第42話 選択
「母親には既に毒を注入しました。現在は特に何も症状が出ていませんが、十五分後には確実に死に至ります。噓だと思うなら、数分待っても良いですよ。初期症状が出始めると思いますので」
「……必要ない」
「ご理解いただいたようで、助かります。簡潔に言うと、私のところに
そして、
「間違っても、私を倒して解毒剤を奪おうなどは考えないことです。解毒剤は別の場所にあるのですから」
「……」
囁きであるのに、詠は確かな言葉の重みを感じた。額には汗も流れ始める。
「では、私は外で待っています。母親と最期の時を過ごすのも、選択肢としてはあるかもしれませんね」
その言葉を残して、想は詠の横を通過し、部屋を出ていった。
「……詠、答えはわかっている?」
二人だけの静かな部屋で、
「私、お母さんを助ける……」
「違う!」
絃は急に大声を出したせいか、少し咽る。
「詠、冷静に考えなさい。御神玉を持っていったところで、強引に奪われる可能性が高い。あの女が丁寧に解毒剤を渡してくれると思う? そもそも、解毒剤自体、存在しないかもしれない」
「じゃあ、私はどうすれば……」
「おそらく、あの女は詠が見捨てる選択肢を取ることはないと考えている。詠の力があれば、隙を見て返り討ちにできるはずよ」
絶望するような表情の詠とは対照的に、絃は不屈であった。
「でも、それだとお母さんが……」
「私のことは諦めて良いの。元々、長いわけでもないから」
詠の目に映る絃は、優しい微笑みを見せていた。
「お母さんがいなくなったら、私はどうしたら良いか、わからないよ……」
「私はいなくても、
「御神玉はまた取り戻せるよ! でも、お母さんは違う……」
対立する絃と詠。
「詠は御神玉を奪われた過去の辛さを知らないから、それが言えるの」
「私の力を信じてくれるなら、御神玉も取り返せるって信じてよ!」
詠も声を荒げるほど、必死だった。絃も気圧されたのか、黙る。
「私、決めたから……」
詠がそう呟いた次の瞬間、絃は詠の手を掴んで、自分の方に引き寄せる。
「私にも、これくらいの気力は残っている。詠が諦めるまで、手は離さない」
「お母さんに私を止めることができると思う?」
詠も負けずに言葉を返した。
「……あまり、舐めないことね」
直後、絃は力を振り絞り、寝具から立ち上がると詠の首に手をかけた。
「お母さん!?」
詠の声には、動揺が現れている。
「詠、私をここで殺していきなさい。そうすれば、あなたを縛るものは何もない」
自分で自分を殺すのは、意外と難しい。本能的に生きようとしてしまうからだ。また、詠を拘束しつつ毒が回るのを待っていたら、敵に交渉失敗を悟られてしまう。取引に応じると見せかけて、油断を誘うのが、敵を倒す必須条件と言っても良い。
「何を言っているの?」
「……私を殺さないのであれば、ここで詠、あなたを殺す」
「え?」
詠の瞳孔が開く。それは恐怖によるものなのだろうか。
「私が本気だということが、詠にはわかるはずよ」
「……」
「なぜなら、私の娘だから」
絃が真剣であることは、幸か不幸か詠にも伝わってしまった。
一方、想は神職住居の入口外で時計を眺めていた。ちなみに、想には取引が成立する自信があった。絃に使用した毒は徐々に人体を蝕んでいくのが特徴である。要するに、目の前で大切な人が悶え苦しむ様子に耐えられる者などいないのだ。
その後、詠が覚束ない足取りで、中から顔を見せた。その手には、慎重に木箱を抱えている。
「答えが出たようですね。それが魂宿の雲玉ですか?」
「……そうだ」
「なるほど、こちらの方に隠していましたか」
想は話しながら、詠に近づいていく。二人の距離が縮まった後、想は一度足を止める。
「では、先に中身を見せてください」
「……自分の目で見れば良い」
その言葉の後、詠は木箱を想の方へ緩やかに投げる。地面に落としてはいけないと、反射的に想は木箱を手で受け止める。しかし、その瞬間、想は確かな違和感を覚えた。やけに軽い。だが、そう思ったときにはもう遅い。
次の瞬間、詠の前蹴りが想の溝内に入る。それは無防備な急所への一撃。想も体勢を崩してしまう。
想の心には動揺もあっただろう。詠が母を捨てる選択をしたからである。しかし、追撃の警戒を怠らないほどには、冷静だった。切り替えの速度は流石と言うべきか。また、おそらく感情的になっている詠に対して、こちらが落ち着いてさえいれば、負けることはないとも考えていた。
ひとまず立て直す時間を作るために、アタッシュケースを構える想。その防御は確実に間に合っていたはずだった。だが、実際には、次なる詠の攻撃も想に直撃していた。その理由は単純で、詠は想の動きを先読みしていたからである。アタッシュケースを避けるように、詠の拳は体の芯を捉えていたのだ。
詠の一撃には、様々な思いが込められていただろう。悲嘆も、憤怒も、寂寞も全て乗せて、敵にぶつけた。だからこそ、刃が届いた。
気づいたときには、想の足は地を離れ、そのまま垣に衝突していた。そして、壁を引き摺るように、想は砂利に崩れ落ちる。
「情けない。くだらない同情さえしなければ……」
咄嗟に受身を取り、意識を保ってはいたが、想はそれ以上立ち上がることができなかった。
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