第30話 約束

 投げられた石が地面に着いた瞬間、椿つばきよみに向かって一気に距離を詰めた。その勢いのまま、椿は右から蹴りを繰り出す。詠は椿の強烈な一撃を何とか防御することに成功したが、その表情には一切余裕がないのが分かる。


「……凄い、初撃止めましたよ」

「良い反射神経じゃ」

「一瞬で終わると思っていたけど、意外とそうでもなかったね」


 はいたちは二人の戦闘を眺めながら、詠の身体能力に驚いているようだ。


 その後、椿は足を引っ込めて、今度は右手で攻撃しようとしたが、詠に肩の近くを手で先に抑えられることで、拳が途中で止まる。そして、詠は椿の肩に置いた手の平を中心として円を描くように、逆立ちしながら椿の頭上を乗り越えた。更に、反撃として、詠が椿の背中に蹴りを入れる。それは直撃と言って良いほど、見事に決まっていただろう。


 しかし、椿は体勢を崩すことすらなかった。渾身の一撃でも不動である椿の強さに、詠が動揺したのも束の間、椿の裏拳が詠を襲った。一瞬、防御が遅れたことが影響し、衝撃で詠は地面に転げてしまう。とはいえ、詠も即座に立ち上がった。まだまだ勝負はこれからと言わんばかりの表情であるだろう。


「あの、私を舐めているのですか?」


 詠は構えながら、椿に話しかけた。


「そのようなつもりはないが?」

「嘘です。あなたは術を使う素振りすら見せないじゃないですか! 私は術者を想定した戦いがしたいのです!」

「……」


 詠の力強い言葉に、椿も黙って悩み始める。


「……わかった。私に一撃入れたことに対する敬意も込めて、本気を出そう」

「ありがとうございます」


 椿の決断に、詠は感謝を述べた。


「ん、戦いが急に止まったぞ?」

「何か話しているようですね。流石に聞こえないですけど」


 一方、灰音たちは動きのない二人に疑問を感じているようだ。


 次の瞬間、椿を纏う空気が再び変化する。静寂の中で異質な存在感を放つ椿に、誰もが目を奪われた。


「あの雰囲気、椿はまさか本気で戦うつもりか?」

「え、それは止めないと!」


 せんと灰音は露骨に焦り始めた。ちなみに、椿の本気を知らないほむらはまだ状況を飲み込めていない。


「……何をしたのかはわかりませんが、確かに本気のようですね」


 詠も椿の様子を見て、その真剣さを感じ取っていた。


 その後、今度は先に仕掛けようと、詠が椿に向かって走り出す。しかし、次の瞬間には、詠の足が止まっていた。なぜなら、既に椿は詠の目前まで迫っていたからだろう。あまりにも一瞬の出来事に、詠は全く反応できなかった。防御態勢を取る暇もなく、椿の一撃が今まさに到達しようとしていた。


「椿、そこまでだよ」


 そこで、椿と詠の間に、灰音が割って入った。詠があのまま進んでいたら、灰音が間に合っていなかった未来もあっただろう。


 そして、灰音の言葉によって、椿は本気状態を解除し、完全に力を抜いた。


「わ、わかったけど、勝敗はどうするの……」

「確かに、どうしようね」


 慌てて、勝負を中断させたが、まだ決着はついていない。


「……私の敗北で大丈夫です。勝負にお付き合いいただきありがとうございました」

「え、それで納得していただけるのであれば、こちらとしてはありがたいですけど」


 なぜか素直に負けを認めた詠に、灰音は呆気なさを感じた。それから、詠は式守しきもりの方へと近づいていく。


「詠さま、大丈夫ですか? 凄い汗ですけど……」

「……うん」


 式守は詠の様子を見て、心配の言葉をかけた。その後、詠は式守に何かを伝えると、森の奥に消えていった。


「椿、一般人相手に本気出したら、無事じゃ済まないよ?」


 一方、灰音は椿に説教をしていた。


「い、いや、その……」


 それに対して、椿は口籠っていた。


「お取込み中すみません。詠さまからの伝言ですが、御神玉の警護や危険な集団の捕獲に関して、基本的になおの皆さんの指示に従うとのことです」


 途中で、式守が灰音たちに近づいてきた。そして、式守は詠から言われたことを繰り返した。


「本当ですか、ありがとうございます。ところで、その詠さんはどちらに?」

「すぐ戻ると思います。私たちは先に神社に戻りましょう。警護に関して、色々確認したいこともあるでしょうし」

「わかりました」


 その後、灰音たちは式守と一緒に神社へと戻り始めた。







「あの、一つだけ私からもお願いをしても良いでしょうか?」


 道中、式守が恐る恐る灰音たちに話しかけた。


「はい、何でしょうか?」

「御神玉もそうですが、直霊の皆さんに詠さまもその危険な集団から守っていただきたいのです」

「……やはり心配ということですか?」


 灰音の質問に、式守は小さく頷いた。


「詠さまは御神玉、そして十月とおつき神社を守ろうとする意志がとても強いと思います。故に、自分自身を労わることを忘れてしまっているというか……」

「なるほど。失礼かもしれませんが、そもそも詠さんはなぜあの年齢で宮司を務めているのですか?」

「宮司というのは、世襲制なのです」


 神社の宮司は長い歴史の中で代々受け継がれてきたものであるのだろう。


「先代のいとさまは去年に亡くなっています。後継ぎも詠さま以外にはいませんでした」

「……突然だったのですね」


 それは、何となく察してはいたことでもある。


「亡くなる半月ほど前から、元々病床にはついていました。ただ、今際というわけではなかったと思います。しかし、一年前の神在大祭のときに、絃さまは……」


 そのときを思い出したのか、式守の声も少し不安定になっている。


「それから、詠さまは絃さまの意志を継いで、十月神社の宮司として一生懸命生きてこられました。十月神社を絃さまの形見のように大事に思っているでしょう。しかし、詠さまは一人で何とかしようとして、無理をしているように感じてしまうのです」

「……式守さんの思いは理解しました。いざというときは、私たち直霊が詠さんを守ると約束しましょう」

「ありがとうございます。何せ、私はもう年ですので……」


 式守は安堵の声を漏らした。







「なあ、あの子はその去年の出来事で、術者として覚醒しているのではないか?」


 前を歩く式守には聞こえないように、千里が小声で口を開いた。


「確かに、椿との戦いでの動きには驚きましたが、別に術を使っているようには見えませんでしたよ?」

「灰音の術も、他者視点では使用しているか、わからないだろう? それに、自覚がないパターンもある」

「考え過ぎだと思いますけどね。というか、実際に戦った椿はどうなの?」


 灰音は椿に視線を向けた。


「何とも言えない……」

「ふーん」


 椿の曖昧な返答に、灰音は期待外れといった表情をしている。


「……とりあえず、後回しではあるか」


 千里は考える素振りを見せた後、呟いた。


「ところで、術者の判別方法って、そもそもあるのですか?」


 途中で、焔が純粋な疑問をぶつけた。


「うーん、基本的にないね」

「あるにはあるのですか?」

「そういう術を使えば、できるって感じ」


 ちなみに、系統判別に関しては、完全に不可能であるとされている。







 数分後、灰音たちは神社の敷地内まで戻ってきた。それから、式守による神社の簡単な案内を受けた。警護という観点で、地形や構造把握は非常に重要だと言えるだろう。


「ちなみに、この本殿の裏にある建物は何ですか?」


 案内を受ける中で、本殿の傍にある建造物に灰音はずっと違和感を覚えていたようだ。


「それは、私たちの住まいですね」


 灰音の質問に、式守が答えた。


「随分と本殿に近いのですね」

「はい。御神玉に何かあったときに、即座に駆けつけることができるようになっています」

「……なるほど」


 想定よりも、神社は宿やどりを守ることを意識しているらしい。それだけ、神器を奪おうとする輩が多いということなのだろう。尤も、神社側にしてみれば、直霊もその中の一つなのしれないが。

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