エピソード 1ー2

 アストリッドが覚悟を決めてから数ヶ月。講和はトントン拍子で進められた。

 グラニス竜王国からは魔石の安定した供給を、そしてマギノリア聖王国からは魔導具の安定した供給を条件に戦争は終結する。


 そして講和の締結と同時に、両国の王族の婚姻。グラニス竜王国の花嫁、アストリッドのマギノリア聖王国への受け入れが国境沿いでおこなわれた。


 緊張感が伴う受け入れが終わった後。アストリッドは見送りに来た家族に別れを告げ、侍女と共にマギノリア聖王国が用意した馬車へと乗り込んだ。表面上は優雅に――けれど、アストリッドの心臓は破裂しそうだった。


「アストリッド様、大丈夫ですか?」


 向かいの席に座る侍女が問い掛けてくる。


「だ、だだ大丈夫よっ。レナート様が私との約束を覚えていたからって動揺なんてしてないわ」

「しているんですね」

「してないって言ってるじゃないっ!」


 はいはいと、侍女のセリーナは毛先を指で弄びながら笑う。

 ライトブラウンのセミロング、インナーカラーが淡いピンクベージュ。髪を左右でお下げにした彼女は素朴な見た目をしているが――実は小悪魔、アストリッドの幼なじみだ。


「それで、レナート王太子殿下は籠絡できそうなのですか?」

「と、当然じゃない」

「なにを根拠としていますか?」

「だって、少なくとも子供の頃はわたくしに惚れていたのよ。惚れて……惚れ、レナート様が、私に惚れて……はわわ」


 整った顔を朱に染めたアストリッドは、両手で顔を覆って身悶える。それを目にしたセリーナがなんとも言えない顔になる。


「実際にはわわとか言う人、初めて見ました。というか、その理論で言うと、アストリッド様も、レナート様に惚れていることになるのでは?」

「そっ、んなわけ、なっ、ないでしょう! 私はグラニス竜王国の第二王女。そんな子供の頃の約束を真に受けるなんてチョロい女じゃないのよ!」

「それ、チョロい女のセリフですよ」


 セリーナがぼそっと呟くと、それを聞きとがめたアストリッドが、「なにか言ったかしら!?」と食ってかかる。その瞬間、セリーナは「いえ、なんでもありません」と視線を逸らした。

 わずかな沈黙、セリーナは再び口を開く。


「アストリッド様がチョロい女かどうかは置いておくとして」

「チョロくないと言っているでしょう!」

「……じゃあそれでいいですけど、なぜ約束にこだわっていらっしゃるのですか?」

「そ、それはアレよ」

「どれですか」

「レナート様が約束を守りやすいようにするためよ!」


 セリーナは「この人、なにを言ってるのでしょう?」と首を傾げた。


「声に出てるわよ」

「おっと、失礼しました。つい本音が」

「貴女ねぇ……っ」

「すみません。けれど、グラニス竜王国の命運は、アストリッド様がレナート王太子殿下を籠絡できるかどうかに掛かっているので、真面目にやっていただかなくては困ります」

「……それも、分かっているわ」


 そう呟いた声はわずかに震えていた。

 だが次の瞬間、アストリッドは表情を引き締める。

 グラニス竜王国は、長きにわたった戦争で疲弊している。軍部の中には戦争の継続を望む声もあったが、それが現実的でないことは明白である。


 つまり、アストリッドがレナートを籠絡して機密を暴き、ヴェルディア商業連合を味方に引き入れる。あるいはレナート自身に戦争を踏みとどまらせる。

 そのどちらかが必要となる。


 そして、そのどちらにせよ、アストリッドが先に惚れる訳にはいかない。恋は盲目、先に惚れて状況を判断を曇らせれば、止められる戦争も止められなくなるからだ。

 つまり、自分は惚れずに、相手を溺愛している振りをして惚れさせる。

 惚れたら破滅の溺愛ゲームである。


「勝てる算段があるのですか?」

「ええ。少なくとも、レナート様は約束を忘れていなかった。なら、惚れさせることだって不可能じゃない。だから、必ず彼を籠絡してみせるわ」


 決意を新たに、アストリッドは馬車の外を流れる景色を眺めた。



 それから数日が過ぎ、一行は無事にマギノリア王都にある王城へと到着。

 馬車から降りたアストリッドは、レナートに案内されて城の廊下を歩く。


「……レナート様、これはどこへ向かっているのですか?」

「そなたのために用意した離宮だ」

「まあ、わたくしのために?」


 声は弾ませながらも、アストリッドの心は意外にも冷静だった。

 自分のために用意した離宮と言えば聞こえはいいが、マギノリア聖王国の機密がある区画への立ち入りを制限するための処置なのは明らかだったからだ。


(やはり、隠し事があるのかしら? うぅん、そうでなくとも、離宮を用意するのは当然よ。だとすれば、この時点で判断するのは早計ね)


 もう少し情報を集めよう。

 そんなことを考えていると、レナートが装飾の美しい扉の前で足を止めた。


「この部屋はアストリッド王女殿下のために設えたものだ。気に入ってくれるといいのだが……」


 彼がそう言うと、使用人の一人が扉を開ける。その扉の向こう、高い天井からは水晶のシャンデリアが柔らかい光りを降らせ、窓辺ではレースのカーテンが揺れている。

 一目で王族のために設えられたと分かる、絵画にあるような美しい部屋だった。


 一方で、用意されたのは三階、バルコニーは中庭側で、そこから降りるのは難しい。また廊下も一本道で、途中には警備の騎士が配されていた。恐らく、外出には相応の手続きが必要になるだろう。


 厳重に守られているとも、幽閉されているとも見ることが出来る。

 ゆえに、アストリッドの斜め後ろに控えていたセリーナはわずかに不満そうだった。だが、肝心のアストリッドは――思いっきりテンションが上がっていた。


「レナート様、あれは、もしや……?」


 そう言ってアストリッドが視線を向けた先。天蓋付きのベッドの上に可愛らしいクマのぬいぐるみが鎮座していたからだ。


「あれはそなたのために、この国で一番の裁縫師に作らせた一品だ。その……そなたがぬいぐるみが好きだと言っていたからな」

「~~~っ」


 口元を押さえて打ち震える。

 それを見たレナートの従者が、「あれから九年も経っていますし、さすがにぬいぐるみは必要なかったのではありませんか?」と、レナートに耳打ちしている。


「……アストリッド王女殿下、ぬいぐるみは必要なかったか?」

「いえ、それは、その……」


 従者の声が聞こえていたアストリッドは言葉を濁すが、心の中では(きゃーっ、レナート様が覚えていてくださった!)と大はしゃぎである。


 そして、そんな主の内心を察したセリーナが咳払いをする。それを聞いたアストリッドはビクンと身を震わせ、それから少し顔を赤らめて咳払いをした。


「そちらの従者のおっしゃるとおりですわ。わたくし、あの頃のように子供ではありません」

「そうだな、びっくりするくらい綺麗になった」

「~~~っ」


 特大の追撃をくらい、アストリッドは胸を押さえる。そうしてふらりと倒れそうになったところを、事前に予想していたセリーナが支えた。


「アストリッド王女殿下、大丈夫か!?」


 レナートが駆け寄り、アストリッドの手を掴む。セリーナに支えられながら、アストリッドが再び身を震わせた。それに対してセリーナが小さく息を吐く。


「申し訳ございません、レナート王太子殿下。アストリッド様は旅の疲れが出たようです。少しお休みする許可をいただけないでしょうか?」

「む、そうだったのか。これは気付かなくてすまない。父への挨拶などは後にするように伝えておこう。まずはゆっくり休んでくれ」


 レナートがそう言って踵を返そうとする。

 寸前、アストリッドが「お待ちください」とレナートの服の袖を掴んだ。


「……アストリッド王女殿下?」

「あ、いえ、その……レナート様も格好よくなられましたよ」

「――っ! そ、そうか。それじゃあ……その、ゆっくり休んでくれ」


 レナートは胸を押さえて踵を返す。そうして彼が廊下の角を曲がると、その向こうから従者の「レナート王太子殿下!?」という声が聞こえて来た。

 それを横目に、セリーナはアストリッドを部屋のベッドへと運ぶ。


「……アストリッド様、あれでよくチョロくないとか言えましたね?」

「ち、違うわよ。それに見たでしょう? ちゃんとやり返したわ」

「まぁたしかに。どう見ても満身創痍で、よくて痛み分けですが」

「そ、そんなことはないわ。どう見ても私の圧勝よ」

「はぁ、まあ……アストリッド様がそう思っているのなら、それでもかまいませんが」


 突っ込んだらめんどくさそうだからと思ったセリーナは同意した。



 そうして、部屋で一息を吐く。旅の汚れを落としたアストリッドが部屋でくつろいでいると、ほどなくして扉がノックされた。


「どなたですか?」

「エレナです。アストリッドお姉様」


 扉越しに聞こえた声に、アストリッドは「まぁ」と声を弾ませた。それからセリーナに出迎えるように命じると、ほどなくしてドレス姿の少女が部屋に入ってきた。


 アストリッドよりも身長が頭一つ小さく、まだ幼さの残る少女。髪は淡く煌めくミルクティーブロンドで、内側が淡いピンクに染まっている。

 彼女はレナートの妹、つまりはこの国の王女である。

 そんな彼女を、席から立ったアストリッドが出迎える。


「エレナ。元気だった?」

「はい! お姉様もお元気そうでなによりです!」


 グリーンの瞳をキラキラと輝かせる。エレナはアストリッドを実の姉のように慕ってくれていたが、当時の彼女はまだ六歳で、忘れられていてもおかしくない年齢だ。

 それなのに覚えていてくれたと知って、アストリッドは表情をほころばせた。


「エレナ、また仲良くしてくださいね」

「はい、もちろんです!」


 平和なやり取りをしながらも、脳裏を密命がよぎる。

 アストリッドが失敗すれば、グラニス竜王国、あるいはマギノリア聖王国のどちらかが滅ぶことになる。そうすれば、エレナとの関係も終わってしまう。

 だから――


(私がレナート様を籠絡して戦争を防ぐしかない)


 そう結論づけて笑みを浮かべる。

 そんなアストリッドをまえに、エレナはほうっと息を入った。


「よかった。お姉様が落ち込んでなくて」

「え、どうして落ち込んでると思ったの?」


 コテリと首を傾げると、エレナは頬に人差し指を添えて答える。


「だって、急に政略結婚をすることになったらショックじゃないですか?」

「そ、れは……そうね、驚きはしたわよ。だけど……」

「もしかして、相手がお兄様だからですか?」


 アストリッドを見上げるエレナの煌めく瞳には、気になりますと書いてある。


(そう言えば、昔から好奇心が旺盛だったわね、この子)


 だから、ただの興味本位だろうと結論づけた。

 それに、たとえこれが誰かに命じられて探っているのだとしても、レナートを籠絡するために、溺愛している振りをする予定のアストリッドに迷うことはない。


「……そうね。私は王族だから、政略結婚をする覚悟は出来ていたわ。でも、相手がレナート様だったからと言うのも間違いじゃない、わよ?」


 恋する乙女のような表情を作り(ほとんど素だが)、そんな言葉を口にする。そんなアストリッドを前に、エレナはピクリと眉を動かした。


「そう、なんですね。とにかく、アストリッドお姉様が悲しんでなくて安心しました」

「ならよかったわ」


 茶目っ気たっぷりに微笑みかけると、エレナもまたコクリと頷いた。

 それから、ふと思い出したように付け加える。


「それと、お父様から伝言です。今日の夕食に招待したいとのことですが、お姉様のご都合はいかがですか? お疲れなら明日でもかまわないとのことですが……」

「問題ないわ。今日お伺いしますと伝えてくれる?」

「分かりました。それじゃ、また後で!」


 笑顔で身を翻す。エレナは甘い香りだけを残して退出していった。


     ◆◆◆


 アストリッドの離宮をあとにしたエレナは、その足で兄レナートの部屋を訪ねる。そうして部屋に入ると、レナートと父のルーファスがローテーブルを囲んで話していた。

 その二人の視線が、部屋に張ったばかりにエレナに向けられる。


「エレナ、アストリッド王女殿下は私のことをなんと言っていた?」

「落ち着け、レナート」


 ローテーブルに手を突いて立ち上がる。そんなレナートにルーファスが待ったを掛けた。それから、ルーファスはエレナにも席に座るように勧める。

 エレナはそれに応じ、二人の斜め向かい、いわゆる誕生席のソファに座った。そうして二人の顔を交互に見比べる。父ルーファスは厳かな雰囲気を纏って沈黙を保っている。

 だが、兄のレナートは食事を前にマテをされた子犬のようだった。


「お兄様、アストリッドお姉様のことが好きすぎませんか?」

「んなっ。な、なにを言う。私が政略結婚に応じたのは国のため。戦争を終わらせるためであり、決して、俺がその、アストリッドに惚れているからとか、そういう私的な理由ではない」

「でも、アストリッドお姉様、とても綺麗になりましたよね?」

「やはりおまえもそう思うか!」


 レナートは腰を浮かせて、だけど次の瞬間には咳払いをして座り直した。


「いや、その、彼女が綺麗になったのは認めるが、それと好きかどうかとは別問題だ」


 だとしても、その反応はどう見ても惚れている――という突っ込みを心の内に留めつつ、エレナはルーファスに向かって「報告を続けますね」と口にする。


「うむ。それで、アストリッド王女殿下の様子はどうだった?」

「政略結婚を受け入れているようでした。それと、落ち込んでいないのかという問いに対して、それはそれは幸せそうに、相手がレナート様だから、と」

「そ、そうか。アストリッド王女殿下がそのようなことを……っ」


 レナートが静かに打ち震えているが、エレナは無視。ルーファスに向かって「だけど、ちょっとおかしいんです」と付け加えた。


「おかしい? 隠し事をしているということか?」

「いえ、それも少し違うと言いますか。なんと言いますか、昔のお姉様はもう少しこう、素直じゃないと言いますか。相手がお兄様だから嬉しい、なんて口にしなかったと思うのです」


 つまりはツンデレだったということ。そのアストリッドが素直に好意を口にした。そのことにエレナは不自然さを感じている。


「九年で変わったのなら分かります。だけど……」


 レナートをちらりと見たエレナは言葉を濁す。

 それに対し、ルーファスは考える素振りをした。


「ふむ。エレナは昔から勘が鋭いからな。それに情報部によると、グラニス竜王国で妖しい動きをしているという指摘もある。彼女の動きを注視しておいても損はないだろう」

「情報部の推測……グラニス竜王国が、魔石の兵器化を研究している。今回の政略結婚はそれが完成するまでの時間稼ぎであり、こちらの内情を探るためである可能性が高い、でしたか」


 エレナがぽつりと呟いた。

 実際のところ、それは可能性の話であり、確実性のある話ではない。だが、マギノリア聖王国は長く続いた戦争で疲弊しており、戦争を再開する余力はない。


 それなのに、グラニス竜王国が強力な兵器を手に入れて戦争を再開させた場合、マギノリア聖王国はなすすべもなく滅ぼされる可能性が高い。


 それゆえに、ルーファスは息子のレナートにある密命を与えた。嫁いでくるアストリッドを溺愛している振りで籠絡し、グラニス竜王国の秘密を探れ、と。


 むろん、嫁いでくるアストリッドはグラニス竜王国の機密を知らない可能性もある。しかし、彼女はマギノリア聖王国でも有名な、魔石の研究者でもある。

 もしもグラニス竜王国に隠し事があるのなら、その糸口を掴めるはずだと踏んでいる。

 ゆえに――


「レナート、改めて聞くことではないが……大丈夫なのだな?」

「むろんです」


 レナートは力強く頷くが、ルーファスやエレナは気遣うような視線を向ける。それに気付いたレナートは「大丈夫です」と繰り返し、小さく笑った。


「必ず彼女の心を掴み、グラニス竜王国の秘密を暴いてごらんにいれます」


 それこそが戦争を防ぎ、アストリッドを幸せにするための唯一の方法だから。

 レナートはそんな決意を胸に拳を握った。

 

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