呪われた畑(2)
「――……うちの畑がおかしいんです」
「ふむ。具体的にはどうおかしいんじゃ?」
「農家として作物を育て始めたのは去年からです。初年度は上手くいったのに、今年は雑草が異様に多く、それでいて作物の成長が悪く、原因不明の悪臭もするように……もしや呪われているのでしょうか」
最初こそぎこちなかったものの、状況を説明するうちにパウロの口は滑らかになっていきました。
*
十二年前、都会に憧れる若者だったパウロは、農場を継がずに美容師になりました。
地元を離れて町で充実した日々を送っていましたが、旅先で両親が亡くなってしまい、故郷に戻って遺された土地を守ることにしたのです。
「子どもの頃は親の手伝いをする程度だったので、知識もなにもなかったけど、地元に戻る決意をしてからは勉強し直して、真面目に取り組んでいました。それなのに、こんなことになるなんて……」
去年も今年も、天候に大きな違いはありません。
初年度に失敗して、二年目に改善ならまだしも、逆とはおかしな話です。
好青年代表のようなジョンの友人なだけあり、膝の上で拳を握るパウロも洒落てはいるものの実直そうな男です。
「農業とはかなり畑違いじゃが、美容師の仕事に未練はなかったのか?」
「師匠。今、上手いこと言おうとしました?」
「たまたまじゃい。話の腰を折るでない」
「その、ラファエロ様が疑問に思われるのも当然です。昔は『一日五人くらいの客さんとお喋りしながらする仕事なんて最高じゃないか!』とか『イメージ通りの髪型にして喜ばれたり、イメージチェンジのお手伝いができるなんていい仕事だなあ!』なんて思ってました……」
「うむ。見事なまでに過去形じゃな」
「一日中立ちっぱなし。客がひっきりなしに来店するから食事は不規則で、隙間時間にサンドイッチを早食い。作業の合間に物陰で水分補給する毎日、トイレのタイミングすら自由にならない。この先もずっとこうやって生きていくのかと思ったら、ふと空しくなりまして……」
「わかるぅ! わしにはわかるぞ、その気持ち! 世の中には飲み物を片手にのんびり仕事している人もいると思うと、やっとられんよな!」
「そうなんです! たしかに実家の農業は定休日なんてものはなかった。その代わりに休憩時間は好きな時に、好きなだけとれたし、働く時間だって自由だった!」
意気投合する二人に、ジョンとミカエルは置いてけぼりをくらいました。
人口が百人に満たない村で、読書を嗜む人物は限られています。
ジョンの店は基本的に閑古鳥が鳴いているので、彼は本の修復や掃除をして、それこそ飲み物を片手にのんびり働いているのです。
ミカエルの他に、村にはもう一名読書熱心な人物がいます。
彼らがたった二人で年間の貸し出し目標を達成してしまうので、ジョンはノルマに追われるどころか、本を読みながら店番するだけで良いのです。
祖父が亡くなった際、押しつけられるように継いだ店でしたが、ジョンは今の生活に満足していました。
裕福な暮らしはできませんが、静かな場所で丁寧に暮らすのが性に合っていたのです。
ミカエルの方は言わずもがな。
就職経験のないお子様なので、社会人の苦悩など雲の上の話です。
「ふむ。話はわかった」
「両親は普通の農業をやっていましたが、おれが目指しているのは循環型農業です。独り身なので自分一人養えれば十分と、大規模な運営は考えていません」
「ふむぅ?」
「師匠。使用する資源を循環させることで、無駄をなくす方法ですよ」
理解していない様子のラファエロの袖を引っぱると、ミカエルは今朝読んでいた本を差し出しました。
開かれた頁には、畑で人間用の野菜、家畜の飼料を育て、家畜の排泄物から堆肥を作って土壌作りをするという円環が描かれています。
「あっ、そうです。というかその本、おれもジョンのところで借りて読みました!」
「やっぱり。この辺りで本を読むなら、それしか方法がありませんからね。他に参考にされたのはどんなタイトルですか?」
「えっと。なんとかアドラーが書いた、家畜の排泄物を肥料にする……」
「エリック・アドラー著『排泄物を有効利用する。基礎から始める堆肥の作り方』の可能性が高いですね。冒頭に『静謐なる月の祝福があらんことを』と書かれていませんでしたか?」
「あー、たしかにそんな感じの文を見た気がする! 献辞を書く場所に、詩みたいなものが載ってたから気になってたんだ。それに農業の本なのに、太陽じゃなくて月をありがたがるなんて妙だと思ったよ」
一冊の本が完成するまでには多くの協力が必要です。
冒頭には特定の人物に対する感謝や敬意を記すのが一般的です。
「著者がラクシー出身だからです。あの国は日照時間が長く、日中は外気温に体温が負けるとまで言われる地域です。作物の育成に太陽は欠かせませんが、影響が強すぎてもダメということでしょう」
「そういうことだったのか。あと食用の野菜だけじゃなくて、家畜用の飼料も育てる方法が書かれた本も参考にしたかな」
「二年前に戻ってきてから借りたのであれば、ワルド・ワースによる『多毛作と作付体系について』でしょうね。他には?」
うろ覚えの情報から参考文献を特定していくミカエルに、パウロは目を白黒させました。
年の割に言葉遣いがしっかりしているので、聡そうな子どもだなと思いましたが、そんなものではありません。
「まさか君、全部覚えているのか?」
「今まで読んだ本の内容は全部覚えていますし、ジョンさんの店の蔵書は全て把握しています」
「信じがたいだろうが、本当なんだ」
困惑するパウロに、ジョンはにこやかに肯定しました。
大きな都市や、高等教育機関には図書館が存在しますが、田舎に住む者は貸本屋でしか本に触れる機会はありません。
都市部の図書館は税金で運営、教育機関の図書館は学費。では貸本屋はというと、半民半公です。
一冊あたりパン二個分程度の料金を払って借り、期日までに本を破損させずに返却すれば半額が返ってきます。
本は高級品です。
紙は普及しているものの、まだ画期的な印刷方法がないため一冊一冊写本しています。
誰も借りないからと廃棄したり、定期的に新しく仕入れるのは現実的ではありません。
貸本屋では各作品の貸し出し実績を記録し、エリア内で蔵書を交換することで利用者が幅広いタイトルに触れられるようにしています。
今年九歳になるミカエルが貸本屋に通うようになって、まだ数年しか経っていませんが、彼の小さな頭の中には膨大な蔵書が記憶されているのです。
「参考にされた文献をもとに自給的農業をされているのなら、飼っているのは鶏か山羊ですね。どちらにしたんですか?」
両方とも除草能力の高い家畜で、糞を堆肥に利用できます。
「山羊です。本当は肉や卵を採取できる鶏を飼いたかったんですが、飼育のハードルが高くて……」
「見極めも適切ですし、よく勉強されてますね」
鶏は害虫駆除もできますが、鳴き声による騒音問題や、鶏そのものが野生動物に餌として狙われる可能性があります。
小さな子どもに上から目線で評価されたパウロは一瞬ムカッとしましたが、相手はあの大魔法使いの弟子だからと慌てて気を引き締めました。
御年八十一歳だと聞くラファエロは、下手したら自分よりも若々しい姿をしています。
椅子に座ると地面に足がつかないミカエルとて、見た目通りの年齢では無いのかもしれないのです。
残念ながら、ミカエルは見た目通りの九歳児なのですが、パウロの勘違いは双方にとって良い方向に働きました。
もしパウロが礼儀を欠いた態度をとったら、これ幸いと依頼を断る理由にされたことでしょう――ラファエロではなくミカエルに。
*
高名な魔法使いが近くにいれば頼ってしまうのが人の
しかも以前は話を聞いてもらうだけでも複雑な手続きが必要だったのに、今は家に突撃すれば九割方会えてしまいます。
社畜時代の二の舞を避けるべく、持ち込まれた依頼は、修行の一環としてミカエルが担当しているのです。
文句がある人間には謹んでお帰りいただきます。
そもそもラファエロは、依頼を募集したりはしていません。
稼いだ金を使う暇も無いくらい忙しかったので、働かなくても十分暮らしていけるだけの蓄えはあります。
依頼を請けるのは、あくまで弟子に経験を積ませるためなのです。
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