第2話湯煙ホリデー
土曜日の午前10時、私は皿洗いをしていた。
先輩はすでに起きてリビングで煙草を燻らせながらスマホでネットニュースを読んでいる。
「荷物を取りに行くのは明日だよな?今日は暇なのか?」
「はい。……先輩は普段の休日何してるんですか?」
恋人との別れで生活リズムが狂った私は、休日の過ごし方すらも見失っていた。
「寝たり、酒飲んだり、あとは銭湯に行ったりしてる。…今から行くか」
先輩はそう言い放つと着替えを始めた。思いがけない提案に、私は目を丸くした。
「銭湯に?私もですか?」
「嫌なら家にいろ」
ぶっきらぼうにそう言うと先輩が向かったのは、近所のスーパー銭湯だった。
受付で入湯料を支払って暖簾をくぐり、女湯へと入る。
先輩がパーカーを脱ぐと微かにホワイトムスクの香りがした。
指の隙間から見た先輩は相変わらずスタイルが良い。休日に酒飲んで寝てるだけとは思えない腹筋をしていた。
(ジムとか行ってるのかな?)
先輩は、湯船に浸かりながら「はぁ」と大きなため息をついた。その表情は、落ち着いたバーテンダーのものではなく年相応の疲れた大人の女性の顔だった。
「……いい湯ですね」
「……そうだな」
「久々にゆっくり湯船に浸かった気がします。誘ってくれてありがとうございます。先輩」
「あぁ」
心の中で100を数えて、先に湯船から出たのは先輩だった。
お風呂から上がり、湯冷めしないうちに服を着替えた私たちは、施設内にある飲食店の壁際の席に腰を下ろした。
先輩は慣れた様子で注文し、2本の缶ビールとパックの枝豆を受け取って私の隣に座った。
「ほらよ」
先輩はビールを私に手渡し、隣で缶を開ける音が響き渡った。
彼女は缶を呷ると喉を鳴らして一気に半分以上飲み干してしまった。
「あ゛ぁ〜」
その満足げな表情は見慣れたクールな先輩ではなく、本当に普通のどこにでもいるおじさんのようで、私は思わず吹き出してしまった。
「何笑ってんだ」
「いえ…先輩もこういう飲み方するんだなって」
先輩は眉をひそめたが、すぐに枝豆を1つ口に放り込み、ポリポリと音を立てた。
その隣で先輩から手渡されたビールを前に、私は少しだけ躊躇した。
「昼間から飲むなんて、なんか悪い事してる気分」
今までの飲酒といえば決まって夜、彼氏と別れた後のやけ酒だった。
悔恨や、自分を罰するような苦い味。けれど、今日のこの状況は何もかもが違った。
「おいおい、昼間から飲む酒が一番美味いんだよ。御託はいいからさっさと開けろ」
先輩の毒舌に背中を押され、私はプシュッと缶を開けた。先輩は既に飲み干し、満足げに息を吐いている。
ごくごくと喉を鳴らして飲むと、炭酸と苦味が全身に染み渡る。それは、悲しみや自己嫌悪を紛らわせるためのやけ酒の味とは全く違い、湯上がりの火照った体を包む、爽やかで前向きな味だった。
「たまには悪くないだろ、こういうのも」
「えぇ、そうですね」
ポリポリと枝豆を一つ口に放り込みながら、先輩が笑う。それは、学生時代を思い出す優しい笑顔だった。
石鹸の匂いとビールの苦味、枝豆の塩気が混ざり合う穏やかな時間だ。
こんな日々が続けばいいのに…
***
世間ではおやつの時間に先輩と寄り道しながら帰路に着いた。
学生の頃のように、あてもなくぶらぶらしているだけで充実感があるのは、きっと隣に先輩がいるからだ。
「先輩、夕飯の食材買って帰りましょうよ」
スーパーの前で立ち止まった。
今日はリュックサックとエコバックを持っているから準備万端だ。
「そうだな。お前が作ってくれるんだろ?」
先輩がいたずらっぽく笑って先に店内に入った。
「先輩の好きな食べ物って何ですか?」
「んー?何でも食うけど、強いて言うなら肉」
先輩らしい答え、と思ったのが顔に出てしまったのか、ムッとした顔で睨まれた。
「今日はハンバーグにしましょうか?」
「マジ?作れんの?」
子供みたいに目をキラキラさせる先輩に笑いを堪えるのが限界に達した。
食べ物に関してはかわいいなこの人。
「フッ…結構簡単ですよ。一緒にやりますか?」
「いい」と拗ねたように言うと足早に精肉売り場へと行ってしまった。
急いで追い駆けると、先輩はいつになく真剣な面持ちでひき肉を吟味している。
「牛肉は高いですよ」
「私が出すんだからいいだろ」
売り場をぐるぐる回って、結局パックごはんとハンバーグの材料、食パン1斤、食後のアイスを買って帰った。
パンは朝食兼ハンバーグのつなぎだ。
***
「ごちそうさま。うまかった」
先輩が素直に褒めるだなんて、と驚きつつも気分がいいので素直に受け取っておくことにする。
「お粗末様です」
食が唯一、私が先輩に勝てるところかもしれない…私のハンバーグ気に入ってくれたみたいだし、また作ってあげよう。
そんなことを考えていると先輩が酒瓶と冷蔵庫からアイスを持ってきた。
「これかけてみろ、うまいぞ」
「バニラアイスにウィスキーですか?」
私の質問に先輩は首を縦に振って答える。言われるがままにやってみると想像以上に相性が良い。バニラとウィスキーの香りが鼻を抜け、冷たい甘さを引き立てる。
「おいしいですね! 先輩はやらないんですか?」
「明日運転するからな」
先輩もそういうところはしっかりしているんだ、と変に感心する。
おいしいけど度数高いから気を付けなきゃ。
「ねぇ…どうやったら三原先輩みたいに強くなれるんですか?」
「あ?強い?私が?」
「1人で生きていけそうじゃないですか?『恋人は作らない』って言ってたし」
今まで、なんとなく思っていたことを口にすると、先輩は気まずそうに目を逸らした。
「これは強いんじゃなくて臆病って言うんだよ。私は今まで、誰1人として幸せにできなかったからな…」
先輩は悲しそうに笑った。
やっぱり先輩は不器用だ。
だって、ぶっきらぼうな言葉はいつだって私のことを大切にしてくれる。
「私は先輩と居られて幸せですけどね…先輩みたいな人が彼氏だったら良かったのに」
「……は?」
先輩が目を見開いて固まった。
あれ私、変なこと言ったかな?「先輩大丈夫ですか?顔赤いですよ」
「もう寝ろ…バカ」
「いやでも、お皿がまだ」
「いいから、私がやる」
布団に押し込まれて電気を消されてしまった。
思ったよりも酔いが回っているのか、頭がほわほわする。
それもそうか、ウィスキー結構かけたから。
ホワイトムスクのラストノート~好きが言えない2人~ 蛍雪 @Syunnminn-Keisetsu
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