影女刀(ようじょとう)
フランコ•マリーノ
第1話
これは、ある刀を巡る世にも奇妙なる話である。
刀剣商・岡田久次郎の家に賊が入り、一家と下男下女が惨殺され、刀が奪われるという残忍な事件が発生した。だが、この事件には生存者がおり、久次郎の末の娘・たねと、長女のおかねだけであった。二人はその日、寺子屋に行き、帰りに祖父母の家へ泊まっていたため難を逃れたのである。
生き残った者が幼いゆえ、目撃証言は得られず、探索は難航した。しかし、盗まれた刀に関する書き付けだけが残っており、それには「影女刀(ようじょとう)」と記されていた。この一件を任されたのが、盗賊改メ方の近田要蔵であった。
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事件から三日後、再び凶行が起きる。
今度は越前松房藩下屋敷にて、松房藩城代家老・堀忠兵衛永芳が何者かに袈裟斬りにされ、事切れているのを下男の次郎作が発見した。
城代家老の急死であるゆえ、奉行所は躍起になったが、手掛かりは一向に掴めなかった。近田でさえ、賊の動きが全く読めず、酷く動揺したという。
さらに凶行は続き、松房藩に金を用立てた御用商人・奈良田金蔵が背中から斬られ絶命していた。奉行所は苛立ちを隠せず、町中の岡っ引きを総動員する事態となった。
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凶行は、近田の身近にも及んだ。
勘定方の成田勘蔵が夜更けに斬られているのを発見され、近くには食べかけの蕎麦の器と、夜鳴き蕎麦の亭主の遺体もあった。
成田は、近田が盗賊改メ方に配属された頃に親身になってくれた人物であり、近田にとって兄のような存在であった。歯噛みするしかなかったが、近田は“刀に何らかの因縁がある”と感じた。
そこで、惨殺された岡田久次郎の親類である刀鍛冶・山端久造を訪ね、影女刀について情報提供を願い出た。
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山端は一瞬、目を瞠ったが、やがて静かに語り始めた。
影女刀は、ある刀鍛冶が打ったものだという。刀そのものに異変はなかったが、その刀鍛冶は女癖が悪く、妻は嫉妬深く悋気に荒れ狂っていた。
ついに妻は堪忍袋の緒が切れ、刀で夫を斬り殺し、そのまま自害した。
その際、刀に自らの血を吸わせたという。
その頃から、刀は“手にした男に幻覚を見せる”ようになり、刀に封じられた女が、
「今まで手にした男を斬らなければ、誰の女房にもならぬ」
と囁きかけ、誑かすようになった。
誑かされた男は人斬りに走り、最期は刀に生気を吸い尽くされて死ぬのだという。
近田は瞠目した。女の執念が産み落とした妖刀であった。
しかし、なぜ今また世に現れたのか──。
山端は続けて言った。
「今も凶行が止まらぬのは、刀に毒気を当てられた者がおるからだ。由緒の通りならば、最後の一人を斬るまで、この連鎖は止まらない」
だが、今の被害者たちの中に、人斬りに及ぶような者がいるだろうか。
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近田はそのとき、あることに気がついた。
岡田家の家族についてである。
被害者は久次郎、妻の房、次女さつ。
生存者は、たねとおかね。
だが──嫡子・惣太郎の行方だけが掴めぬままだった。
後日、再び山端の家を訪ね、惣太郎について問いただすと、山端は渋った末、口を開いた。
惣太郎は放蕩息子で、売り上げを盗んでは吉原や品川へ遊びに行くなど、狼藉を重ね廃嫡されたという。
二年前、店の金を持ち逃げし、上総で似た男を見たという風聞を最後に行方は絶えていた。
山端はそれだけを語ったが、帰り際、奥方が近田に一通の書簡をそっと握らせた。
そこには──
「惣太郎は一年前、ふらりと現れ、夫に内緒で仕事を世話してほしいと懇願され、松房藩の下働きとして私の一存で雇わせました。どうか内密に…」
と書かれていた。
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松房藩の内情を確かめるため、再び下屋敷を訪ねると、家老代理の石川が応じ、行方不明の下働きがいると話した。
名は惣太郎。十九歳。右の頬に青痣がある。
これで情報が揃った。
さらに刀剣商の帳簿を確かめたところ、影女刀を最後に買い求めたのは、分限者・米原紋十郎。現在は松房藩の武道指南役で、刀剣蒐集に凝る人物であるという。
近田は米原に事情を説明し、警護を依頼。米原宅近くの家屋を借り、張り込みを開始した。
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二、三日後の夜──
屋敷の付近を明かりもつけずに彷徨く男がいた。
近田が手龕灯をかざすと、右頬の青痣が浮かび上がり、それが惣太郎であると判った。亡者のような顔つきで、正気を失っていた。
惣太郎は壁をよじ登り、米原邸の中へ。
近田が怒号で呼び止めると、惣太郎は影女刀を引き抜いた。禍々しく光を放ち、切っ先をこちらへ向けてくる。
その表情は、人ではなかった。
惣太郎は刀に動かされているかのようで、傀儡そのものであった。
近田は必死に受け止め、隙を突き峰打ちを入れた。
惣太郎の顔色は黄土色になり、崩れ落ちた。
刀はなおも禍々しく光り、近田をも刺し貫かんとした瞬間──
米原が念仏を唱えながら刀を叩き落とした。
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米原は刀を紐で縛り、近田を連れて近在の寺へ向かった。
住職が護摩行をしている最中であった。
住職が祈りをさらに強めると、護摩の火中から倶利伽羅竜王が飛び出し、刀を飲み込んだ。
刀は悲鳴めいた音を立てながら、火の中へ消えていった。
米原は、この騒動の間に刀の由来を聞き、神仏の力なくしては始末できぬと悟り、住職に調伏の護摩を依頼していたのである。
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惣太郎は衰弱しきっていたが、取り調べに応じることはできた。
曰く──
家老の部屋を掃除している折、刀の安置された床の間から声がした。
それが最初で、そこから先の記憶は一切ないという。
医者は「長くはもつまい」と言った。
この一部始終を聞いた長官・長谷川平蔵は、
「女の執念は恐ろしいものよ。刀に乗り移り、手にした者を不幸にし、周りすら巻き込んだ。米原殿の機転がなければ、お前もただでは済まなかったろう」
と神妙に語った。
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事件の二日後、惣太郎は牢内で静かに息を引き取った。
妹の二人は山端家に養子として迎え入れられた。
やがて、近田は役宅内で祝言を挙げた。
祝言の後、兄同然であった成田の墓前に手を合わせ、帰ろうとしたとき──
一陣の暖かい風が吹いた。
振り向けば、塔婆が立っているだけ。
近田はしばらく立ち尽くしたのち、静かに踵を返し、帰っていった。
影女刀(ようじょとう) フランコ•マリーノ @D48987
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