第3話 藍川さんは超可愛い

 藍川さんは私に笑ってくれるようになった。


 私が手を引けばついてきてくれるし、私が「可愛いねー」っていうと「ありがとう」って言ってくれる。

 私はますます藍川さんが好きになって、藍川さんを友達に紹介することにした。藍川さんの可愛さを、もっとみんなに知ってもらいたい。彼女はスクールカーストの外にいたけれど、その可愛さこそが彼女の持つべき最強の武器だと思ったから。自慢したかったっていうのもある。


 だから、先輩がやってるバーに藍川さんを連れて行った。


 私はこの前藍川さんのお父さんの件を片付ける時に手伝って貰った友達の先輩がやっているお店だ。学校の子達とは違って少しやんちゃだけど、きっと気に入ってもらえるって思ったから。


「あ、もしかしてこの子が例の?」

「そー! 藍川さん。超可愛いでしょ?」


 照明を落とした薄暗い店内、お酒も出してるけど学生はビリヤードとかで遊ぶのがメインなお店。一通りみんなに藍川さんを紹介したんだけど、藍川さんはすぐに私の袖を掴んで「帰りたい」とか目で訴えていた。そんなシャイなところも可愛いんだけど、今日は心を鬼にした。ウブな藍川さんには、刺激的な体験が必要なのです!


 ということで、私は藍川さんの手を取って笑顔で首を横に振り、頷く。


「私、ちょっとコンビニ行ってくるね。みんなー? 藍川さんのこと、酷くしちゃダメだよー?」


 おー、という声を背にお店の扉を閉めれば、あとはもう友達にお任せだ。


 藍川さんは必死に首を横に振っていたけれど、過保護にしすぎるのも良くない。

 コミュニケーション能力は、実践でこそ磨かれるもの。私は彼女の変化に思いを馳せ、近所のファストフード店で晩御飯を食べ、一時間ほど時間を潰して戻った。


 私がお店に戻った時、藍川さんは部屋の隅でタオルケットに包まって震えていた。

 服や髪は少し乱れていて、瞳は少し潤んでいた。もしかしたらさっきまで泣いていたのかもしれない。


「……河合かわい、さん……」


 私を見て藍川さんの声が震えた。飽きて捨てられたお人形さんみたいで、その退廃的な美しさに私は思わず息を呑んだ。先輩たちは藍川さんと一緒に撮った写真を見せてくれた。みんな楽しそうで、藍川さんはすごく可愛かった。


「どーしたの? 大丈夫ー?」


 私は可愛い可愛い藍川さんを撫でてやって、手櫛でその髪を整えてあげた。お店の奥にはシャワールームもあるからそこを借りて体を綺麗にしてあげて、二人してシャワーを浴びながら優しくその手を握った。


 藍川さんは、小さく震えていて可愛かった。


「大丈夫だよ。私は藍川さんのこと大好きだから」


 耳元で囁くと藍川さんの肩がびくりと跳ねた。


 ――かぁいい。


 可愛くて、可愛くて。私はめいいっぱい後ろから抱きしめた。

 伝わる温もりが気持ちよかった。


 それからというもの、私は頻繁に藍川さんを可愛がるようになった。

 特に楽しかったのは、私のお家でのお泊まり会だ。


 うちのママとパパとは折り合いが悪く、別居中だ。私が転校することになったのもそれが原因。

 パパは仕事で家を空けがちで、実質、私は都内マンションで一人暮らしをしていた。


 なので、藍川さんを学校からそのまま連れ込んでのお泊まり会。

 藍川さんのお父さんの許可は取り付けてあるから、いくらでも一緒にいることはできた。


「ねえ、藍川さん。こっち向いて?」


 ベッドの上、照明を落とした部屋で、私は藍川さんを後ろから抱きしめると、恥ずかしがり屋な藍川さんは「やっ……」っていうけど、そこが可愛い。


 私はゾゾゾって感覚に頬が緩んで、そのまま藍川さんの弱い部分をいじってあげた。


 藍川さんはすごく敏感だ。脇腹とかすごく弱い。何をしても直ぐに反応するし、そーいうところも本当に可愛い。可愛いからつい、やめ時を見失って一晩中藍川さんと遊んじゃうこともしばしばだった。時々他の友達も呼んでみんなで遊んで「藍川さん可愛いでしょー?」って見せびらかしてみたりして。


 藍川さんはちょっと眠そうだった。私が寝かせてあげないからそりゃそうなんだけど、いつもウトウトしててそういう時は驚かせたりするとびっくりするぐらい良い反応をしてくれて、それも可愛かった。


 学校では物静かな藍川さんのびっくりする顔は新鮮で、それでも『可愛い』は崩れなくてすごいなって毎度感心する。その度に本当に可愛いなぁ……って抱きしめてしまう。


 私に抱きしめられると藍川さんはぎゅーって体を小さくして、本当に可愛い。小動物みたいな可愛さってこういうことを言うんだなって思う。


 なんだか儚げで、守ってあげたくなるような可愛さは私には出せない。藍川さんの持って生まれた素質で藍川さんだからこそ持っている魅力だと思った。



 そう! 藍川さんは可愛いのである!



 私は一晩中、藍川さんの体を触ったり、耳元で囁いたりして彼女の反応を楽しんだ。


 藍川さんの体がピクリと反応するたびに、私は嬉しくなった。

 藍川さんは私を拒まなかった。藍川さんはすごく恥ずかしがり屋だからいつもぎゅーって体を丸めるだけ。ほんと可愛い! そんな藍川さんのことが大好きだった。



 ――でも、藍川さんは私を拒絶した。



 ある日の昼休み、いつものように藍川さんをトイレに誘おうとした時だ。私はいつも藍川さんと二人でトイレにいく。仲良しだから。手を繋いで、一緒に。

 だけど、「トイレ行こー?」って言う私の手を藍川さんは振り払ったのだ。


「……やだ」


 その一言とともに。

 藍川さんが私の手を振り払った音は結構大きくて、教室が一瞬、静まり返った。藍川さんの意外な行動にみんなが目を丸くしていた。


「え……、ごめん……、私、何かした……?」


 私は涙を浮かべながら藍川さんに謝った。可愛いは正義だ。藍川さんが可愛いなら私も可愛くあらねばならない。


「ごめん、私、何か藍川さんの気に触るようなことした……?」


 声が震える。涙が溢れる。

 嗚咽をこぼして「藍川さんっ……」って懇願すると藍川さんは驚いたような顔をした。――そんな藍川さんの顔も可愛かった。


「なになにどーしたの?」


 クラスの友達が集まってくる。

 私は友達に首を横に振って藍川さんをじっと見る。

 私は藍川さんの『可愛い』を見逃したくなかったから。


 ……だけど、藍川さんは私を置いて教室から出て行ってしまった。


 教室の中に残されたのはざわざわとした落ち着きのなさだけだ。


「杏里、大丈夫……?」

「藍川さん、どうしちゃったんだろ。急にキレて」


 クラスのみんなは私を心配してくれた。私を囲んで私の『可愛そう』に共感してくれる。


「ううん……私が悪いの。藍川さん、最近元気なかったから、しつこくしすぎちゃったのかも……」

「そんなことないよ! 杏里はいつも藍川さんのこと気遣ってたじゃん!」

「そうだよー、藍川さんなんか酷いよね」


 優しい友人たちは、口々に私を慰め、藍川さんを非難してくれた。やっぱり、持つべきものは友達だ。


 私は、藍川さんに嫌われてしまったという事実に少し傷ついたけれど、それ以上に、藍川さんが心配でならなかった。


 学校には、来てほしいな……。


 そう思って藍川さんのお父さんに連絡を入れておいた。

 藍川さんのこと、よろしくお願いしますねって。


 藍川さんのお父さんが説得してくれたのかは分からないけど、翌日からも藍川さんは学校には来てくれた。

 それでも、私とは口を聞こうとしなかった。


 教室の隅で、一人静かに本を読む姿は、以前よりもさらに孤立しているように見えた。教室という閉鎖空間で、私の友達はみんな、藍川さんを以前とは違う目で見ている。


 決してイジメではない。


 ただ、「藍川さんって何考えてるか分かんないよね」って空気が充満していった。


 藍川さんはバカじゃない。自分の可愛さを理解しているからバリアを張れていただけ。

 今の藍川さんは本を開いてはいるけど、呼んでいるふりだけ。さっきから全然ページが進んでない。つまり、藍川さんは


「ねえ、あんたさ。杏里があんだけ良くしてくれたのに、なんなのその態度」

「杏里、泣いてたんだよ? 謝んなよ」


 そんなふうに私の友達から声をかけられているところを何度か見かけた。

 藍川さんは、ますます可愛くなっていった。



 ――可愛いなー藍川さん。本当に可愛い。



 私は藍川さんを愛でながら、その時を待った。

 

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