下弦の月 ~ 錬金術師は愛しい婚約者を蘇らせる~

藍銅紅@『前向き令嬢と二度目の恋』発売中

逢いたいと願う気持ちは。


 王城の薬草園は広い。

 今日もわたしはその薬草園で研究に使う薬草の生育状態や土の状態を、しゃがみこみながら確認する。

 庭師たちがちゃんと適切に水やりをしてくれているようだ。土も乾いておらず、かといって湿りすぎてもいない。ちょうどいい。

 うんうん……と、頷きながら、薬草を手で触れてみる。


「……もう少し育てないと駄目ね。じゃあ、今日は研究室に閉じこもって鉱石と結晶を粉にしてから混ぜ合わせる作業かな。夜になったら月光で浄化して……」


 わたしは空を見上げる。

 きれいに晴れた空には雲一つない。きっと夜も晴れるだろう。しかも、今日は暦からすると下弦の月だ。


 満月までは、エネルギーをためる。

 満月で達成されたピークのエネルギーは、新月に向かうにつれて、徐々に減少。

 その減少途中で、不要な物や執着、マイナスのエネルギーを開放していく。

 だから、下弦の月の時期は、浄化にぴったりだ。


「浄化……、わたしの髪もそろそろ洗うべきかしら……」


 ぼそりと言えば、わたしに付き従っている侍女たちが、一斉に頷いた。


 きちんと手入れをすれば、銀青色のわたしの髪は月光のようにきれい……ではあるはずなのだけど。このところ、研究室に籠って鉱石をゴリゴリと削って粉にしたり、今日も薬草の生育状態を確かめたりしたから……埃っぽいというか、土臭い。


「お風呂……準備してもらえる?」


 侍女の中で一番年若い者が「かしこまりました」と頭を下げて、先に離宮に向かう。

 国王陛下から、わたしの錬金術の研究用にとお借りしている離宮はかなり大きい。


 薬草園から離宮までの道には護衛の兵士が大勢並んでいるし、離宮でのわたし専属の使用人は三十人もいる。


 生活に困ることのない素晴らし究環境と潤沢な資金。とてもありがたい。


 これには実は理由がある。


 一つ目は、わたしの父であるシフエンテス公爵が国王陛下の弟であること。ま、つまり、わたしは公爵家の令嬢にして、国王陛下の姪である。


 二つめは、わたしが第二王子であるアンヘリノの婚約者であること。いとこ同士の婚姻は血が近くなりすぎるから、実はあんまり推奨されてはいないのだけれど、わたしとアンヘリノはちょっと特別。生まれた時から兄と妹のように育っていたし、とても仲がいい。


 それから、もう一つの理由。それが……。


 ぼんやりと思い起こしていると、離宮の前庭に誰かが居るのが見えた。


 金の髪の青年と桃色髪の少女。あれは……。


「アンヘリノ?」


 太陽の光がアンヘリノの豪奢な金の髪をキラキラと輝かせる。風にそよぐ長い髪がまるで天使の羽根のよう。

 そう、幼い時からアンヘリノは天使と称されるくらいに美しい少年だった。


 天真爛漫、それでいて他者を気遣う優しい心の持ち主。

 それが、アンヘリノだった。


 だった……過去形。


 今、わたしの離宮の前で、薄桃色の髪の女の子の腰を抱いて、わたしを睨みつけているアンヘルノに……以前の天使のような可愛らしい男の子の面影はない。


 そのアンヘルノが、わたしの顔を見るなりいきなり怒鳴った。


「リュイサ! オマエとの婚約は破棄だ!」


 生まれたときから兄と妹のように育ち、そして、わたしが十二歳のとき……故あって、婚約を結んだ。


 あれから、五年。

 たった五年でアンヘリノは変わった。変わってしまった。……いや、違うのかもしれない。彼は……。


「アンヘリノ……、本気?」


 彼は、すごく嫌な顔でわたしを睨んだ。

 ああ……、そんな目で、わたしを見るのね。

 前は……、キラキラした輝く瞳でわたしを見つめて「リュイサはすごいね! リュイサの錬金術はすごい!」と笑ってくれたのに……。


 あのときの、アンヘリノは……、もう、いない。


「私の名を呼ぶとは不敬だろうが! 第二王子殿下と呼べ!」

「そうよ~。従妹だからと言っても、リュイサ様は単なる公爵令嬢でしょう? 王子様を呼び捨てにするなんて、すっごく失礼よ!」


 薄桃色の髪の女が偉そうに言う。が、どうでもいい。男爵令嬢ごときが公爵令嬢であるわたしに偉そうに……なんて、言ってあげる必要もない。


「婚約を破棄するのだから、私とお前は他人だ! 私の名は今後呼ぶな!」


 わたしはちらりと周囲に目を配る。

 控えている侍女。護衛の騎士たち。

 そのうちの数名が陛下や王妃様、王太子殿下の元へと急ぎ向かった。


「公爵令嬢としての義務も果たさず、社交も真っ当に行わず、埃臭い部屋に閉じこもって、錬金術などというオカシナ研究ばかりしている女が、この私の婚約者であるなど恥ずかしい!」


 風が、アンヘリノの声を散らす。

 聞きながら、わたしは思い出す。

 幼い頃の、過去のアンヘリノを。


 ……これが錬金術⁉ 魔法とは違うの? リュイサはすごいね!


 天使のような笑顔。明るく、わたしを照らしてくれた。


 大好きだった。

 部屋に閉じこもって、何時間も研究ばかりして。公爵家の娘なのに……と、わたしを貶してくる人たちからわたしを守ってくれた昔のアンヘリノ。


 陛下も、王妃様も、王太子殿下も、わたしの父も母も、王城の侍女や護衛騎士たちも……、みんな昔のアンヘリノが大好きだった。


 それが、変わった。


 貴族の令息や令嬢が通う学園。他国の流行だとかで、学園に通う間は身分の差はなく、上位貴族も下位貴族もみんな等しい関係で過ごそう。

 その学園で、天使のようだったアンヘリノは……変わってしまった。


 アンヘリノが、今、腰を抱いている薄桃色の髪の女……パレハ男爵家の庶子、ロミーナ。


 身分なんてない。人は誰しも平等なの。

 そう言って、ロミーナはアンヘリノに近づいた。


 あっという間にアンヘリノはロミーナに恋をして……。


 天使だったアンヘリノは……、単なる、男に、なった。



「いとこ同士だという関係すら不快だ! 今後は一切この私に関わるな!」


 婚約者であるわたしに配慮することもなく。

 生まれた時から兄妹のように過ごしたわたしを、一方的に切り捨てる。


 これは、本当に、あの天使のように優しくて、かわいらしかったアンヘリノのなのだろうか?


 恋を知って、単なる男になって……性格も、価値観も、変わったの?

 それとも……、わたしが、失敗したの?


 ああ……。そうかもしれない。わたしが間違えたのかもしれない。

 上手くいっていたと思ったのは、わたしだけだったのかもしれない。


 きっと、そうだ。

 わたしの、ミスだ。


 ため息を、吐く。

 外見だけは、昔の天使のようなアンヘリノのまま、青年に成長したのに。

 中身は……違うのね。


「……婚約は破棄。今後、わたしは、あなたを、アンヘリノと……呼ぶことはないわ」


 言いながら、指に嵌めてある婚約指輪に触れる。

 婚約した当時を思い出す。


 ……ずっと、ずーっと一生、大切にするよ。


 アンヘリノの、キラキラした声。今でも、この胸に、響くのに。


 ……うん! わたし、アンヘリノが大好き! 一生、大好きよ!


 あの輝かしい日々は……、もう、遠い。

 取り戻したいと切望しても……、もう、駄目かもしれない……。


 アンヘリノが居ればよかった。ただそれだけでしあわせだった。


 アンヘリノの隣で、錬金術の研究をして、その成果をアンヘリノに見せて。喜んでもらって……、そんなふうな毎日が、ずっとずっと続くことを願っていた。


 だけど、もう……。


 婚約指輪から、青白い光が放たれる。

 その光は円を描いて……、そして、光が錬成陣を構成する。


 月の光に似た美しい光がアンヘリノの体を包む。


 愛していた。

 だから、わたしの命を削ってまで、術を発動した。


 大好きだった。

 天使のようなアンヘリノはもういない。


 息を吸って、吐いて……、わたしは、言った。

 


 わたしがそう言うのと同時に。

 遠くから「やめて! アンヘリノを消さないで!」という王妃様の叫びが聞こえてきた。




 ***



 わたしリュイサ・シフエンテス公爵令嬢は錬金術師だ。


 卑金属から貴金属を精錬し、金属に限らずさまざまな物質、人間の肉体、魂もを対象として、それらをより完全な存在にすることを求める。


 幼い時のわたしは、その錬金術に魅入られた。


 書物を読み、実験を繰り返し……、そして、ある時、偶然に。


 フラスコの中に生命を誕生させた。しかも大量に。


 ホムンクルスという、小さな小人のような生き物。

 フラスコの中でしか生きることが出来ずに、外に出すと死んでしまう。


 わたしは必死になって、そのホムンクルスが死なないように研究を重ねた。

 最初はうまくいかなかった。

 ホムンクルスたちはどんどんと数を減らして、最終的には三体だけが残った。


 死んだ大量のホムンクルスを、わたしは泣きながら埋葬した。


 幼い時のアンヘリノは、汚れるのも構わず、気持ち悪いとも言わず、わたしと一緒にホムンクルスたちを埋葬してくれた。


「リュイサならきっと、この残りの三体のホムンクルスを、普通の人間みたいに、フラスコの外でも自由に生きて行けるようにしてあげられるよ!」


 アンヘリノに支えられながら、わたしはホムンクルスたちを育てていった。


 三体のホムンクルスはフラスコ内で元気に暮らしていった。


 そのまま、いつか、わたしが大人になったら。

 このホムンクルスたちとアンヘリノと一緒に、外に出て、花を積んで、花冠を作ろう……。


 そんなことを話していた。


 わたしの父であるシフエンテス公爵も国王陛下も、そんなわたしたちを見守っていてくれた。外国からたくさんの錬金術の本を取り寄せてくれて。わたしが欲しいという原材料はなんでも買ってくれた。

 錬金術の実験用にとこの離宮まで与えてくれてことには驚いたけど。

 わたしはありがたく研究をして……。錬金術で生成した金や宝石は、すべてお父様と国王陛下に献上した。


 そのままずっと過ごせれば、良かったのに。


 わたしが十二歳で、アンヘリノが十三歳のとき。

 流行り病でアンヘリノはあっさりと死んだ。


「天使のようにきれいな心を持っていたから……、人より早く天に召されてしまったのよ……」


 王太子殿下も王妃様も、国王陛下も。

 みんな、アンヘリノの死を嘆いた。


 わたしは……嫌だった。


 アンヘリノが死ぬなんて、嫌。


 ハサミで、アンヘリノの遺体から金色の髪を切った。


 三体の内の一体。ホムンクルスのフラスコの中にアンヘリノの髪を入れる。


 ありったけの宝石や輝石を用意して、砕いて、粉にして、入るだけ、フラスコの中に入れた。


 ホムンクルスを、フラスコを外で、自由に、動けるようにと考えていた錬成陣。

 過去の偉大なる錬金術師たちの生み出した法則。

 理論上は、錬金術で、人間を作り出すことも可能。

 合成術。


 そして、人体錬成。


「人間の体は、水と炭素とアンモニアと石灰とリン、塩分、硝石、硫黄、フッ素、鉄、ケイ素、その他少量の十五の元素からできている……」


 恐ろしい勢いで、わたしの頭は回転した。


 錬成陣に錬成陣を重ねる。


「対価は、わたしの命の半分。それからこのホムンクルス一体。アンヘリノの髪……つまり、アンヘリノの肉体情報」


 必死だった。

 アンヘリノが死ぬなんて、認められない。


 三重、四重、五重……。重ねに重ねた錬成陣。


 アンヘリノの髪とホムンクルスと宝石と輝石を入れたフラスコ。それから水や炭素アンモニア……人体を構成する元素や物質を、描いた錬成陣の上に置く。


「アンヘリノを……蘇らせて!」


 錬成陣が発動する。

 青白い錬成の光が……フラスコの中に集約されて……。


 そして、ホムンクルスはアンヘリノになった。


「あれ……?」


 光が収まった錬成陣の上で、きょろきょろとアンヘリノが辺りを見た。


「あれ? リュイサ?」


 きょとんとわたしを見つめるホムンクルス・アンヘリノ。


「アンヘリノっ!」


 わたしは、アンヘリノに抱き着いた。



 ***



 わたしが生み出したホムンクルスのアンヘリノは、きちんと元の人間のアンヘリノの記憶を持つ、完璧なアンヘリノだった。


 笑い顔も、声も、言葉も。


 生き返ったアンヘリノを王妃様は涙を流して喜んだ。


「ああ……! アンヘリノが蘇ったのね!」


 そう、蘇った。

 死んだアンヘリノと、ホムンクルスのアンヘリノは、完全に同じだった。


 ……ううん、でも、きっと、違ったのね。


 アンヘリノが生きていてほしい。死んだなんて認められない。


 そういう願いが、ホムンクルスをアンヘリノとして見ていただけ……なのかもしれない。


 そうでなければどうして。

 わたし以外の女を愛して、わたしを睨み、わたしを排そうとするのか。


「……失敗だったわ。これは、アンヘリノじゃない。元のホムンクルス」


 


 わたしの声に、アンヘリノだった生き物は、元のホムンクルス……小さな人間に戻った。そして、フラスコの中ではないから、そのまま死んだ。


「な、な、何なの……。アンヘリノを、アンタ、殺したの……⁉」


 男爵令嬢が、震えながらわたしを見る。怯えた顔。


「殺してないわ。元に戻しただけ」


 がたがたと震える男爵令嬢を、わたしは護衛騎士たちに命じて拘束させる。


「離宮の、資料室にしまっておいて。逃げられないように、手足は拘束して」


 護衛騎士たちは無言で頷いた。


「ちょっと、なにっ! なんなのよおおおおお!」


 男爵令嬢が叫ぶ。


「あなたの出番は後で。今は待っていて」


 男爵令嬢より先に、王妃様だ。

 きっとすぐに国王陛下や王太子殿下もこの離宮にやって来る。


 だから、男爵令嬢は、後で。


 アンヘリノによく似た顔の王妃様が、死んだホムンクルスに手を伸ばす。


「あ、あああああああ……。アンヘリノが……」


 わたしはそっと、ささやくように、告げる。


「違いますよ。それはホムンクルス。本物のアンヘリノが死んだときに、わたしがアンヘリノを蘇らせるために使った素体です。でも、失敗作でしたね」

「失敗……作……」

「ええ、だって本物のアンヘリノなら、わたしを睨んだりしない。わたし以外の女を愛することもない。婚約破棄なんて言わない。わたしにアンヘルノの名前を呼ぶななんて、ひどいことは言わない」

「で、でも……」

「大丈夫。ホムンクルスはあと二体残っています。アンヘリノの髪もまだある。もう一度、わたし、アンヘリノを作ります」




 やってきた国王陛下と王太子殿下に王妃様をお任せして。

 もう一度、アンヘリノを作ってみせると告げる。


 今度こそ、完璧に、本物のアンヘリノを。



 ***



 失敗の原因は、きっと、魂が半分だったこと。


 一人分の人間を作るのに、魂が不足していた。

 あのとき、わたしはわたしの命の半分しか使わなかった。


「アンヘリノ一人分の肉体成分なのに、魂は半分だった。そのバランスの悪さから、アンヘリノの精神が崩れてしまった。だから、あんな男爵令嬢なんかに魅かれてしまったのよ」


 一人分の肉体に、必要な魂は一人分。


 わたしの魂はもう半分しかないから使えない。


「でも、ちょうど、一人分の魂が手に入ったから問題はない」


 男爵令嬢の魂。

 ホムンクルス。

 アンヘリノの金の髪。つまり、アンヘリノの情報。

 宝石と輝石。

 人間の体を構成する水と炭素とアンモニアと石灰とリン、塩分、硝石、硫黄、フッ素、鉄、ケイ素、その他少量の十五の元素。


 さあ、錬成を始めよう。

 もう一度、アンヘリノを蘇らせよう。


 そして、今度こそ。


 わたしは、ずっと、あなたと、一緒に。






 終わり










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