第51話 感傷

 一方、本殿付近まで戻ってきた椿つばきは、神職住居の周囲を意味もなく歩き回っていた。中に入ることを躊躇っていたのである。


 今、よみに会ったとして、何と声をかければ良いのだろうか。詠がたま宿やどりうんぎょくをどれだけ大切に思っていたか、それを失った気持ちはどのようなものか、わかるようでわからない。あくまでも、なおにとって、詠は部外者。それは、詠にとっても、椿が部外者であることを意味しているのだろう。実際に詠がどう思っているかは別として。


 考えを巡らせる中で、椿は不意に片方の刀を抜き、天に翳すように刀身を眺め始める。しばらく無言で見つめる時間が続いた後、椿は溜息を吐いた。


「……どうした、椿。悩み事か?」


 突如として聞こえた声に、椿が振り向く。すると、そこにはせんの姿があった。


「あ、あの、どうして、こっちに……」

「……今回の件は一段落着いた。ということで、椿。これからの話をしようではないか?」

「こ、これからの話?」


 椿は咄嗟に聞き返した。


「あの詠という子は、直霊に連れて帰る」


 千里の言葉で、椿の肩が一瞬跳ねる。


「……なぜですか?」

「言われなければ、わからないのか?」


 直後、椿は黙り始める。


「あの子が術者であること、椿は手合わせした時点でわかっていたのだろう?」

「……」

「余の目を誤魔化せるとでも、思ったか?」


 はいに質問されたときの椿の様子に、千里は違和感を覚えていた。千里の目には、灰音の質問に対して、椿が意図的に解答を濁したように見えていたのだ。椿ほどの人物で、実際に戦った相手の実力がわからなかったというのも変な話である。


 また、詠が術者ではないのならば、わざわざ隠す必要はないだろう。そもそも、椿が非術者相手に統合状態まで使用するとは考えにくい。つまり、椿は詠が術者だと気づきながら、それを隠したことになる。


「黙るなら、異論はないということか? では、直霊に連れて帰ることにも反対はないな?」

「……私は反対です」


 椿を纏う空気は変貌するようだった。徐々に増していく威圧感は、千里の肌にも届いていただろう。だから、千里は大きく溜息を吐いた。


「……なぜ椿があの子に肩入れしているか、余にはわからない。しかし、少なくとも、ななおん、灰音は余と同意見じゃ。そもそも、直霊の規則だからな」


 術者と判明した以上、その人物を直霊が放置することはできない。それは、椿にもわかっている。わかっているからこそ、椿は故意に曖昧な返事をしたのだ。


「……詠から、居場所も奪うのですか?」

「これからは、直霊を居場所にするだけの話じゃ」

「詠の居場所は十月とおつき神社、ただ一つです! これまでも、これからも……」


 椿が声を荒げる。だが、千里も根負けする気は微塵もない。


「椿の主観的な意見は関係ない。力づくでも、あの子は連れて帰る」

「……力で抵抗すると言ったら、どうしますか?」


 椿と千里の間を、不穏な風が通り過ぎる。


「……直霊に刃向かうと?」

「無理矢理に連れて帰るのは、私の思い描く直霊ではありません。少なくとも、私の母はそのようなことを言わなかった!」


 これだから、千里は椿と詠の仲が深まるのが嫌だった。任務に余計な感情を挟むと、碌なことにならない。今まさに、内輪揉めが生じているのが、良い例である。


「千里さんは、私を力で否定できるとでも言うのですか?」

「……」


 今度は、千里が黙り始めた。もし、椿に本気で抵抗されたら、勝機は全くない。それは、単純な身体能力の差だけではない。れい禁門きんもんが椿には一切効かないのだ。つまり、千里は椿を抑えることもできない。もちろん、それは最初からわかっていたことでもある。


「……確かに、余は椿に敵わないだろうな。だが、余は椿の先輩だ。先輩には、後輩の間違いを正す責務がある!」


 もはや勝算などは関係ない。千里にも、先輩としての意地がある。そして、千里が椿に踏み込もうとしたときだった。


「二人とも落ち着け。仲間割れなどしていたら、それこそ直霊の面汚しだ」


 七瀬の声が、二人に流れる険悪な空気を切り裂く。闘争心で燃える魂も、一度鎮まるようだった。


「何の話をしているかは、理解している。だが、争う以前にするべきことがあるだろう?」

「……何のことじゃ?」

「まあ、少し待っていてくれ」


 その言葉を残して、七瀬は神職住居内に入っていく。椿と千里は、七瀬の意図がわからないまま、眺めることしかできなかった。







 神職住居内、詠はいとの寝室にいた。絃が亡くなった後も、新たに別の部屋として活用することはできなかった。絃がいないこと以外は、一年前と同じ光景が広がっている。物音一つもしない部屋の中で、絃の面影を見つめ続ける詠。いや、面影などは虚像に過ぎないのだろう。絃がいた証はもう感じることができないのだ。


 その後、廊下を歩くような足音が聞こえた。そのまま部屋の扉が開く。


「こちらにいましたか、詠さん」


 部屋を訪れたのは、七瀬だった。一方、詠は感傷に浸っていたせいか、反応もなかった。


「ん? この部屋──」


 直後、七瀬は部屋に違和感を覚えた。


「──異様な空間だ」


 この七瀬の呟きは、詠の耳にも届いていただろう。


「……どういう意味ですか?」


 そして、思い入れの深い部屋だったからこそ、詠は無視ができなかった。


「悪く聞こえたのであれば、すみません。何より、感じたことのない空気でしたので。こちらは、どういった部屋なのでしょう?」

「……ここは私の母が生前に使用していた部屋です。母を看取った場所でもあります」


 少し詰まりながら、詠が答えた。


「ご冥福をお祈りいたします。ただ、詠さんのお母さまは安らかに眠っていると思いますよ」

「あなたに何がわかるのですか?」


 本来ならば、詠は正しいことを言っている。だが、相手が七瀬の場合、話は違う。


「……実は私、残留思念を感じる力を持っていまして」

「残留思念?」


 詠には聞き慣れない言葉だっただろう。椿からも、特に教えられていない。それも、そのはずである。残留思念に干渉する力を持つ人物は、術者の中でも稀有な存在なのだから。

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