第4話 帰還
「自分の名前言える?」
「……
「正常そうだね」
灰音から差し伸べられた手を取りながら、焔は立ち上がる。焔の意識も、特に問題はないようだ。
「えっと、すみません。状況がよくわからないのですが、事件はどうなったのですか?」
「犯人は連行された。焔は人質の子に発現した霊魂術をもろに受けて、倒れていたって感じ」
焔は灰音の言葉をゆっくりと理解した。
「……なるほど。灰音さんが人質の性別を尋ねた理由、こういうことだったのですね」
「そうだけど、これは非常に稀な例。あまり気に病むことないよ」
正直、精神干渉耐性を持っていないのであれば、
「でも、それ以前に私、何もできませんでした。犯人の制圧も灰音さんが一人で……」
「焔は凶悪な犯人を前にしても、臆することなく立っていた。初めにそれができれば、十分だよ」
「そうなのでしょうか……」
焔は俯いてしまった。
「ほら、いつまでもめそめそしていたら駄目だよ」
灰音は、落ち込んでいる焔の背中を叩く。直霊の捜査員たるもの、自信に満ち溢れ、皆を安心させる存在であるべきである。もちろん、これは精神が衰弱しているときほど、精神干渉の影響を受けやすいという理由もあるのだが。
「……わかりました。ところで、人質の子はどうなったのですか?」
「
霊魂術の安定とは、自分の意志で術を制御できる状態のことを指している。
「その後は、どうなるのですか?」
「うーん」
一般的に、霊魂術者は三種類に分けることができる。まず、灰音たちのように直霊として世のために霊魂術を使う者。次に、直霊の管理下で暮らす者。最後に、霊魂術を持つことは隠しながら、静かに生きる者。
要するに、術者だと判明した人物を直霊が放っておく選択肢はない。術者だと判明した時点で、普通の生活はできず、直霊として働くか、直霊による軟禁状態で生きるかの二択になってしまう。これは、術者が人を脅かす危険性だけが理由ではない。
世の中には、霊魂術を利用したい悪意に満ち溢れた人物が多く存在するのだ。つまり、直霊は悪意を持つ術者を淘汰するだけでなく、術者が悪意に晒されることも阻止しなければならない。故に、善悪関係なく全ての術者は直霊の手が届く範囲に置いておく必要があるのだ。
ちなみに、直霊による軟禁状態の下で暮らす選択肢を取る人は滅多にいない。というか、未だに前例がない。縛られて生きるよりは、直霊として伸び伸びと活動する方が良いということだ。直霊の仕事の全てが、常に危険と隣り合わせというわけではないことも大きいだろう。
「……数年後には、焔の後輩になっているかもね」
「え、それなら嬉しいですね」
焔が笑みを零した。少し元気が出てきたようで、灰音は安心した。
「さて、じゃあ私たちも直霊本部に戻ろうか」
「はい!」
焔の威勢の良い返事に、灰音も笑顔を見せる。その後、二人を乗せた車が直霊本部へと向かっていくのだった。
直霊本部に到着して、車を降りた先には、軍服のような衣装を身に纏う女性が二人を待っていた。腰に二本の刀を装備していることから、一般人ではないのは一目瞭然である。
「お、おかえり、灰音。今回は災難だったね……」
「あれ、私の帰りを待っていたの? 珍しいね」
「い、いや、その何というか……」
灰音と会話する女性は口籠っている。初対面の焔を見て、緊張しているのだろう。所謂、人見知りである。
「灰音さん、こちらの女性は?」
焔が灰音に尋ねた。
「この人は
「え、この人があの八剱椿さんなのですか?」
焔は唖然としている。今日一の驚きといったところだろうか。無理もない。なぜなら、八剱椿という名前は、直霊の最上位術者として有名なのだから。
「は、はい。私、八剱椿です……」
椿は自信なさげに返事をした。実際の椿に、焔は困惑しているようだ。この弱々しい奴が直霊で一番強いはずがない。そういう顔をしているように見える。
「えっと、私は新人の熾火焔です。よろしくお願いします」
「よ、よろしく……」
焔の声には動揺が現れている。現実を受け止め切れないとは、まさにこの事であるだろう。しかし、これで驚いていたら、その先が心配である。
「それで、椿。要件はさっきの立て籠もり事件でしょ?」
「う、うん。発現した霊魂術の情報詳しく教えてほしい……」
「うーん、自分の感情を他者にも共有する術ってとこかな。
「あ、ありがとう……」
「ちなみに、肝心のその子は今どういう感じ?
この灰音の言葉に、椿は首を横に振った。
「……まだ来ていない」
一瞬、時が止まるような感覚が灰音たちを襲った。
「え? 橘君、私たちより先に出発していたよ?」
灰音にも動揺が見え始めた。焔の意識回復を待っていた時間を考えると、灰音たちが先に到着するはずがないのだ。
「噓じゃない。私、灰音から連絡もらった後、橘君待ってずっと入口にいた。灰音たちの前には、誰も来ていない……」
椿の言葉で、灰音は黙り込んでしまった。その緊迫感が椿と焔にも伝わってくる。
「渋滞とか、迷子という可能性も……」
焔は空気感に耐え切れず、恐る恐る切り出した。
「もちろん、その可能性がないわけじゃない。むしろ、そうであってほしい」
しかし、灰音には只事ではないことがわかっていた。ここまで遅れる場合、橘は必ず連絡を欠かさないはずなのだ。つまり、連絡がないということは、連絡ができない状況を意味する。
「と、とりあえず橘君に電話かけてみたら?」
「確かにそうだね……」
椿の言葉で、灰音は少し冷静を取り戻した。頼むから電話に出てくれ、そう願いながら、灰音は携帯で橘に電話をかける。
ところが、無情にも応答は一向にない。それから、空気が再び落ち込み始めたとき、灰音の携帯に一件の着信が来た。安堵する三人。しかし、携帯の画面に表示されたのは橘の名前ではなかった。
「
灰音は携帯を耳に当てる。そして、七瀬からとある報告を受けた。灰音の表情は明らかに曇っていく。その後、灰音は通話を終えて、携帯をしまった。
「灰音さん、何の電話だったのですか?」
焔が即座に尋ねた。
「二人とも、落ち着いて聞いてね」
灰音は静かに言った。椿と焔がゆっくりと息を呑む。
「……橘君が死んだ」
灰音の一言で、椿と焔は言葉を失った。
一方で、冷静に見える灰音も、頭の中は嫌な記憶に圧迫されていた。昔の出来事に重なってしまったのだ。しかも、今回は自分自身の判断が原因だ。だが、今が悔いる時間ではないことも理解している。
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