エピソード 1ー3
夕刻になり、アストリッドは夕食の招待に応じる。そうして案内された王宮にある食堂の扉を開けると、部屋から零れた魔導具に灯りがアストリッドを照らし出した。
グラニス竜王国で使われているものよりも明るく、安定した光源。それだけでも、マギノリア聖王国の魔導具がいかに優れているかがうかがえる。
アストリッドはその眩しさに目を細めながら部屋を見回した。
部屋の真ん中にはテーブルクロスを掛けた長いテーブルがあり、国王のルーファスと、その妃であるエリシア、子供達のレナートとエレナが席に着いていた。
そんな中、王妃のエリシアが席を立ち、アストリッドを出迎えてくれた。
「久しぶりね、アストリッド王女殿下。また会えて嬉しいわ」
「わたくしも、エリシア王妃殿下と再会できる日を心待ちにしていました」
「ふふっ、あんなに小さかった子が、すっかり大人になったのね。……と、積もる話もあるけれど、今日は長旅で疲れたでしょう。まずはこちらへいらっしゃい」
そう言って席へと案内される。
その席の前では、レナートが椅子を引いてくれる。それにお礼を言って着席すると、今度は隣に座るエレナが「お姉様」と小さく手を振ってくれた。
懐かしいと感じる空間。
だが、あれから九年も過ぎているばかりか、その間は両国が戦争状態にあった。決して変わっていないのではない。昔のようにと気を遣っている面もあるのだろう。
対応を誤る訳にはいかないと、アストリッドは背筋を正してルーファスへと向き直る。
「ルーファス国王陛下、本日は夕食にご招待いただき誠にありがとうございます」
「うむ。急な招きにもかかわらず、招待に応じてくれたことに感謝する。戦争後の政略結婚に思うこともあるだろう。だが、マギノリア聖王国はそなたを歓迎する」
「お心遣いに感謝いたします」
背筋を正して頭を下げる。
次の瞬間、エリシアはパンと手を打って「さぁ、難しいことはこれくらいにして、いまは食事を楽しみましょう」と合図を送った。
直後、メイドがカートを運んでくる。その上に乗せられた銀の蓋を被せた皿を、メイドが音もなくテーブルの上に並べ始めた。
続けて銀の蓋が持ち上げられると、香草の淡い香りがフワリと広がった。皿の上には彩り豊かな前菜、果実とハーブを添えた魚のマリネが乗せられている。
「では食事を始めよう」
ルーファスの言葉を切っ掛けに夕食が始まる。
アストリッドはカトラリーの外からナイフとフォークを取って、刃を滑らすように魚の身を切り取って、洗練された仕草で口に運んだ。
「アストリッド。今日はそなたが来ると聞いて、シェフにグラニスの味付けを再現させてみたのだが、口には合いそうか?」
「まぁ、それで慣れ親しんだ味がしたのですね。お心遣いに感謝いたします」
そう言って微笑みながら考えるのは、ルーファスの言葉の裏に隠された意図。
(この人達の好意が嘘だとは思いたくない。だけど――)
もしも政略結婚が時間稼ぎであり、彼らに隠された思惑があるのなら、彼らはそれを暴かれることを警戒しているはずだ。そして、そういう人間は得てして警戒心が強くなる。
それを前提に考えれば、さきほどの会話に隠された思惑も見えてくる。アストリッドは食事の手を止めて、ルーファスに「ですが――」と顔を向ける。
「わたくしはこれからマギノリア聖王国を第二の故郷とする身ですから、そのような気遣いは無用ですわ。それに、わたくしはマギノリア聖王国の味付けも好きですから」
この国に骨を埋める覚悟だという想いを口にすれば、ルーファスはふっと微笑んだ。
「そうか。だが、ずっと暮らす以上は、わずかな不満が募ることもあるだろう。可能な限り、そなたの希望に合わせられる部分は合わせるつもりだ」
「お心遣いに感謝いたしますわ」
(これは……どっちの意味かしらね)
彼が安堵したのは明白だ。けれど、それが純粋な好意ゆえか、あるいは警戒の緩和ゆえか――そこまでは読み切れない。
ゆえに、アストリッドはもう少しだけ探ろうと、「そう言えば」と口にした。
「不便はありませんが、この国の魔導具の性能には目を見張るモノがありますね。この部屋の灯りの魔導具にも驚きました。やはり、最新の技術なのですか?」
グラニス竜王国の灯りはここまで安定していない。
マギノリア聖王国でも、子供の頃に見た魔導具の灯りはここまで安定していなかったはずだと探りを入れる。そうしてルーファスの反応をうかがうと、彼は少しだけ眉を動かした。
「魔導具の灯り? たしかに、昔より安定していると思うが……それほど違って見えるか? 明るさ自体はとくに変わっていないはずだが……」
「そうですね。光量自体は大差ありません。ですが、このように揺らぎのない灯りは初めて見ました。グラニス竜王国の灯りはランタンのように揺れていますから」
マギノリア聖王国の技術が飛躍している証。一体どのような技術を使っているのだろうと軽く探ると、ルーファスはゆったりとした動きで思案顔になった。
「……ふむ。グラニス竜王国は魔石の研究が進んでいると聞く。光源の魔導具の明るさを安定させることは可能なのではないか?」
「そう、ですね。魔石の出力を安定させる技術はございます。けれど、このように光りを安定させることは出来ません。魔導具側の性能性が大きいのでしょうね」
たわいのない会話の裏側で、互いに探り合うような会話が続く。そうして場の空気が張り詰めて破裂する――――寸前、エリシアが手を叩いた。
「あなた、レナートとアストリッド王女殿下は九年ぶりの再会なのですよ」
「……ふむ、たしかにワシが会話を主導するのは無粋だったな」
ルーファスはそう言って、レナートに会話を主導するように水を向ける。それと同時にルーファスが合図送ると、新たな料理が運ばれてきた。
そうして、張り詰めていた空気は急速にしぼんでいった。
それからはルーファスの言葉通り、レナートとアストリッドが主役となって、他愛もない会話をしながら食事を勧める。時々エレナが会話に参加して、それをルーファスとエリシアは見守っている。そんな穏やかな空気の中で食事は進み、そして終盤に差し掛かった。
そんなとき、レナートがおもむろに「そういえば――」と口を開く。
「アストリッド王女殿下。用意した部屋は気に入ってくれたか?」
「ええ、もちろんです。さきほど少し休ませていただきましたが、とても快適でした」
「そうか、そなたのために設えた甲斐があったというものだ」
整った顔に穏やかな笑顔を浮かべて言い放つ。その破壊力にアストリッドはふるりと身を震わせて、「か、感謝いたします、レナート様」と辛うじて答えた。
だが、レナートはゆるゆると首を横に振った。
「アストリッド王女殿下、俺とそなたはこれから家族になるんだ。そのようにかしこまる必要はない。これからは、俺のことをレナートと呼んでくれ」
「で、ですが、婚約式もまだですし……」
恐れ多いと辞退しようとするが、脳裏に彼を籠絡するという密命が浮かんだ。アストリッドは覚悟を決め、それから少し顎を引いた。
「では、その……レナート?」
「はい、アストリッド王女殿下」
「……ダメです。私にレナートと呼ばせたのだから、私のことはアストリッドと呼んでください」
恥ずかしさに顔が赤くなるのを自覚しながら、上目遣いで訴える。レナートがビクンと身を震わせて、それから「わ、分かった、そうしよう」と甘いマスクで囁いた。
周囲の気配など、既に二人の耳には入っていなかった。さきほどまでのぴりついた空気はどこへやら、甘ったるい空気が部屋を満たしていく。
家族がいる状況でする会話ではない。
本来であれば、レナートの両親、あるいはアストリッドの侍女がさりげなく話題を変えるように促すところだが、どちらサイドにも、相手を籠絡して欲しいという思惑がある。
ゆえに、周囲の者達は口に砂糖を詰め込まれたような顔をしながらも沈黙を保っている。
だが、その状態で一番困っているのは、攻撃を仕掛けたレナートだった。
(はぁっ!? 上目遣いで小首を傾げるアストリッドが可愛すぎるんだが!? しかも、アストリッドと呼び捨てにしていい、だと!? や、ヤバい。俺の方が先に、アストリッドのことを……くっ、ユリウス、なんとかしてくれっ!)
従者であり、護衛騎士でもあるユリウスに視線を向ける。それを受けたユリウスはげんなりしつつも、主のために思考を巡らせる。
「レナート様、そろそろデザートをお出ししてはいかがですか?」
「あ、ああ、そうだったな。アストリッド、実はそなたのためにケーキを用意させたんだ」
「まあ、ケーキですか?」
「ああ。最後に会ったときに、次はイチゴのショートを食べたいと言っていただろう?」
それを聞いた瞬間、エレナが思ったことは、『最後って、九年前? お兄様、ちょっとキモいです』だった。ルーファスやエリシアも、度合いはともかく似たような感想を抱く。
だが――
「……え? 九年も前のことを、覚えて……くださっていたのですか?」
アストリッドがふるふると身を震わせる。
(きゃーっ! きゃーっ! レナートが、そんな些細なことまで覚えて……っ!? しかも、わたくしのことを、ア、アアアストリッドと呼び捨てにして! ――っ、ダメよ、わたくし、しっかりなさい! ここで先に惚れる訳にはいかないのよ!)
寸前のところで理性を保ったアストリッドは、セリーナに視線で助けを求める。その視線を受けたセリーナはわずかに息を吐き、ぽんと手を叩いた。
「アストリッド様、レナート王太子殿下がケーキをご用意してくださるのなら、グラニスよりお持ちしたコーヒーを皆様にもお楽しみいただいてはいかがでしょうか?」
「そ、そうね。皆様、グラニス竜王国産の豆があるのですが、コーヒーは――」
「いただこう」
「私もいただくわ」
「お姉様、私も口直しがしたいです」
ルーファスが真っ先に応じ、エリシアとエレナも食い気味に続く。
「そ、そうですか。ではすぐに用意させますね。お砂糖は――」
「「「――これ以上は必要ない(ありません)」」」
三人の声が綺麗に揃い、アストリッドは戸惑いながらも頷いた。
――食後。
離宮にある自室に戻ったアストリッドは、いきなりセリーナの胸ぐらを掴んだ。
「セリーナ! ヤバいです、ヤバすぎですわ!」
「ヤバいのはアストリッド様のお姫様らしからぬ態度ですがどうしました?」
「どうしたじゃありません! レナートが、きゅ、九年前の些細な会話まで……っ」
「覚えていましたね。正直、ちょっと引きました」
「どうしてよっ! 嬉しいじゃない!」
セリーナの胸ぐらを掴んだまま、アストリッドが心外だと頬を膨らませた。
「……そうですか、アストリッド様は嬉しかったんですね。まあそうですよね。見ていて甘々でしたもんね。私もブラックのコーヒーを飲みたかったです」
「コーヒーくらい好きに飲みなさいよ。……というか、どうしてブラックなの?」
「さぁ、なんとなく?」
すっとぼけるセリーナに、アストリッドが疑惑の目を向ける。それでも明後日の方を向いていたセリーナだが、アストリッドは視線を逸らさない。
「えっと……あ、そうです。思ったよりも好意的な反応でしたね。講和が成されたとはいえ、つい最近まで戦争していた敵国ですし、もう少しトゲトゲしい感じかと思ったのですが」
「それはきっと、わたくしの目に届かないようにしてくださっているだけよ」
アストリッドは目を細める。
正直な話、グラニス竜王国にも、講和を望まぬ声はあった。それは政治的な理由だったり、国民感情を慮った結果だったりと様々だ。
それが、マギノリア聖王国にはまったくない、というのはあり得ない。
「では、アストリッド様のお部屋が離宮なのも、もしや?」
「五分五分といったところね」
たしかに、講和を望まぬ声がアストリッドの耳に届かぬようにという配慮ではあるのだろう。だが、アストリッドはそれよりも、マギノリア聖王国に隠し事がある可能性を疑っている。
そんなアストリッドをまえに、セリーナも目を細めた。
「なにかございましたか?」
「いまのところ明確な疑惑がある訳じゃないわ。だけど、だからこそ、たしかめなくちゃいけないの。グラニス竜王国を滅ぼす訳にはいかないから」
自分の選択が自国の運命を左右する。その重責を考えれば、とてもではないが安易な判断は下せないと、アストリッドは気を引き締めた。
「しかし、たしかめると言っても大丈夫なのですか? レナート王太子殿下は手強そうですが。逆に惚れて、国の密命をしゃべってしまったりしませんか?」
「わ、わたくしだって、そこまで愚かではないわよ」
セリーナは「ホントですか?」とジト目を向けた。
アストリッドの額から一筋の汗が零れ落ちる。レナートに請われ、ペラペラと機密を話してしまう自分を幻視したから。
「ま、まぁ、手強いことは認めるわ。でも、やりようがない訳じゃないのよ」
「やりよう、ですか?」
「わたくしに秘策あり、よ」
アストリッドが自信満々に答える
「……アストリッド様が優秀なことは存じていますが」
「いますが、なによ?」
「いえ、ダメそうだなんて思ってません」
「口に出して言っているじゃない!」
「すみません、口が滑ってつい本音が」
「貴女ね! わたくしのどこがダメそうだというのよ!?」
アストリッドが眉を吊り上げるが、セリーナは「レナート王太子殿下を籠絡しようとするたびに、反撃されて堕ちそうになっているところとかでしょうか」と言い放った。
とたん、アストリッドは視線を泳がせる。
「ま、まあ、他にもやりようはあるわ」
「ほう、それはどのような?」
「もうすぐ、婚約式があるでしょう? そのときには重鎮との顔合わせや、国民向けの婚約パレードもおこなうことになっているの。そのときなら、色々な人と接触できるでしょう?」
マギノリア聖王国が離宮を用意したのは秘密を隠すため。離宮であれば秘密を隠し通せると考えていると言うことで、言い換えれば、離宮の外ではその限りではないと言うことだ。
私はそのチャンスを逃さない――と、アストリッドは自信満々に拳を握った。
だが、そんな彼女を、セリーナは不安そうに見つめていた。
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惚れたら破滅の溺愛ゲーム――恋する二人はそう思い込んでいる 緋色の雨 @tsukigase_rain
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