そのうち書こうと思っているお話ですが、今時間がないので、冒頭だけ書いて、忘れないように投下しておくです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
王太子レジナルドの執務室。
その執務机の上には書類が山のように積み重なっていた。
積み重ねすぎた挙句、床にも崩れ落ちた何十枚もの書類が散らばっている。
それらの書類は全て未処理だ。
書類を決裁するべき王太子、レジナルドのサインは当然書かれていないし、決済印も押されていない。
王と王妃が長期の外遊に出かけているので、確かに王太子であるレジナルドの政務は普段よりも多い。
多いからこそ、執務が滞り、見ないふりをして放置し……。
挙句の果てに、どこから手を付けてよいのかすら分からない……という状態になってしまった。
書類の山を見て、王太子レジナルドは言った。
「俺様は忙しい。ミシェルを呼んで、この書類を全て処理させろ」
王太子レジナルドの命令に、レジナルド付きの文官たちは呆気に取られた。
「は? まさか、フィッツクラレンス侯爵令嬢にこの書類の処理をお任せするおつもりで……?」
ミシェル・D・フィッツクラレンス侯爵令嬢はレジナルドの婚約者だ。
黒みを帯びた銀灰色の長い髪と、鉄の表面が酸化した時のような赤鉄鉱色の瞳を持つ、スラリしたと背の高い令嬢である。
貴族学園の成績は学年トップ。十六歳になったばかりだが、王太子妃教育もほとんど終わりかけている。
「た、たしかにフィッツクラレンス侯爵令嬢であれば、これらの書類を処理する能力はあるでしょうが……」
「あの頭でっかちの女にはそれくらいの利用価値しかないからな!」
「ですが……」
城の文官たちが反論しようとした時、執務室のドアがいきなり開いた。入ってきたのは背の低い、薄桃色の髪と瞳を持つ可愛らしい令嬢だった。
「レジナルドぉ~、早く買い物に行きましょうよぉ~」
「ああ、アナベル。待たせてすまない」
アナベルと呼ばれた令嬢がレジナルドの腕に、豊かな胸を押し付ける。
レジナルドは鼻の下を伸ばした。
「あのねえ、あたしねぇ、欲しいものがあるのぉ」
「ん? 何が欲しい?」
「レジナルドとお揃いの指輪~」
「はっはっは、アナベルはかわいいな」
レジナルドはアナベルの腰を抱き寄せると「お前たち、きちんと書類を処理しておけよ」とだけ言い残し、アナベルと共に執務室から出て行った。
文官たちは苦々しい表情を浮かべる。
恋人同士の買い物が、書類の処理よりも優先されることではない……。分かってはいるが、文官程度が王太子に意見をすることはできないのだ。
「ど、どうする……?」
「王太子殿下に言われた通りに、フィッツクラレンス侯爵令嬢をお呼びしないと……」
「いや、しかし……」
ぶつぶつ言っていても、仕方がない。
とにかくフィッツクラレンス侯爵令嬢を呼ぶために、早馬が出された。
***
困り果てた顔の文官たちと、積み上げられた書類の山。
後の王太子妃、王妃となるべく厳しい教育を受けてきた侯爵令嬢ミシェル・D・フィッツクラレンスも頬を引き攣らせた。
「この書類を……、わたくしが……?」
困惑を隠せず、思わずぼそりと言えば。
文官たちが一斉に頭を下げてきた。
「も、申し訳ございません! ですが、レジナルド王太子殿下が……」
「レジナルド王太子殿下の婚約者である貴女様にお頼みするのも筋違いとはわかっております。ですが……、この惨状をなんとかせねば……」
単に王太子レジナルドの婚約者であるだけのミシェルに、これらの書類の決裁権はない。
国王、王妃、王太子。その三名のうちのいずれか一人のサイン、それから王家の決済印が必要なのだ。
もしも、ミシェルのサインで書類が決裁されることがあれば、それは違法。
罪に問われるのはミシェルである。
「レジナルド殿下はどこに……?」
震える声で、ミシェルは文官たちに尋ねる。
文官たちは答えた。
「それが……。フィッツクラレンス侯爵令嬢を呼んで書類を処理させろと言った後、お出かけになってしまって……」
「は? 出かけた? この惨状を放棄して?」
「はい……」
さすがにアナベルという男爵令嬢と一緒に……とは言えず、文官たちがハンカチで汗を拭く。
ミシェルはしばらく茫然としてしまった。が、このまま呆けていても物事は進まない。現状でできることは……と、考えた。
「と、とにかく! この山と積み上がった書類を……仕分けましょう!」
処理はできない。
だが、仕分けることなら可能だ。
「まず、すべての書類をいったん床に置いてちょうだい。決裁印を押してレジナルド王太子殿下のサインをすればいいだけのものは、王太子殿下の執務机の上の……、右側に置いて」
「はい!」
「書類に不備があるものは、その不備がどこにあるのかのメモをつけてから、再提出の指示を」
「はい!」
「文官レベルで処理が可能なものは、できる限り処理をして。処理が完了して、後はレジナルド殿下の決済印さえもらえればいいというレベルになったら、王太子殿下の執務机の上の、左側に置いてちょうだい!」
「分かりました!」
「法令を確認しないといけない書類や急ぎのもの……、とにかく、種類別に分けていきましょう!」
「ありがとうございます!」
指示を受けて、ようやく文官たちも動き出した。
ミシェルも、文官たちも、必死になって、書類を分類していく。
再提出となり、元々の部署に返却した書類だけは減っていったが、それはまた後日、修正されて戻ってくる。そうすれば、書類は増える。
減らない書類の山に気が遠くなりそうになった頃、ようやくレジナルドが王城に帰ってきた。
「おい! 書類の処理は終わったんだろうな!」
執務室に戻って来てのレジナルド第一声がこれだ。
高圧的な言葉に、さすがのミッシェルも怒りを覚える。
「……王太子殿下の執務机の上の書類は、後は王太子殿下のサインとご捺印を待つのみですわ」
全体量からすれば、わずかに一割程度。それでも、サインと捺印をすれば、一割分は減る。なのに。
「はあ?」
レジナルドはミッシェルや文官たちを睨みつけた。
「ふざけんな。俺様はすべて処理しろと言って出かけたのだが? やっていないも同然ではないか! 無能どもめ!」
そもそもが、すべて、王太子であるレジナルドが処理するべき書類だ。可能な範囲のところまでは、ミシェルも文官たちも力を尽くした。
だが、王太子殿下が溜め込んだ結果の惨状だ……とでも反論すれば、不敬と言われるかもしれない。
誰も、何も言えずにぐっと黙る。
「レジナルドってばかわいそー。婚約者のミシェル様もぉ、部下もぉ、無能ばっかりなのね~」
レジナルドの腕に引っ付いていたアナベルが、レジナルドの頬に手を当てる。
「そうだろう。なあ、慰めてくれよ、アナベル~」
「いいよーん。じゃあ、レジナルドのお部屋に行く? ベッドを使う前に、あたし、お風呂に入りたいんだけどー」
「おお、良いぞ、一緒に入るか?」
「きゃー、えっちぃ」
あはは、うふふと、ピンク色の空気をまき散らす二人に、ミッシェルは低い声を出す。
「……お戯れの前に、書類を」
「はあ? 邪魔をするなよ」
レジナルドがミシェルを睨む。
「政務が滞っているのですっ! 執務机の上の書類だけでも処理を願いますっ!」
「俺様は忙しいと言っただろう、おまえがやっておけ」
「王太子殿下の婚約者という身分だけでは、国政を左右する書類にサインはできません。わたくしが行えば、違法と……」
なります……と、続けることはできなかった。
振り上げられたレジナルドの腕。
バシンっと音と立てて、レジナルドの手は、ミシェルの頬を打った。驚きと痛みで、ミシェルはよろけた。
「この俺様に命令するなっ! 不敬罪で罰してやろうかっ!」
「申し訳……、ござい……ません……」
叩かれて、口の中が切れたようだ。血の味がする。
泣きそうになるのをミシェルは耐える。
叩かれようが何だろうが、国王と王妃が不在の今、なんとしてでもレジナルドに書類の処理をしてもらわねばならない。
頬を叩かれた程度で書類を片付けてくれるのならば……と、ミシェルは耐えた。
机の上の書類に視線を流す。
嵐のため、農作物に壊滅的な打撃を受けた子爵領からの減税の懇願。
王女付きの護衛が冤罪で『獣人刑』に処された。もう一度調査をとの申請。
治癒の魔法が使えるからと、聖女を名乗る令嬢がいるが、教会はその者を聖女と認定はしていないなどの通達もある。
申請書類を上げた者たちは、皆、一日千秋の思いで、認可が下りるのを待っているのかもしれない。
ミシェルはレジナルドに頭を下げる。
「陛下がたが外遊中でございます故に、これらの書類にサインをできるのはレジナルド殿下ただおひとりのみ。速やかに処理を……」
「ああ、うるさい。役に立たない婚約者など不要だ。婚約など破棄だ、破棄! 今、この時点から、俺様の婚約者はアナベルだ」
アナベルは「きゃー、うれし~。レジナルド様、だーい好きぃ」と、飛び上がる。そして、勝ち誇った顔で、アナベルはミシェルをちらりと見る。
「仕方がないですよねえ、ミシェル様は、レジナルドのお心を酌んであげることもできないしぃ、書類程度も処理できないしぃ」
「……書類にサインをすれば、わたくしは罪に問われます。罪を犯してでも、命令に従えと?」
「えー? レジナルドの意向が最優先に決まっているじゃなーい」
ぴくりと、ミシェルのこめかみが動く。
ふざけるなと怒鳴りつけてしまいたい。
だが、怒鳴ったところでレジナルドの気分がますます悪くなるだけ。
書類はそのままで、苦労するのは文官と、書類の決裁を今か今かと待ち望んでいる申請者たちだ。
ミシェルは拳をぐっと握りしめて、耐えた。
「……わたくしとの婚約は破棄されても構いません。とにかく書類を……」
「うるさいうるさい! 俺様に意見をするな! もういい! 婚約破棄すらめんどうだ! 魔法使いたちを呼べっ!」
「……レジナルド王太子殿下。我ら魔法使いをお呼びで?」
低い声が発せられた。
「ああ。王太子レジナルドが王家直属の魔法使いたちに命ずる。ミシェル・D・フィッツクラレンスを『獣人刑』に処せ!」
獣人刑。
それはランカステル王国における特別な刑罰だ。
罪を犯した人間を、魔法により、「動物と人間の特徴を併せ持つ姿」に変化させる。
たとえば、腰から上は人間の上半身の姿で、腰から下は馬の胴体と四肢にする。
たとえば、顔だけが牛で、首から下が人間の身体。
どんな動物と掛け合わせるのかは、その時の魔法使いの気分次第。
獣人刑と聞いて、アナベルがきゃらきゃらと笑った
「おもしろーい! じゃあ、じゃあね~。ミシェル様はゴリラにしちゃえば? だって銀灰色の髪の色って、ゴリラの体毛に似ているもの~」
アナベルの言葉に、レジナルドは大笑いをした。
「あははははは! さすがだな、アナベル! そうだ! ミシェルなどゴリラになってしまえ! 体だけなどといわずに頭から足の先まで、全身ゴリラになっ!」
レジナルドの命令により、魔法は発動された。魔法使いたちの掌から放たれた光が、ミシェルの体を包む。
「きゃああああああああ!」
ミシェルが叫んだ。そして……。
「あはははははは!」
「いやーだぁ、ミシェル様、みっともなーい! っていうかぁ、ドレス姿のゴリラって、おっかしー!」
レジナルドとアナベルが嗤う。
ミシェルは自分の手を見た。
分厚い皮膚。しっかりとした筋肉が詰まっている五本の指。まるで鉱山で石炭採掘者たちが使う手袋のようだ……などと、ぼんやりとミシェルは思った。
その手で、恐る恐る自分の顔に触れてみる。
眉毛部分の骨が、目よりも前に出ている。眉毛もかなり太くなっているようだ。
鼻や鼻の穴も口も大きい。
ドレスに隠れている体の部分は見えないが、きっと全身に真っ黒な剛毛が生えていることだろう……。
ミシェルは「あ……」とだけ言うと、そのまま床に倒れ込んだ。
余りのことに、精神が耐えられなかったのだ。
「あははははは」
「きゃはははは」
レジナルドとアナベルの笑い声を聞きながら、ミシェルの意識は薄れていった……。
***
ランカステル王国の第二王女であるハリエットの私室の壁際には、五十人を超える護衛騎士がずらりと並んでいた。
髪の色はそれぞれ違えども、皆、長身で美形の男たちだ。
ハリエットは、その護衛騎士たちを一人ずつ、頭のてっぺんから足の先までじっと眺めては、また次の護衛騎士の前に向かい、またじろじろと上から下まで舐めるようにして見ていった。
そうして、黒混じりのオレンジっぽい髪の色をした若い護衛騎士の前で、ハリエットは足を止めた。
燃えるような夕日色の瞳が美しいと思い、ハリエットはにんまりと笑った。
更に顔を近づけて、じろじろと護衛騎士を見続ける
彫刻の男神のように完璧に整った美貌ではない。
が、どことなく懐かしいような素朴さと実直さ、それから物事を前向きに考えるような明るさを感じられる顔立ち。
王女に見つめられても、微動だにすることもなくなった他の護衛騎士たちと違い、このオレンジ髪の護衛騎士は、動揺する気持ちを押し付けるかのように、奥歯をぐっと噛んでいた。
ハリエットは顔を近づけたまま、言った。
「お前、新入りね。名前は?」
「はっ! デレク・S・オルドクロフトと申します!」
「そう、デレクね。そんなに緊張しなくてもいいのよ?」
何がおもしろいのか、ハリエットはくすくすと笑う。
「いつ配属になったのかしら?」
「はっ! 先日入隊後の研修を終え、本日より王女様付きとして……」
「ふうん、どうりで初めて見る顔だと思ったわ」
ハリエットの笑みが、にた……っとした気がして、デレクは何故だか一歩後ろに引きたくなった。が、勝手に動くことはできない。
「じゃあ……、確認をさせてもらおうかしら」
デレクは、確認とは何だろうとは思った。が、単なる護衛騎士が王女に問いかけをすることはできない。
「デレク、服を脱ぎなさい」
「ふ、服、ですか……?」
「そうよ。騎士服の上から体を触ったって、分からないじゃない」
どうすればいいのか。
デレクは横に立つ別の護衛騎士に、目線を投げるが、その護衛騎士はまるで彫刻になったかのようだ。デレクのほうを見ることもしない。浮かんでいる表情は「無」だ。
「あ、あの……」
なんとか絞り出した声。ハリエットは「さっさと脱ぎなさい。王女の命令よ」と不機嫌に言った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それではいつか書きますねー……という話がたくさんあるなあ……。
あはははは。
のんびりお待ちいただけると嬉しいです(*- -)(*_ _)ペコリ