第4話 可愛いね?

 一週間後、私の友達の説得により、藍川さんと私は二人きりで話をすることになった。

 放課後の空き教室。藍川さんは、心ここに在らずーって感じで立っている。そんな姿すら儚げで可愛い。


「……ごめんなさい」


 蚊の鳴くような声で、彼女は言った。


「何が?」

「……河合さんの、好意を……無下にして……」

「ううん、いいの! 私の方こそ、ごめんね? 藍川さんがそんなに思い詰めてるなんて知らなくて」


 私は満面の笑みで彼女に抱きついた。藍川さんの体は、小刻みに震えていた。

 私はそんな藍川さんを強く強く抱きしめる。可愛さ余って首筋にキスマークとか付けちゃう。


 愛情表現だ!


 可愛いって、『食べたい』みたいなのによく似ていると思う。食べちゃいたいぐらい可愛い! ってよく言うじゃない?


「仲直りの印にさ、今日、うち泊まりにおいでよ。パパ、出張なんだー」

「……ぇ」


 藍川さんが息を呑むのが分かった。その「え」には、拒絶の響きがあったかもしれない。だが、私の耳には、喜びと安堵が混じった驚きの声に聞こえた。


「嫌……?」

「……う、ううん。いく……行き、ます……」

「やった! 今夜は寝かさないぞー!?」


 私は楽しくなって、宣言した。

 そして宣言通り、その夜は藍川さんを一睡もさせてあげなかった。


 スマホも取り上げて二人きりの世界。逃げ場のないワンダーランド。


 私はこれまでの分を取り戻すように、彼女を愛で続けた。女の子同士で楽しんだ。

 可愛いね、可愛いよ。大好きって耳元で囁き続けた。本当に、藍川さんは可愛かったから。


 藍川さんは完全に私に体を委ねてくれていた。

 その信頼が嬉しくて、私は彼女を離さなかった。

 私は彼女の黒髪を撫で、小さく囁いた。


「藍川さんの可愛いは私だけのものなんだから」


 藍川さんの目からは綺麗な涙が頬を伝っていた。

 可愛いなぁーって指先で掬って舐めて、頬にキスをした。

 永久に残しておきたい国宝だと思った。



 翌朝。私たちは一緒に登校するために駅のホームに立っていた。


 藍川さんはまるで魂が抜けたお人形さんようだった。制服を着て、ただ立っているだけの美しい器。その完成された『可愛さ』に、私は見惚れていた。彼女の瞳は空っぽで、そこに感情の波はない。ただ、私だけを見つめている。


「藍川さん、今日も可愛いね」


 私の言葉に、藍川さんはゆっくりと首を回して私を見た。その瞳には、光がなかった。ただ、底知れない闇のような静けさが広がっていて、それがまた神秘的だった。


「……ありがとう、河合さん」


 掠れた声で、彼女はそう言った。その声には、一切の感情が込められていなかった。

 それで良いと思った。藍川さんの『可愛い』はその静けさの中にあるのだから。


 そして、駅の構内放送が電車の到着を告げる。黄色い線の内側に下がるようアナウンスが流れたその時だった。



 ――藍川さんの髪が、ふわりと舞った。



 まるで風に揺蕩うクラゲのように。

 軽やかに、吸い込まれるように。

 轟音と共に滑り込んできた鉄の塊の前へと、その身は吸い込まれていった。


 あとはもう、ドンっていう鈍い音と、悲鳴。急ブレーキの不協和音がこだました。


 私は、目の前で起きた出来事をスローモーションのように眺めていた。

 飛び散った赤色が彼女の黒髪と混ざり合い、残酷なほど鮮やかなコントラストを描いていた。


「あーあ」


 ……可愛かったのに。


 溢れたのは、悲鳴ではなく、ため息だ。

 可愛くて可愛そうな藍川さん。残念だな。もっと可愛がりたかったのに。


 騒然とするホーム。私は、自分の靴に飛び散った血の雫を眺めながら、自然と周囲を見まわしていた。


 泣き叫ぶ人、携帯で動画を撮ろうとする野次馬。

 そんな中、少し離れた場所に立っていた他校の女子高生と目が合った。

 彼女は顔を引き攣らせ、腰を抜かしたようにへたり込み、ガタガタと震えている。


「ぁ」と思う。


 涙で濡れた瞳、震える口元。それらはどうしようもなく無防備で、思わず私は吸い寄せられるようにして彼女に近づいていた。


「 大丈夫? 」


 私は、震える彼女に手を差し伸べた。


【了】

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可愛いから仕方ないよね 葵依幸(勇者殺しの花嫁三巻発売中) @aoi_kou

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