全ての具材が主張する

秋乃光

🍜

 まず、器があった。器がなければ、始まらない。一つの小宇宙コスモを支える、器があった。器には湯が注がれている。器は温めておかねばならない。


 *


 山田も言っていた。

 列の乱れは、心の乱れである。


「行かねばならない」


 行かねばならない。ラーメンが私を呼んでいる。今日は豚骨醤油日和だ。私はラーメンに呼ばれている。二十二時に就寝し、朝焼けと共に目を覚ました。私はラジオ体操をして、西の方角を拝んだ。ついでに東にも敬礼した。東西の神、もしくは、それに類する何者か、畏怖すべき存在が私の味方につく。この効果は一日中続く。


「行くぞ!」


 この雄叫びは気合いの雄叫びである。あんまりにも大きな声を出すから、近所からラブレターを投函されたことだってあった。


 一晩寝かせた小麦の塊。私が魂を込めて練った、いわば半身とも言える塊だ。すなわち私である。


 九階に私の住んでいる部屋はあるが、この九階の窓から麺を伸ばす。麺を伸ばして橋とした。カラスがかあかあと鳴いている。カラスたちの隣を、私は滑るようにして飛んだ。私の背中には背負子しょいこがある。


 これを「かっこよく落ちているだけ」と呼んだのはとあるアニメ映画の所業か。麺を綱として私は宙を行く。目指すは黄色と黒の看板のラーメン屋、そう、みんなが大好きな『ラーメン二郎』だ。


 私の部屋から『ラーメン二郎』までは、宙を飛んで一時間ほど。朝の空気が私の肌を撫でる。風が心地いい。


「ママー! 人が飛んでるー!」

「そんなわけないじゃない」

「ほんとだって、飛んでたんだって!」


 おや。親子に見つかってしまったようだ。たまにこのような事故が起こってしまう。私もまだまだだな。


 私は小さな勇者にウインクして、ポケットに忍ばせていたなるとをPresent For Youした。なるとはおいしい。なるとの数は多すぎてはいけない。物足りないぐらいがちょうどいい。今の私は気分がいいので、今日は一本まるまる送ってしまったが、よく噛んで食べてほしい。いずれは私のような立派なラーメンファイターとなることを信じている。


「おい、止まれ」

「はい、止まります」


 止まれと言われたら止まるのが、ラーメンファイターの掟だ。目と目が合ったら恋が始まる。すなわち、ラーメンファイトの開始のゴングが鳴った。


「キサマ、どこに向かっている」

「ラーメン二郎だ」

「なるほど。キサマも俺の獲物というわけだな」

「まさか、お前は……淡麗系鶏白湯流の使い手か!」

「いかにも」


 淡麗系鶏白湯流。男が口角を上げる。最近、この界隈でよく聞くようになった名前だ。私は屈しない。残り少なくなってきた麺を背負子に縛り付ける。


 待っていてくれ、山田。山田は数年前に生前葬を執り行っているが、あと十年は生きながらえてほしい。永遠に生きろとは言わない。せめて十年は生きてほしい。


「待たれよ」


 この戦いに待ったをかける者がいる。私たちをラーメンファイターと知っての乱入か。


「にーぼにぼにぼにぼ!」


 さらに煮干しがやってきた。煮干しが歩いている。煮干しとしか言えないビジュアルをしているから、こいつは煮干し。にぼにぼという鳴き声も、自らが煮干しであると主張している。だから煮干しだ。


「なんだこの煮干し」

「人型ですらないだと!」


 私と戦おうとしていた淡麗系鶏白湯流と、ラーメンファイターの乱入者が、煮干しに気を取られた。チャンスだ。煮干しよ、ありがとう。


「隙あり!」


 背負子の骨は豚骨になっている。私は背負子をばらして、この豚骨のデカい部分で乱入者の頭をぽかりと殴った。不意打ちとは卑怯と言うまいな。言わせまい。


「ふもぉっ!」


 この世はラストマンスタンディング。最後まで立っていたヤツの勝ちだ。


「キサマ、卑怯だぞ!」

「うるさい!」


 私は豚骨を振り回す。スープをかき混ぜるように、あるいは、大太鼓を叩くように、淡麗系鶏白湯流の顎を連打した。これが『太鼓の達人』なら、ハイスコアだドンである。悲しいかな、ラーメンファイターに点数はない。すべてのラーメンは、適材適所。どのラーメンも、店主のこだわりがつまった最高の一杯だ。山田は「こんなラーメン、食べられないよ」と笑うが、客は『ラーメン二郎』を求めて列を成す。


「にーぼにぼにぼにぼ!」


 煮干しとの一騎打ちになった。煮干しは昆布を吐き出している。なるほど、魚介系か。


「負けてたまるかーっ!」


 ここで私が負けたら、私が倒してきたすべてのありとあらゆる有象無象よりも煮干しのほうが強い、という不等号が成り立ってしまう。すべてのありとあらゆる有象無象の名誉の為に、私は勝たねばならない。麺は固め、スープは濃いめ、油も多め。海苔はスープに沈めて、しなしなになった海苔で無料のライスを包んで食べる。今年はほら、米が不作だったから、このライス無料のサービスをやめてしまった店も多い。悲しいことだ。大いなる損失である。ライスが百円だったとしても、無料と百円だったら無料の方がみんな頼む。炊いた米はどうなる。食べられなかったらどうなっちゃうの。米がもったいないでしょ! ライス! ライス!


「にぼにぼにぼにぼにぼ」


 *


 器の中では、今日も戦いが繰り広げられている。戦いの勝者が、この群雄割拠のラーメン戦国時代の覇者だ。戦いは終わらない。誰もが勝利を望んでいるからだ。ラーメンは世界を救い、世界に平和をもたらすその日まで、ラーメンファイターの戦いは続く。続くったら続く。

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