後編
A子が部屋を出たのを確認して、私は倒れている椅子を起き上がらせる。そして一呼吸おいて、その椅子に乗り立った。幾分か高くなった目線の前には、古びたロープの輪が見える。何の変哲もないそれに、私の目線は吸い込まれていた。
死にたい、とかそういう感情が湧き上がってくるわけではない。どうしてか、「そうするべき」だと感じて、それに首を近づけていく。首に輪を掛けるつもりはない。けれどもやはり、吸い込まれていく心地がしたのだ。
すんでのところで、はっとする。それは、今まさに呪いにかけられていると気付いたからじゃない。首吊り輪の向こう側、丸の中の奥に、『それ』が見えた。黒い小さな影。しかし確かに、『それ』が人だと思われた。私は『それ』をもっとよく見ようとして、顔を近づけて、ロープに手が触れて……。
「――ッ! みっ、見えた!!」
咄嗟に叫んだ。それは絞り出すようなものだったから、掠れたり上擦ったりしてしまったのかもしれない。けど、その叫びは確かに届いていた。
勢いよくドアが開かれ、A子が姿を現す。こちらを見て目を見開いた彼女は、駆けて私の身体に飛びついた。椅子に乗っていた私はバランスを崩して、後ろにあったベッドに二人で沈む。何事かと覆い被さるA子を見上げると、彼女は泣きそうな顔で叱咤を飛ばした。
「馬鹿っ、死ぬ気はないって言っていたじゃないですかっ」
「本当にそのつもりはなかったんだよ。でも、本当に危なかったのかな。助けてくれてありがとう」
「馬鹿、馬鹿っ」
とすん、と胸を叩かれる。そんな顔をされたら、どうしていいかわからなくなる。なんだか悪いことをしてしまったという気持ちにさせられながら、胸の中のA子を見つめていた。
けれどもすぐにはっとして、起き上がってさっき見た影を探す。あの時にいたであろう方を見れば、そこにはその場で狼狽えている小さな男の子がいた。小学校低学年くらいの背丈からして、この部屋の主だろう。私は迷わず、その子供に近付いた。A子はベッドの近くで見守ってくれるようだった。
「君は、この家の子かな?」
できるだけ優しく、諭すような声色で話し掛ける。声を掛けられた子供は一層怯えて、こちらを警戒しているようだった。
「えっと、じゃあ聞き方を変えるね。君は、私の嘘で生まれた存在?」
私がそういうと、その子は警戒の色を強くする。だんだんと恨むような表情へと変わっていくのを見て、私はとうとう確信した。
その子供、乃至この家の『曰く』そのものは、私の作り話によって生まれたんだ。呪いには少なからず苦しみが伴うし、この家だって例外じゃない。たとえ常人を害するこの家も、目の前の少年だって苦しんでいるに違いない。そしてそれは、私が不用意に生み出したものだった。だったら、私がすべきことは。
それに気付いたと同時に、私は少年の元へ駆け寄った。そうして両の腕でその子を包み込む。暖かなものを感じて、確かにその子は存在するのだと思わされた。少年は振り解こうとはしない。私の行動に驚いているようでもあったけど、拒んでいるわけではなさそうだった。その少年に、私はほとんど衝動的に叫ぶ。
「――ごめんっ、全部、私が悪いのっ! だから、もう苦しまなくていいんだよっ」
これで、許されようとは思っていない。今はただ、この子が安らかであれるよう祈るばかりだった。
そしてこれが、一連の話を嘘であると証明する方法でもあった。作り手である私も、当事者である少年も、作り話だと認める必要があると思ったのだ。その上で、この話を供養しなければならなかった。
そんな祈りが届いたのだろうか。腕の中にいる少年が光に包まれていく。否、それは光となって徐々に天へと昇っていくようだった。最後に映った少年の顔は、安らかに微笑んでいた、ような気がした。
「……これで、この話はフィクションとなりました。お疲れ様です」
背後からA子の声が掛かる。それは少し寂しさを帯びていて、違和感を感じた私は振り返った。
見れば、A子の姿までもが白く淡い光と化している。A子だけじゃない。この家全体が光を溢していた。私以外の、全てだ。
そんなことは当然とでもいうように、A子は続ける。
「私達は、このまま夢となって消えるでしょう。白奈、貴女のお陰です」
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでA子まで消えなきゃいけないの!?」
「言ったでしょう? 私も貴女によって作られた存在なんですよ」
堪らず、私はA子の腕を掴もうとする。けれども、掴んだところは淡い光になって崩れていってしまう。慌てて手を引っ込める私に、A子は変わらぬ調子で言い聞かせる。
「大丈夫ですよ、これまでの出来事はなかったことになるんですから、記憶もなくなります。次に目が覚めれば全て忘れていますよ」
「いやだ、それでも嫌だよぉ!」
とても短い間だったけど、いや短い間だったからこそ、もっとずっと一緒にいたかった。今までこれほど親しく人と話したことはなかったから、どうしようもないほど離れたくないと思ってしまう。
「ねぇ、私さ、友達がいなかったんだ。だから、A子みたいな友達が出来たのが本当に嬉しかったんだよ」
「そういう設定、でしたからね。でも、これは最初から分かっていたことでした」
ああ、ああ、A子が消えていく。象っていた輪郭も、見慣れない学校の制服も、小さく微笑んだその顔すらも。光となって昇っていく。私は何もできず、手を伸ばして、叫んだ。
「いかないで!!」
そんな虚空に消えた叫びを最後に、私は光に包まれた。
≪≫
――珍しく、早い時間に目が覚めた。その上、いつもなら二度寝したりスマホをいじったりしているけど、今日は早く家を出ることにした。なんとなく、そうした方が良いと思ったから。
出てすぐのこと、一人の女子高生が家の前を通り過ぎる。知らない高校の制服。だから、見覚えすらもないはずだ。なのに、私はその名を口にした。
「……A子?」
その名前に心当たりがあったわけじゃない。咄嗟に頭に浮かんだものだ。けれど、思ったよりも声が大きかったのか。それとも周りが静かだったからなのか。その少女は私の方に振り向いた。
「はい、私は栄子ですが……」
その少女は知らない人に声を掛けられたからか、困惑しながらも答える。私も私で返答が返ってくるとは思っていなくて、尚且つやっぱり知らない人だったから、愛想笑いを浮かべながら謝罪する。
「ご、ごめんなさい、人違いだったみたいで……」
無性に恥ずかしくなって、逃げ出すように少女とは反対方向へ歩き出そうとする。しかし、今度は彼女の方から制止が掛かった。
「待ってください。私もなんだか、貴女のことを知っているような気がして」
駆け寄ってそう言う彼女を見ると、私も他人事のようには思えなかった。まるで夢で会った人に、現実でも会ったような感覚。それは決して悪いものだとは感じられなかった。
「貴女、お名前は?」
「私は、百成白奈。どうもよろしく」
「なるほど、良い名前ですね」
自然な流れで、私も名前を聞き返す。すると目の前の少女は、朗らかに笑って名乗った。
「私は
百物語で嘘つくな 晴牧アヤ @saiboku
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