第5話「カフェと、広がる波紋」

 僕のタルトを食べた翌日、リオード様はすっかりいつもの調子を取り戻していた。

 それどころか、あれだけ難航していたというライバル商会との取引を、鮮やかな手腕で、あっという間に片付けてしまったらしい。

 使用人たちが「さすがは当主様だ」と噂しているのを、僕は少しだけ誇らしい気持ちで聞いていた。


 そんなある日、リオード様に呼び出された。

 執務室に行くと、彼は珍しく上機嫌な様子で、僕に一枚の設計図のようなものを見せた。


「カイ。お前の菓子を、うちの商会が経営しているカフェで売ろうと思う」


「え……?僕の、お菓子を?」


「ああ。これは、そのカフェの改装案だ。お前の意見も聞きたい」


 渡された設計図には、お洒落なカフェの内装が描かれていた。

 黒狼商会は、手広く事業を展開していて、その中には富裕層向けのカフェもあると聞いていた。

 でも、そこで、奴隷の僕が作ったお菓子を売るなんて。


「そんな、僕なんかが作ったものを……」


「何を言っている。お前の菓子は、この国で一番美味い。俺が保証する」


 当たり前のように言うリオード様に、僕は言葉を失った。

 この国で一番。そんな、大げさな。

 でも、彼の金色の瞳は、真剣そのものだった。僕の菓子を、本気で評価してくれている。

 その事実が、くすぐったくて、嬉しくて、胸の奥がじんわりと温かくなった。


「このカフェを、王都で一番の店にする。そのためには、お前の力が必要だ」


「……僕に、できることなら」


「メニューの考案から、内装の細かな部分まで、お前の意見を聞かせろ。お前が前世とやらで見てきたものを、参考にしたい」


 僕の前世の記憶。

 リオード様には、いつだったか、ぽつりぽつりと話したことがあった。

 彼が僕のお菓子を食べる時、「こんなものは初めてだ」といつも言うから。僕のいた世界では、ごくありふれたお菓子なんだと説明したのだ。

 彼は、その話を馬鹿にしたりせず、いつも興味深そうに聞いてくれた。


 それから、僕とリオード様の、二人きりのカフェ改装計画が始まった。

 昼間は菓子を作り、夜は執務室で、二人で設計図を広げて話し合う。


「ショーケースは、もっとお菓子が綺麗に見えるように、ガラス張りがいいと思います」


「ほう。確かに、客の購買意欲をそそるかもしれんな」


「テーブルや椅子は、温かみのある木製のものにして……」


 僕がぽつりぽつりと話す前世のカフェの記憶を、リオード様は熱心に聞いて、どんどん計画に採り入れていく。

 奴隷と主という立場を忘れてしまうくらい、その時間は充実していた。

 彼の隣にいると、心が安らぐ。彼の低い声を聞いていると、落ち着く。

 この時間が、ずっと続けばいいのに。

 そんなことを、思うようになっていた。


 ***


 一ヶ月後。

 改装を終えたカフェが、リニューアルオープンした。

 店の名前は『カフェ・ルーン』。僕から着想を得たものだとリオード様に教えられた時、顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしかった。


 店の看板メニューは、僕が作る日替わりのケーキと、何種類もの焼き菓子だ。

 オープン初日。

 僕は厨房の片隅から、こっそりと店の様子を窺っていた。

 本当に、お客さんは来てくれるんだろうか。僕のお菓子を、美味しいって思ってくれるだろうか。

 不安で、心臓が口から飛び出しそうだった。


 だけど、そんな僕の心配は、すぐに杞憂に終わった。

 開店と同時に、物珍しさに惹かれたお客さんが次々と入店し、ショーケースに並べられたケーキを見て、感嘆の声を上げたのだ。

 この世界ではまだ珍しい、生クリームやフルーツで彩られた色とりどりのケーキ。

 一口食べた客は皆、その目を輝かせた。


「なによこれ!ふわふわで、口の中で溶けるみたい!」


「この焼き菓子も、今まで食べたことのない味だわ!香ばしくて、なんて美味しいのかしら!」


 あちこちから聞こえてくる絶賛の声。

 用意していたケーキや焼き菓子は、昼過ぎにはすべて売り切れてしまった。

 店長が、興奮した様子で厨房に駆け込んでくる。


「すごいぞ、カイ君!オープン以来、過去最高の売り上げだ!」


 僕は、ただ呆然と、その言葉を聞いていた。

 嬉しい、というよりも、実感が湧かない。

 自分の作ったものが、こんなにたくさんの人を笑顔にしている。その光景が、信じられなかった。


 その夜、リオード様が僕の仕事場にやってきた。

 手には、今日のカフェの売上報告書を持っている。


「カイ。お前の勝ちだ」


 彼は、報告書を僕に渡しながら、満足そうに笑った。

 初めて見る、彼の心からの笑顔だった。

 その笑顔を見た瞬間、僕の胸に、今まで感じたことのない、甘くて切ない痛みが走った。


「これもすべて、リオード様が機会をくださったからです」


「俺は、お前の才能を信じただけだ」


 彼は僕の隣に立つと、窓の外を眺めた。

 夜空には、綺麗な月が浮かんでいる。


「これで、黒狼商会はまた一つ、大きな武器を手に入れた。お前は、もはやただの奴隷じゃない。この商会にとって、なくてはならない存在だ」


「……」


「これからも、俺の隣で、その力を貸してくれ」


 俺の隣で。

 その言葉が、僕の心に深く、深く刻まれた。

 彼の隣に、いてもいいのだろうか。奴隷で、オメガの僕が。

 そんなの、許されるはずがない。

 でも、もし、ほんの少しでも許されるなら。

 僕は、あなたの隣にいたい。


 月明かりに照らされた彼の横顔を見つめながら、僕は、このどうしようもない感情の奔流に、ただただ溺れていくしかなかった。

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