エピソード 1ー1

 魔石の産出国であるグラニス竜王国の第二王女、アストリッド。

 氷の才女と謳われる彼女はいま、春色のブラウスにティアードスカート、その上に白衣を纏い、髪は後ろで纏めるという研究者スタイルで魔石と向き合っていた。

 ゆらゆらと揺れる魔導具の灯りに照らされたそこは、王城にある魔石の研究室である。


「アストリッド様、こちらをご覧ください」


 アストリッドの部下、共に魔石の研究をおこなう技術者の男が、ある研究データを纏めた紙を差し出した。その内容を追う彼女の瞳が輝くと、わずかに口元が緩んだ。


 グラニス竜王国は世界有数の魔石の産出国だ。しかし、魔導具の開発が進むにつれ、魔石の需要が国内外で爆発的に増加し、魔石が慢性的な供給不足に陥った。それがいまも続いている戦争の一因になっている。

 ゆえに、アストリッドは魔石の不足を補うための研究を始めた。その成果が、目の前の資料に纏められている。


「わたくしの仮説は間違っていなかったのね」

「はい。磨いた魔石を一定間隔で並べることで共鳴現象が発生、出力が上がることは間違いありません。この研究が進めば、魔石不足も解消されるでしょう。これは歴史に残る快挙ですよ」

「……ええ。でもまだよ。これから更に魔力の変換効率を上げる研究をしましょう」

「――はい!」


 技術者は大きく頷き、更なる研究を続けるために席に戻った。

 それを見送ると、アストリッドはすぐに研究を再開させた。そこに、さきほどわずかに浮かんでいた笑みはなく、整った顔には新たなる研究への意欲だけが滲んでいた。

 それを見た技術者達が囁き声を上げる。


「さすが氷の才女、世紀の発明をしても表情一つ変えないんだな」

「アストリッド様は天才だもの。このくらい、彼女にとっては当然にきまっているわ」


 氷の才女というのは、他者がアストリッドに名付けた二つ名だ。だがその実、彼女は恋に焦がれる乙女でしかない。


(来た、ようやくここまで来たわ! この研究が進めば魔石不足を解消し、戦争の原因を取り除けるはずよ。そうなれば、いま続いている戦争だってきっと――っ)


 彼女の脳裏によぎったのは、隣国のレナートと子供の頃に交わした約束。戦争が終われば、彼が迎えに来てくれる。そう信じて、彼女は魔石の研究を続けていた。

 その姿勢が氷の才女と呼ばれるに至った訳だが……心の中は恋する乙女である。という訳で、彼女が表面上は冷静に、内心は情熱的に研究を続けていると、そこに侍女がやってきた。


「アストリッド様、ジークヴァルト陛下がお呼びです」

「お父様が? すぐに向かうわ」


 そう言って席を立つと、侍女がアストリッドの纏う白衣を脱がせた。続けて後ろで纏めていた髪をほどけば、アストリッドのプラチナブロンドはフワリと広がる。その内側には、光りを受けて淡く輝くブルーが隠れており、氷の才女という異名を彷彿とさせる。

 その芸術的な美しさに、様子を見守っていた技術者達がほうっと息を吐いた。



 研究室を後にしたアストリッドは、その足で応接間へと足を運んだ。謁見の間ではなく応接間。私的な話だろうと、軽い気持ちで扉をノックする。


「アストリッドか、入れ」

「お父様、わたくしになにかご用……」


 父――ジークヴァルトの返事を聞いて部屋へと足を踏み入れる。その瞬間、ぴりりとした緊張感が空気を通してアストリッドに伝染した。

 これが親子の団欒ではなく、内密の話だと理解した彼女は瞬時に意識を切り替える。


「失礼いたしました、ジークヴァルト陛下」

「ふっ、そういう察しのよさは相変わらずだな。だが、そのようにかしこまる必要はない。いまは非公式の場だ。楽にして、そこに掛けるがよい」


 柔和な表情を浮かべるジークヴァルトに、彼が座る向かいのソファを勧められる。アストリッドはソファに腰を下ろしつつも、背筋はぴんと伸ばした。


「内密のお話と推察しますが、どのようなお話でしょう?」

「ふむ、なにから切り出したものか……ヴェルディア商業連合が我が国とマギノリア聖王国に接触していたのは知っているか?」

「はい、それはもちろん」


 その名の通り、商業連合が支配する大国である。

 儲かるのであれば戦争ですらも否定しない商業国家。しかし、魔石の産出国と魔導具の輸出国が戦争をするのは、ヴェルディア商業連合にとっても都合が悪かった。

 それゆえに、最近はなにかと口を出すようになっていた。


「そのヴェルディア商業連合がどうかなさったのですか?」

「うむ、かの国の介入で、我が国とマギノリア聖王国の戦争終結が纏まった」

「……は?」


 待ち望んでいた言葉。だが唐突であるがゆえにすぐには受け入れられない。呆けるアストリッドをまえに、ジークヴァルトは話を進める。


「信じられないのも無理はないが事実だ。現在は講和条件を話し合う段階だが、ひとまず戦争が終結するとみて間違いないだろう」

「ずいぶんと、急なのですね」

「そうでもない。もとより、我が国は長く続いた戦争で疲弊していた。第三国の仲裁で戦争を終えるというのは、ちょうどよい落とし所だったのだ」


 ぶちまけられた内情。とはいえ、王族であるアストリッドも自国が戦争に疲れていることは知っていた。ゆえに、講和は事実だと理解が及び、アストリッドの心臓がドクンと脈打った。


(戦争が……終わる?)


 それは、アストリッドがずっと待ち望んでいたことだ。

 戦争が終われば、レナートが迎えに来てくれるかもしれない。そんな夢が急に現実味を帯びて、鼓動がうるさいくらいに鳴り始めた。


「それでな。講和条件だが……」

「そ、そうです。どのような講和条件が出されたのですか?」


 内容によってはこじれることもあるかもしれない。そんな不安を抱くアストリッドをまえに、ジークヴァルトは静かに口を開いた。


「いくつか話し合いがおこなわれているが、重要なのは我が国の魔石と、マギノリア聖王国の魔導具の交換。そして王族同士の婚姻だ」

「婚姻、ですか?」


(まさか、レナートがわたくしとの約束を覚えて?)


 期待と不安に揺れる。

 アストリッドに向かって、ジークヴァルトは静かに告げた。


「婚姻の相手はレナート王太子殿下、そしてその相手はアストリッド、そなただ」

「わたくしが、レナート様と……」


 嬉しくて、相好が崩れそうになるのを必死に堪えた。


「レナート第一王子とアストリッド、そなたは幼少期に将来を誓い合った。だが、戦争が二人を引き裂き、そなたらは悲劇の主人公となった」

「それ、は……」

「彼は戦争を終わらせるために尽力し、聖王子と呼ばれるまでに至った。そなたもまた同じように努力し、氷の才女と呼ばれるように至った。二人のひたむきな思いが戦争を終結へと導いたのだ」

「お、お父様」


 誰にも話したことがないのに、バレていたのだろうか? いや、彼が話したのだろう――と、アストリッドは理解する。

 そして、彼は約束を覚えてくれていたのだと感動にその身を震わせるが――


「――という美談をでっち上げ、国民を安心させる役目を負ってもらう」

「…………は?」


 底冷えするような声がアストリッドの口から零れた。だが、幸か不幸かアストリッドは下を向いていたため、その声はジークヴァルトに届かなかった。

 彼女は父の言葉を心の中で反芻して、それからゆっくりと顔を上げた。


「……お父様、美談をでっち上げるとは、どういうことですか?」

「どうもこうも、民衆へのパフォーマンスだ。政略結婚である以上、それらしいエピソードは必要だ」

「それは、分かって、います」


 冷たく、迫力のある声。

 ジークヴァルトは訳が分からず気圧された。


「で、では、なにが分からないのだ?」

「そのような美談をでっち上げる理由です」

「いや、だから、それは民衆への……いや、なんでもない」


 娘に睨まれたジークヴァルトは沈黙を選んだ。

 そんな中、アストリッドは考えを纏める。


 さきほど、ジークヴァルトが語った美談はほぼ事実だ。少なくとも、アストリッドはそのつもりで研究を続けていたし、幼少期に将来を誓い合ったことも間違いない。にもかかわらず、美談をでっち上げるという話になった。


 だが、レナートが覚えていれば、でっち上げではなく事実だと訂正してくれたはずだ。


(わ、私はずっとレナート様が迎えに来てくださる日を夢見ていたのに……っ!)


 こんなのあんまりだと、アストリッドは消沈した。


(で、でも、子供のときの約束だもんね。レナート様が忘れちゃっても仕方ないよね。それに、覚えていて、でも子供同士の約束だからと思ってるだけかもしれないし……)


 仕方ないことだと、自分に言い聞かせる。

 だが、そうしているあいだにだんだんと腹が立ってきた。自分は戦争を終わらせるために必死にがんばったのに、レナートは忘れていた、ということに対する怒り。

 所詮は子供の頃の約束――なんて言葉は、恋する乙女には通用しない。レナートと再会したら問い詰めてやると、アストリッドは拳を握りしめる。


「……アストリッド?」


 ジークヴァルトに呼びかけられて我に返る。

 アストリッドは笑顔を取り繕って顔を上げた。


「失礼しました。急なことで少し動揺していたようです」

「そ、そうか? なら話を続けよう。そなたにはレナート王太子殿下の元へ嫁いでもらう。だが、国民を安心させるというのは表向きの理由だ」

「表向きと言うことは……裏があるのですか?」


 既に結婚にケチが付いてしまったのに、裏まであるのかとアストリッドは眉を寄せた。そんな彼女に対して、ジークヴァルトが資料をローテーブルの上に置いた。

 それを受け取った彼女は資料に目を通し――眉を寄せる。資料に書かれていたのは、マギノリア聖王国が戦局を左右するような強力な魔導具を開発している可能性について、だったから。


「……講和が時間稼ぎの偽装かもしれない、ですか?」

「軍の情報部はその可能性を懸念している」

「しかし、ヴェルディア商業連合の働きで終結した戦争を再開させれば、かの国のメンツを潰すことになるのではありませんか?」

「分かっているだろう? やりようはいくらでもあるのだ」


 その言葉に納得したアストリッドは沈黙した。

 つまり、政略結婚ですら数年で潰れるかもしれないと言うことだ。そしてそのときは、アストリッドは再び敵国となったマギノリア聖王国で取り残されることとなる。

 それどころか、戦争を再開させるための生贄にされる可能性すらある。

 だが、それでも、アストリッドは逃げなかった。


「それで、私はなにをすればいいのでしょうか?」

「……よいのか? この先を聞けば、そなたは孤独な戦いをすることになるのだぞ?」

「私は王族です。もしさきほどの話が事実なら見過ごす訳にはまいりません」


 マギノリア聖王国がそれだけの力を隠しているのだとしたら、今度こそグラニス竜王国は滅ぼされることになる。

 家族や同僚、友人や民が死ぬことをアストリッドはよしとしない。


 それに、いまの話が事実であれば、レナートと再会するチャンスはいましかない。

 そういった想いが、アストリッドの迷いを吹き飛ばした。


「……そうか。ならばそなたに密命を与える。アストリッドよ。マギノリアで王太子レナートを籠絡し、彼の国が研究している魔導具の秘密を暴き出せ」

「拝命いたします」


(レナート様を籠絡し、戦争を止めてみせる。私ならば、それが出来るはずよ)


 静かに決意を抱く。アストリッドは、わずかに胸に走る痛みに気付かないふりをした。



 そして時を同じくして、マギノリア聖王国でもまた、レナートが同じような密命を受けているのだが、アストリッドには知る由もない。

 

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