにもまた、熱量を刻み込める数に上限があるらしかった。

 故に夢拍症候群。別名『ドリームビート・シンドローム』。


 心拍数に上限があるならばアスリートは早死にするのかというと、そうではない。彼らの鍛えられた心臓が平時の心拍数を下げることで釣り合いを取っているからだ。有名なマラソン選手の寝起きの心拍数は、一分間に三十五回しかなかったそうだ。


 当然、その低すぎる数値は異常である。


 同様に高い熱量をもって夢を追った時、まるで揺り戻しが起きたように体に異常をきたすのが夢拍症候群の症状だった。ある水泳選手は足の付くプールでも溺れるようになり、ある剣道の選手は竹刀に異常な恐怖心を抱くようになったらしい。


 現在有力とされている研究結果は、熱量が高いほど揺り戻しも大きいということのみ。

 そのため夢見る若者の間では、本気で夢に取り組んでいる者だけが夢拍症候群に罹るのだと、まことしやかに囁かれている。


「……本気しかねえよ。ビョーキごときが勝手に量んな」


 その点では凪も否定派だった。巷のアンチたちのように「ただの甘えだ。メンタルが弱いからだ」とまで糾弾するつもりはないが、病に罹るかどうかが『ものさし』になるだなんてことは納得がいかない。


 凪はディスプレイの片方に表示されたままの、どす黒い夜空を睨みつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る